御霊神社縁起
『かまくら子ども風土記』(以下子ども風土記)によると、
御霊神社(ごりょうじんじゃ)とは
土地の祖先の御霊(みたま)を祀る神社とあります。では鎌倉の土地に祀られる祖先の御霊とは一体誰のことでしょう。鎌倉の御霊神社には、頼朝の鎌倉入り以前から鎌倉周辺の土地を開拓していた坂東平氏とも呼ばれる一族の中でもとびきり武勇の誉高い
鎌倉権五郎景正(かまくらごんごろうかげまさ)が御霊として祀られています。特に大船・藤沢方面各地に多く所在しています。
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本殿 |
梶原御霊神社縁起
梶原御霊神社の祭神は、鎌倉権五郎景正で、本殿には景正夫妻と云われる像、梶原景時と云われる像、三猿像が安置されているそうです。そして何と言っても、元は
化粧坂上の
葛原岡にあったそうです。
また、
坂ノ下の御霊神社は、この梶原御霊神社から移されたもの(勧請?)だと子ども風土記にありました。
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明神鳥居という形式の鳥居 |
小学校と住宅に挟まれた細長い参道を奥に行くと鳥居の先に拝殿があります。拝殿の手前に位置する狛犬が他では見たことがない、というか、何ともモダンな造りです。古いものではなさそうです。
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狛犬 |
付近にある石塔もちょっと変わっています。大正八年建立と刻まれていました。この字体が大正時代からあったんですね、この碑のような石塔と狛犬の製作時期は同一でしょうか。どちらもモダンな造りです。当時の言葉で言うと「ハイカラ」な感じが満載です。
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碑のような石塔 |
丘陵部壁面には祠や石塔を安置するような浅い掘り込みがみられ、五輪塔などの石塔が置かれています。子ども風土記によると、
建武元年(1334)12月23日の銘を持つ五輪塔があるそうです。ちょっとノーマークでした、私は確認していません。
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壁面の造作と石塔 |
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拝殿 |
拝殿から階段を登ったところに本殿があります。本殿の周りは石切り場跡のように垂直に削られていて、さらには本殿を支える底面が地面そのものでした。天然の礎石とでも表現するのでしょうか。でも結構他の神社でもこのような造りが多かった気がします。
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本殿 |
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天然の礎石? |
拝殿背後の壁面に文字が刻まれていました。よ~く見てみると「ゆかり」って・・ これはゆかりさんが彫ったというよりゆかりさんのことを好きな男性が彫ったんでしょうか。神社の境内でこんなことをするなんて呪いのわら人形みたいな発想で怖いんですけど。多分ゆかりさんも引いたことでしょう。
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本殿背後の彫り込み |
そして本殿の裏山にはなんと、大々的な掘割状がみられます。
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丘陵部掘割状 |
ちょっと登ってみたところ、頂部は明らかに削平されていて平場となっています。この神社のための造作なんでしょうか、それとも御霊神社が引っ越してくる前から何かあったんでしょうか。
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掘割状を上から眺めたもの |
五霊神社
御霊神社は、祭神である景正の
鎌倉氏、そして兄弟の
梶原氏・
村岡氏・
長尾氏・
大庭氏の五家を合祀してあるとも云われることから五霊神社とも呼ばれています。
さらにこれら兄弟の父となる
村岡五郎忠通も合わせて祀られているとも云われ、そして、この梶原御霊神社が元々あったとされる葛原岡の「葛原」とは、これら五家の先祖となる
葛原親王を祀った地であるとも云われています。実際にあの場所に葛原という名が残されているので真実味が伝わってきます。しかも葛原の伝承からも御霊神社の中でもこの梶原御霊神社がお寺でいうところの総本山的な感じにも受け取れますよね。
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ご神木のような存在感のあった樹 |
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記事作成 2013年9月15日
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