2014年4月3日木曜日

増上寺


増上寺


港区にある増上寺に行ってきました。桜がキレイでした。増上寺はご存知、徳川家の菩提寺です。鎌倉寺社ではありませんし、鎌倉期のお寺でもありませんが、個人的に幼少期から知っている特別感のあるお寺なので今回記事にしてまとめてみました。鎌倉で歴史に興味を持ってから改めて増上寺に来ると、また見え方も違ってくるものだと実感する今日この頃です。



往時の増上寺


まず特筆すべきは、往時の増上寺の敷地範囲です。下画像は現地の案内板です。現在の増上寺もなかなかの敷地面積ですが、①大門から⑥プリンスホテル・⑦東京タワーなどを含むここで描かれている範囲全てが往時の寺域です。凄い広さです。建長寺が3つか4つ入るんじゃないでしょうか。

①大門 ②松原 ③増上寺 ④有章院霊廟ニ天門 ⑤御成門 ⑥プリンスホテル ⑦東京タワー 
⑧台徳院霊廟惣門 ⑨東照宮 ⑩丸山古墳

増上寺三解脱門


増上寺縁起


増上寺は鎌倉の光明寺と同じく浄土宗七大本山の一つで、関東十八檀林の一つでもあります。明徳四年(1393)の創建で、当時は現在の千代田区紀尾井町辺りにあって、慶長三年(1598)に現在地に移転してきました。しかも当初は真言宗で光明寺と号していたそうです。浄土宗八祖の聖聡が明徳四年(1393)に増上寺としたそうなので、元々のお寺は更に古い歴史を持つようです。



徳川家霊廟


タイミング良く期間限定公開の徳川家霊廟に入れました。鎌倉で見る原型さえもよくわからない石塔を見慣れたせいか、この徳川家代々の墓塔の壮大さに改めてビックリです。もちろん時代が違うので当たり前ですが、鎌倉で知識を得た私には同じ呼び名とは思えぬ宝塔が立ち並んでいます。

徳川家霊廟

墓塔は6代家宣・7代家継・9代家重・12代家慶・14代家茂の歴代将軍の他、和宮やお江などのものです。2代目秀忠の宝塔は木造だったため、戦時中の東京大空襲で焼失していまい、奥さんのお江と合祀されています。「2代目の秀忠さんがそんな扱いなの?」と思わずお寺の方に聞いてしまいましたが「夫婦仲良かったから」と微妙に納得しづらい答えをいただきました。さらに元はといえば、これら歴代将軍の一人ずつに豪華絢爛な霊廟がありましたが、そちらも戦時中に焼失してしまったそうです。増上寺から当時の写真をいただきましたが、一つ一つの霊廟がほぼお寺並みの豪華絢爛さでした。



丸山古墳


なんと、この都心のど真ん中に古墳があったなんて皆さんご存知でしたか。増上寺に隣接する東照宮の後ろに旧態で残された丘陵があります。これを丸山古墳と云います。古墳頂部や後円部西側が削られてしまっていますが、全長106mの都内最大級の前方後円墳です。ただ、Google Mapの航空画像で確認しても前方後円墳の形状は残念ながら確認できません。

丸山古墳頂部

現地案内板によれば、古墳の主体部分(埋葬施設)が失われているため遺体や副葬品などは不明であるものの、南武蔵地域有数の族長の墓で大よそ5世紀頃に造営されたと考えられています。


増上寺遺跡


台徳院霊廟跡に水路跡として四段の石垣が検出されています。石材は鎌倉でもお馴染みの安山岩です。鎌倉地産の石とは対照的に、加工しづらい反面風化しにくい特徴を持ちます。そういえば鎌倉市教育委員会の調査報告書に、近世で鎌倉地産の石が江戸に運ばれたとありましたが、一体どこで使われているのでしょう。

石垣の一部


台徳院霊廟惣門


二代目秀忠の霊廟があった場所です。街の景観を大事にする鎌倉では寺社を拝観していてビルが視界に入ることはありません。とても素晴らしいことだと思っていましたが、鎌倉でその景色を見慣れると、東京タワーや高層ビルに囲まれたお寺というこのミスマッチな景観に逆に改めて新鮮味をおぼえます。

台徳院霊廟惣門



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探索期間 2014年3月
記事作成 2014年4月3日

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