2013年9月1日日曜日

2013年夏季 鎌倉遺構探索便り


ご挨拶


ちょっと記事の更新が滞っています。8月はかなりの頻度で鎌倉に訪れていたので、体力的にもスケジュール的にも記事を作成する余裕がありませんでした。もうすぐこれまで通り更新するので、良ければまた「鎌倉遺構探索」に訪れてください。お待ちしております。
簡単にではありますが、2013年7月~8月の私の鎌倉遺構探索記録を紹介します。今夏の私の鎌倉遺構探索は、鎌倉外縁部北側に集中しました。ほとんど自転車で移動しています。最も移動した日で33km。で、ここからさらに自転車を降りて山登りなどもしているので、水泳のないちょっとしたトライアスロンのようでした。


Google map 鎌倉外縁部 赤丸は今夏訪れた場所

山ノ内荘


鎌倉中心部の有名な史跡をだいたい見たつもりなので、ただ単に足を遠くに運んだのですが、今回訪れたこの藤沢~大船~本郷をまたぐエリアは、平安時代では尺度(さかど)郷というまとまった地区だったようです。
また鎌倉時代では山ノ内荘になります。山ノ内というと、個人的には北鎌倉駅辺りを漠然とイメージしていましたが、鎌倉市教育委員会の調査報告書によれば、山ノ内荘の範囲は(北鎌倉駅辺りから)西は玉縄、北は横浜市戸塚区から港南区までを含む広大な地域だったようです。山ノ内荘は、山ノ内首藤氏から土肥実平に渡った後、最終的に北条義時が獲得しています。

まだまだ鎌倉にも近い小袋から高野にかけたエリアでは、山ノ内荘らしく得宗家が関与している成福寺や常楽寺などが所在しています。今泉にある白山神社や今泉不動は鎌倉時代以前から存在していたそうです。

成福寺 横須賀線からもやぐらが見えるお寺
長窪の切通し 六国見山への峠坂
今泉不動(今泉称名寺) 陰陽の滝

上郷では溶鉱炉や金くそ(製鉄の段階で発生する不純物)など製鉄跡が発見されている他、本郷地区寄りでは「鍛冶ヶ谷」などの残された字名から、この辺りが武器の製造所及びそれら製造に関わる職人の居住地であったと考えられています。
横浜市栄区のホームページでは、「鎌倉の一大穀倉地帯」「鎌倉の一大軍事基地」と紹介しています。

上郷市民の森からの景観 史跡廻りというか自然と戯れた上郷地区
瀬上市民の森 真ん中の窪んでいる場所が瀬上池
證菩提寺 北条泰時の娘で小菅ヶ谷殿が阿弥陀堂を建て再興させた

くらやみやぐら」以降、洞窟のあの何とも言えない魅力にとりつかれた私は初夏に田谷の洞窟がある定泉寺に行きました。他では味わえないとても面白い史跡でした。
そして大船から藤沢にかけたエリアでは玉縄城一色かと思いきや、坂東平氏の祖と云われる平良文の墓があったり、実朝の首を持って隠れたと云われる七騎谷の伝承などが残されていました。
また現在も難攻不落の城として知られる玉縄城ですが、周辺に所在していた出城となる砦跡であれば地形などの名残りを確認出来ます。

田谷の洞窟 境内には多様なレリーフが施されている
長尾台で出会ったまさかのタヌキ・・
七騎谷からの景観 矢印は大船観音



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