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魅惑の廃寺・寺院跡
鎌倉遺構探索がこれまでに紹介してきた廃寺・寺院跡の記事をまとめてみました。完全に跡形もなく住宅街となってしまったものもありますが、寺院跡の様相を残すエクセレントな史跡もまだまだ残されています。
大町釈迦堂口遺跡
基本的に立入禁止エリア。やぐら・石切り場跡・切通し・掘割状地形などなど鎌倉を代表する土木遺構が残る退廃的に美しい寺院跡。これだけの遺物を残しながら、未だに寺院名・谷戸名も判明しない謎めいたところがまたミステリアスで魅力的。
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仏法寺跡
極楽寺支院で、雨乞いなどの祈祷に用いられ、請雨池跡や塚などが現存しています。標高の高い平場から眺める視界いっぱいに海が広がる景色は圧巻。誰もいない山頂にあるため、未だに霊場のような雰囲気も感じられます。五合枡と呼称される城郭遺構が隣接しているのもお得感倍増。
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多宝寺跡
浄光明寺のお隣にあった律宗寺院跡で、毎年4月に行われる鎌倉まつりの時期に見学できます。馬蹄形をした寺院跡にやぐらなどが残されている他、覚賢塔と呼称される3mもの五輪塔が今もその地に安置され、寺院跡としての雰囲気が未だに漂う。
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無量寺跡 無量寺ヶ谷
発掘調査から瑞泉寺のような臨池伽藍のお寺だったことがわかっている安達氏の菩提寺・無量寺と無量寺ヶ谷。
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東勝寺跡
得宗家の詰の城で、北条氏一門及を含む大よそ800名が自害した鎌倉幕府終焉の地。平場ややぐらが残されていて、なおかつ裏山はハイキングコースとして整備されています。その裏山には平場や古道跡の他、S字状掘切道など当時のものらしき城郭遺構などが残存しています。
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永福寺跡
源頼朝が建てた三大寺院の一つという歴史的価値の高さに加え、中心伽藍部分が史跡公園として整備されています。当時の苑池の石組みなども見られます。天園ハイキングコース出入口が近くにあるので、ついでの見学にも適しています。
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月輪寺跡
美しい自然に埋もれる鎌倉の僻地に残された寺院跡。その正体はほぼ謎に包まれているが、北条高時の首を埋めたとされる首やぐらが近接している。
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浄源寺跡
頼朝が建立した龍華寺の前身とも云われ、一説には忍性も住していたと伝わっています。丘陵部にはやぐらをはじめとする大量の遺跡群が残されていましたが、何か変?
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新清涼寺跡
谷戸一帯が寺院跡とされています。見ることは出来ませんが、丘陵部には現在も100基以上を数えるやぐら群が残されているそうです。忍性の師である叡尊が鎌倉下向の際に住した釈迦堂があったと云われています。
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東林寺跡
跡地は墓地として活用されていますが、丘陵壁面にはここでしか見られない「アパートやぐらが」現存しています。ここにも忍性の伝承が残されています。
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浄林寺跡
17世紀に建立されたと伝わるお寺に何故かやぐらが残されています。調べてみるとなんと、その縁起は中世に遡ることに・・
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白山寺跡
既に辺りは住宅街となっているものの、やぐら・切通し・磨崖仏などが残されています。称名寺の末寺だったようですが詳細は不明です。
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円通寺・東照宮跡
境内跡地を見ることはできませんが、裏山部分に残された東照宮に関連すると思われるかすかな痕跡が残されていました。
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能仁寺跡
上杉氏の金沢における拠点となった禅宗寺院。近世に陣屋として活用され、二重三重の歴史が重なっています。
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嶺松寺跡
もとは土着の豪族で六浦氏の邸跡と云われています。千葉氏や金沢流北条氏が創建に関わった痕跡がみられますが、不明な部分が多いのも確か。
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