山号寺号 龍口山本龍寺
建立 乾元元年(1302)
開山 日行
開基 -
本龍寺縁起
乾元元年(1302)の創建当初は与蓮山(よれんざん)という山号でしたが、龍口寺輪番八ヵ寺の一つとなってから山号を龍口山に改めたと伝えられています。龍口寺輪番八ヵ寺の中で最も古い創建です。本堂には
田辺ヶ池の雨乞いの日蓮像や室町時代作の日行像が本尊と共に祀られているそうです。明治に住職を置くまで龍口寺には住職を置かず近くの日蓮宗のお寺が順番で龍口寺を守っていました。これを龍口寺輪番八ヵ寺と云います。
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本堂 |
本龍寺境内
境内は一目で見渡せます。広くはありません。門をくぐって正面に本堂、付属する建物、右手が墓地といった具合です。周辺は平坦な住宅街ですが、境内の地形に段差がみられる他、切岸が残されています。Google Mapで見るとわかるのですが、若干の旧態地形を残した丘陵が隣接しています。もしかしたら本龍寺の裏山だったのかもしれません。丘陵部壁面には
やぐらのような造作がみられましたが、なんか微妙です。
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切岸 |
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やぐら? 奥に小さな石像が安置されている |
比企大学三郎高家
私は確認していませんが、境内には比企大学三郎高家の墓があるそうです。墓石には文永二年(1265)に亡くなったと刻まれていて、石塔は江戸時代のものとありました。本龍寺はこの比企高家の邸跡に建てられたと云われています。また、この比企高家なる人物は、
妙本寺の比企能本だとも云われています。真相は定かではありませんが、邸跡が日蓮宗寺社になったこと、北条氏を避けるように鎌倉中心部から離れた腰越に邸を構えた点など、なんか「意外に本当なんじゃないの」と思えてきます。
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境内には中世のものらしき五輪塔があったりする |
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近世の墓塔 |
旧道
本龍寺付近の住宅街にある狭い路地に庚申塔が置かれていました。「こんな所に道が通ってたの?」と思うような場所です。『太平記』の記述にあった十間坂がここ腰越辺りを通っていたそうですが、現代の区画整備で何処かに小さくなって埋もれているそうです。そういった意味では、旧道がこのような寂しい箇所にあったとしてもおかしくないのかもしれません。
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庚申塔 |
ニオイマツリカ
本龍寺で興味を惹かれる花を見つけました。詳しい人に聞いたところ、ニオイマツリカと云うそうです。おしとやかな見た目の割りに香りが強めです。
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ニオイマツリカ |
マツリカとは茉莉花でジャスミンのことだとありました。みなさんにはどうでもいいことかもしれませんが、私はジャスミン茶が好きでよく飲んでいます。外出の際にもペットボトルを購入するなら大抵ジャスミン茶です。寺社では遺跡ばかりに気をとられ、普段はなかなか植物まで目が届かないのに何でこんな気になったのか、その訳が自分でも納得いきました。ジャスミン繋がりでした。
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5月撮影 |
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探索期間 2013年5月
記事作成 2014年3月18日
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