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山号寺号 扇谷山海蔵寺
建立 応永元年(1394)
開山 心昭空外
開基 上杉氏定
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薬師堂 |
海蔵寺縁起
会下ヶ谷(えげがやつ)に所在する臨済宗の海蔵寺は、鎌倉公方・足利氏満の命により、応永元年(1394)開山に心昭空外(しんしょうくうがい)を迎え、上杉氏定が建立したと伝わっています。会下ヶ谷の会下とは僧侶が集う場所を意味するそうです。往時の海蔵寺が賑わっていたのが伝わってくるようです。また、鎌倉時代には真言宗のお寺がここにあったと云われていますが、元弘の乱で焼失したようです。
本堂 |
海蔵寺境内
境内には鐘楼・庫裡・本堂・薬師堂(仏殿)が建ち並んでいます。仏殿(薬師堂)は安永六年(1777)に浄智寺より移したもので、棟札その他に天正五年(1577)建立とあり、また、総門は応永二年(1395)の修造と伝わっています。結構な古建築が揃っています。
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鐘楼 |
海蔵寺は天正五年(1577)に建長寺の塔頭となっています。開山の空外も大覚禅師五世の孫と云われています。古絵図には現在の本堂位置奥に開山塔が描かれているので、心字池と呼ばれる一般拝観者が立ち入れない奥の庭園位置にあったものと思われます。開山塔を仏超庵と云ったそうです。
心字池 |
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本堂脇にやぐらがあります。瑞泉寺のように庭園の一部として施されているようにも思えます。やぐら内には五輪塔・宝篋印塔などの中世の石塔が置かれています。4つあるやぐらの中でも朱塗りの鳥居が立てられたものがありますが、こちらは宇賀神弁財天を祀ったもので雨宝殿と云うそうです。
石塔が並べられたやぐら |
宇賀神弁財天を祀った雨宝殿 |
十六ノ井
境内から往時の塔頭跡となる奥に行くと、十六ノ井という鎌倉でもここでしか見られない珍しいやぐらがあります。底に4×4で計16個の穴が施されていて、水が湧き流れています。弘法大師が掘ったとも伝わっているそうです。やぐらは鎌倉期のもので、この穴は納骨穴と考えられています。嘉元四年(1306)と刻まれた阿弥陀三尊を彫った板碑がはまっていましたが、貴重すぎるので鎌倉国宝館に預けられているそうです。同じタイプのものが宝戒寺裏にありますが、防空壕として使用されてしまったため現在は確認できません。
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十六ノ井 |
底抜ノ井
海蔵寺の門前に鎌倉十井の一つで底抜ノ井があります。井戸水を汲んだ際、桶の底が抜けてしまったことから悟りの境地が開けたという女性の逸話がその名の由来となっているようです。
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逸話の女性には二説あって、一つは上杉氏の娘が尼になって修行をしていた時の話で「賤の女が いただく桶の 底抜けて ひた身にかかる 有明の月」と歌を詠んだという説。もう一つは安達泰盛の娘で金沢顕時夫人の千代能(ちよの)と云われており、こちらは「千代能が いただく桶の 底抜けて 水をたまらねば 月もやどらじ」と詠んだと云われています。底抜ノ井の現地解説版では後者の千代能の歌を紹介していました。海蔵寺の縁起を調べる限り、上杉氏の娘という説も十分有り得そうですけどね。
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底抜ノ井と寺社が好きな4歳児 |
海蔵寺は化粧坂下にあるので、現代でも観光客にとって交通の要衝と言えるのでしょう。私もここから北鎌倉・常葉・長谷方面に何度も向かいました。その都度海蔵寺にも立ち寄っています。
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探索期間 2011年8月~2013年5月
記事作成 2014年1月16日
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