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今回は百八やぐら群を中心とした遺跡群が分布する鷲峰山だけを堪能するハイキングコースを紹介致します。周辺は百八やぐら群・平子やぐら群・十王岩やぐら群・朱だるぎやぐら群などを中心とした大々的な葬送地区でもあり、また鎌倉の主な産業であった石切り場跡ともなっています。途中には切通し路などもあって鎌倉を代表する遺構が集中するマニアにはたまらないエリアとなっています。
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Google Map 百八やぐらハイキングコース ①覚園寺ヶ谷 ②平子やぐら群 ③百八やぐら群 ④十王岩 ⑤朱だるぎやぐら群 ⑥西御門 |
上画像は今回紹介するコースで、番号は主な遺跡を表すチェックポイントで行程順路でもあります。また、紹介しておいてなんですが、十王岩(地図画像④)から西御門(画像⑥)の区間は立ち入ってよい場所なのか微妙です。細かい位置情報などは最下部にあるグーグルマップでマーカーにて印してあるので、詳細を知りたい方はそちらで確認してください。
覚園寺ヶ谷
覚園寺ヶ谷は名称からもわかるように覚園寺のある谷戸で、往時では覚園寺塔頭などの寺院や邸が建ち並んでいました。鎌倉市教育委員会の調査報告書によれば、大楽寺・五峰寺・天王寺・平等寺などが支谷にあったと記されています。また、覚園寺の前身が北条義時が建立した大倉薬師堂であるため薬師堂ヶ谷とも呼ばれています。そしてこちら下画像は大楽寺跡と比定される小谷戸です。
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大楽寺跡 |
この画像では伝わりづらいかもしれませんが、ひな壇状地形とやぐらもしくは石切り場跡らしき窟穴が確認できます。そして下画像の覚園寺手前にある石塔が並べられた箇所が天園ハイキングコースの覚園寺口となります。
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ハイキングコース出入口 |
平子やぐら群
それでは、ハイキングコース出入口からコンクリート舗装された登り坂を少し行くと、いきなり見事な切通し路が開けます。
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そして丘陵部には20基近いやぐらが施されています。これら平子(へじ)やぐら群(地図画像②)と呼称されています。『鎌倉市史 考古編』には「覚園寺総門跡」と記されてあったので往時ではこの辺りに覚園寺の総門があったのだと思われます。玄関付近にやぐら、つまりお墓があるって・・ 現代人の我々では理解しづらい中世の人達の価値感が伝わってくるようですね。
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平子やぐら群 |
覚園寺裏山 百八やぐら群
ハイキングコースを少し行くと切通し路がいくつか確認できます。また切通し路に付属するようにやぐらが近くにあります。コースはちょうど覚園寺裏山側面を通るので、往時では覚園寺境内だったんでしょうか。尾根道などの造作が複雑です。何度も手を加えたように思えます。このコースはもしかしたら近世もしくは近現代で整備されたのかもしれません。
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ハイキングコースの側面にもうひとつ尾根道がある 東勝寺裏山のよう |
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いつの時代のものかわからないが見事な切通し路 |
そしてしばらく行くと上地図画像③の百八やぐら群に到着します。こちらで詳しく記事にしているので詳細は省かせていただきます。各やぐらの位置などはさすがに印しづらいです。実際に行って自分で探すのも宝探しのようで面白いと思います。5~6段のひな壇状地形にそれぞれ配列されています。
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百八やぐら群 |
十王岩
百八やぐら群から建長寺方面に進みます。尾根道のピークに近づくと、石切り跡とやぐらの造作が混在した壁面が現れます。
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ここ一帯の頂部には弘法大師像が安置されていて、また「法王窟」と刻まれたやぐらが施されています。その他にも切岸や石切り場跡特有の謎の文字が刻まれていたりします。この一箇所だけでも鎌倉特有の遺構が凝縮されています。そしてそのままハイキングコースを伝うと十王岩(地図画像④)に到着。
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十王岩からの眺め 若宮大路からの延長線位置上にいるのがわかります |
十王岩からさらに進むと覚園寺方面と建長寺方面を指す石標が置かれています。その辺りをよ~く見るとハイキングコースを外れて丘陵を下りて行ける道筋が確認できると思います。すぐに朱だるぎやぐら群(地図画像⑤)となります。
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矢印がその石標 |
朱だるぎやぐら群
朱だるぎやぐら群は20基程度で構成されています。中でも下画像の朱だるぎやぐらと呼ばれるものは供養を行う仏殿としてのやぐらだったと市史に解説してありました。やぐら群の中心的存在でボスキャラ?みたいなものでしょうか。
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朱だるぎやぐら 入口側面に位牌?のようなレリーフが施されている |
建長寺回春院奥
そのまま進むと、これまたやぐらと石切り場跡が混在したかのような丘陵壁面に囲まれた平場に出ます。毎度来るたびに感じますが、ここは何か空気が違うように思えます。とても不思議な感じです。
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回春院奥平場 |
建長寺の回春院に通じる道が近くにあります。地形に起伏などの造作の跡がみられます。ちなみに巨福呂坂が開削される以前にこの辺りは地獄谷(死者を棄てる場所)と呼ばれていたそうです。
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地獄谷 左側に盛り上がった地形が確認できる |
この辺りから西御門(上地図画像⑥)の住宅街に出れます。住宅街なのに信じられないくらいの急坂で山道をそのままコンクリート漬けにしたような感じです。
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西御門 |
西御門には来迎寺というお寺ぐらいしか集積要因がないので、あまり観光客が訪れるような場所ではないようです。ただ往時では谷戸一帯にお寺が建ち並んでいたそうです。有名どころとしては尼五山一位の太平寺がなどありました。下山するように谷戸を進むと、八幡宮に隣接した三浦一族本家の邸跡だった横浜国立大学付属小中学校前に出ます。
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カテゴリー 探索記事(エリア別 二階堂・天園)
記事作成 2013年12月16日