2014年3月17日月曜日

小動神社


小動岬


腰越にある小動(こゆるぎ)神社の辺りを小動岬と云います。小動の地名は、昔ここにあった松の木が、風もないのに枝葉を震わせて美しい音を発し、ちょうど天女が音楽を奏でながら遊びを戯れているような風情があったことに由来するそうです。現在は慢性渋滞にある海岸線134号沿いにあるので、そんな風情のあった姿を想像するには難しい環境となっています。

小動岬

134号線沿いにある入口から鳥居をくぐり、真っ直ぐ伸びる参道を進んだ先の階段を上ると社殿があります。


社殿のある平場には、その他にも海神社・金比羅宮・稲荷社・第六天社などがあります。いつもこんな格好させられているのかわかりませんが、ほっかむりした狛犬に心が和みました。



小動神社縁起


『かまくら子ども風土記』によれば、佐々木盛綱が近江の八王子宮を勧請したのがはじまりとされています。ですからもとは八王子宮と呼ばれていたそうです。明治の神仏分離によって、地名の小動をとって小動神社となりました。腰越五ヶ町(中原・下町・土橋・神戸・浜上)の鎮守です。また、元弘の乱の際、新田義貞がここで戦勝祈願したと云われています。鎌倉を攻め落とした後に、黄金造の太刀と黄金を寄附し、社殿が再興されたそうです。『鎌倉市史 社寺編』によれば、佐々木盛綱が勧請したのが文治年間(1185~118)頃、新田義貞が中興したのが建武年間(1334~1336)頃とありました。

権現造の社殿

境内奥から海岸を見渡せます。江ノ島に腰越漁港などが視界に入ります。鎌倉の神社というと、山奥というイメージがありますが、ここはそのイメージとは真逆のような雰囲気です。


小動神社別当


134号線を挟んだ対面に、小動神社の別当だった浄泉寺があります。明治の神仏分離以降も、大正六年まで浄泉寺が別当寺だったそうです。市史には「神仏分離の例外として注意しておきたい」とありました。珍しいことなんだそうです。しかし結局、大正時代に分離することになりますが「この時になって分離した事情については、その理由があるのであるが、ここではふれないことにしたい」と意味深な記述がみられました。逆にそんなこと言われると、とっても気になるんですが・・。何があったんでしょう。

浄泉寺

十間坂


『太平記』の新田義貞の鎌倉攻めの記述にある十間坂(じゅっけんざか)がこの辺りにあるそうです。風土記に「小動神社の東側に海岸から134号線に通じる狭い路地」「浄泉寺の旧山門前を通って西に続いている」「昔は浜伝いに往来していた」などとありましたが、いまいち何処を指しているのかわかりません。龍口寺に通じる道を云うのか、さらにもっと狭い路地を云うのか、満福寺や龍口寺輪番八カ寺が集中する辺りの路地に庚申塔があったので、その辺りなのか、ちょっとわかりませんでした。

小動神社から134号線を渡ってまっすぐ来た道

謎の横穴


134号線沿い小動交差点付近に横穴がいくつか確認できます。鎌倉に興味を持ってから初めて気付きました。

134号線沿いにある横穴

この辺りって車では急に停まれないのでずっと気になっていましたが、このとき改めて間近で見ることができました。江ノ電線路の向こうなので少し離れた所から見ましたが、穴が塞がれているので防空壕などの壕の類かもしれません。小動岬は第二次世界大戦中に砲台として使用されていたのでそれに関するものでしょうか。ちなみにGoogle Mapの航空画像で小動岬を見ると、稲村ヶ崎にあるような大きな穴が確認できます。また、先ほどの小動神社から海を見渡す場所から見える崖にも穴がありました。一体どんな目的で使用されたのでしょうか。凄い場所にあります。

小動岬断崖絶壁にあった穴



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探索期間 2013年5月
記事作成 2014年3月17日

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