2014年3月19日水曜日

腰越


龍口寺輪番八ヵ寺


明治に住職を置くまで龍口寺には住職を置かず近くの日蓮宗のお寺である本龍寺・勧行寺・本成寺・妙典寺・東漸寺・法源寺・常立寺本蓮寺が順番で龍口寺を守っていました。これを龍口寺輪番八ヵ寺と云います。龍口寺は有名な龍ノ口の法難跡として日蓮宗にとっては聖地の一つとなっています。

龍口寺

その輪番八ヵ寺のうち、本龍寺・勧行寺・本成寺・妙典寺・東漸寺の五ヵ寺が江ノ電腰越駅付近に集中しています。さらに勧行寺・本成寺・妙典寺・東漸寺の四社が「4つでひとつでよくない?」と思うほど隣接しているというよりほぼ同じエリア内にあります。

Google Map 腰越
①本龍寺 ②勧行寺 ③本成寺 ④妙典寺 ⑤東漸寺

宿場町 腰越


源義経の腰越状で有名な腰越ですが、義経が鎌倉入りを許されず腰越で待機させられていた事実からも、腰越は鎌倉街道の駅・宿場としての土地柄だったようです。満福寺が義経の滞留場だったとも云われています。その他、小動神社にその別当寺だった浄泉寺、前述した龍口寺輪番八ヵ寺と、これら多くの寺社が密集する様相に、往時の宿場町としての賑わいが伝わってくるようです。

満福寺から

恐怖の五頭竜


腰越という地名の由来はいくつかあります。『かまくら子ども風土記』によれば、その一つに、深沢にあった湖に五つの頭を持った竜(五頭竜)が住んでおり、津村の港に来ては子どもを食べてしまうため、人々は泣く泣くこの地を離れたことから この辺りを「子死越」「子死恋」と云うようになったとあります。また、その五頭竜の難を逃れるために人々が腰まで水に浸りながら避難したことによるという説などもあるそうです。ここまでだと、竜が出てきてなんたら~と、よくあるファンタジーな昔話に大した興味も出ませんが、竜は川の氾濫や津波を意味していて水が人を襲ったのだという見解があるそうです。そう言われると「なるほど~」と聞く耳を持ったのは私だけでしょうか。

妙典寺から江ノ島方面

旧鎌倉街道


下地図画像は腰越周辺です。芳賀善次郎著『旧鎌倉街道 探索の旅』によると、赤のラインで示した道が旧街道だとありました。鎌倉から来て海岸線134号から小動岬を右折して龍口寺に向かう江ノ電が並走している通りです。そして白線が鎌倉高校前にある日坂から連なる道となります。『かまくら子ども風土記』によれば、新田義貞が鎌倉攻めの際にここを通ったことからその名が由来するとありました。こちらは地図上で確認した限りなので強引ですが、道を結ぶとまた龍口寺に通じます。この白線も旧道なのかわかりませんが、宝善院前が地元では本道だと伝わっていることや、阿弥陀池跡・観音堂跡など意外にも旧蹟が線上に残されているのも確かです。

Google Map 腰越

江ノ電が並走する旧街道

龍口寺に近接する本蓮寺には宗尊親王や西行などが立ち寄った形跡を示す碑などが残されています。また、後深草院二条が鎌倉に入る前に江ノ島に一泊していることや、北条泰時が承久の乱で上洛する際に江ノ島に泊まっていることなどが文献・資料で確認できます。電車・バスなどの公共機関や車などで現代では何処からでも鎌倉に進入できる我々にはあまりピンときませんが、こうして歴史上の人物が辿った道を確かめると、確かにこのまま鎌倉に向かうと極楽寺坂にぶつかります。極楽寺坂が西側からの玄関口だったというのが頷けてきます。

腰越駅付近



より大きな地図で 江ノ島・腰越 を表示

探索期間 2013年5月
記事作成 2014年3月19日

江ノ島・腰越エリア関連記事


江ノ島

鎌倉時代の人達も参詣した江ノ島の神社や岩屋などの史跡

腰越

中世の駅・宿場町だった腰越

満福寺

義経の腰越状で知られる古刹

龍口寺

龍ノ口の法難跡と伝わる日蓮宗の聖地

本龍寺

比企能本の邸跡とも伝わる龍口寺輪番八ヵ寺の一つ

常立寺

片瀬・江ノ島道に立地する龍口寺輪番八ヵ寺の一つ

本蓮寺

前身は開創595年の古刹で龍口寺輪番八ヵ寺の一つ

桟敷尼とぼたもち寺

日蓮に帰依していた桟敷尼とぼたもち寺の由縁に迫る!

宝善院

往時は龍口明神社別当寺だった宝善院

小動神社

八王子宮に由来する腰越の鎮守

鎌倉~江ノ島サイクリングコース

鎌倉の海を堪能する爽快サイクリングコース

鎌倉遺構探索リンク