山号寺号 飯盛山仁王院青蓮寺
建立 弘仁十年(819)
開山 空海
中興 善海
青蓮寺は弘法大師の創建と伝わる古刹で、手広に所在しています。湘南モノレールが通る西鎌倉の辺りです。観光客からすると、鎌倉中心部からも遠く、周辺にこれといった史跡もないことからポツンと取り残されている感は否めません。なかなか行く機会がありませんでしたが、私は
仏行寺や
大慶寺などが所在する
深沢方面に向かう際にあわせてスケジュールに組み込みました。青蓮寺前面通りは大船~腰越間を通る県道304号線です。青蓮寺の裏山を切り崩したような様相です。
 |
青蓮寺前を通る県道304号線 左に見える建物が青蓮寺 |
谷戸坂の切通
青蓮寺前面通りを挟んだ向こう側丘陵部裏側に谷戸坂の切通と云われる坂道があります。周辺が大々的に宅地造成されていました。旧態で残された切通しですが、私が以前にネットで見た姿とは違っていたのにちょっとショックです。「いつやるの? 今でしょ」で一世を風靡した塾の先生じゃありませんが「いつ行くの? 今でしょ」ぐらいの気持ちで鎌倉の史跡をめぐらないとダメだとこのとき思いました。鎌倉の宅地化の波は早いです。
 |
谷戸坂の切通入口付近 |
 |
谷戸坂の切通 |
切通しは通行禁止となっていましたが、記念に入ってみることに。切り通された壁面が思ったより高くて迫力があります。残念ですがこの道が消えてしまうのも時間の問題でしょうか。
青蓮寺縁起
弘仁十年(819)弘法大師が関東地方を廻っていたときのこと、大師が手広に滞在し17日間の護摩焚きをしていたところ、天女が現れ「私は西南の孤島に行って、御利益のあるのを待っています」と云い一粒の骨を大師に渡しました。翌日、池に青い蓮の花が咲いたことから、このお寺が青蓮寺と号する由来になったと云われています。大師はその後、天女の言っていた西南にある孤島、すなわち江ノ島に行って弁財天像を作ったと云われています。
 |
青蓮寺境内 |
 |
本堂 |
以前は弁天社が本堂で山門を入った正面にあって、智証の作と伝えられる不動明王と運慶の作と伝えられる愛染明王が祀られていたそうです。そして本尊として祀られている弘法大師像が有名なことから青蓮寺が鎖大師とも呼ばれています。像は鎖でひざが動く仕組みになっているから鎖大師なんだそうです。鎌倉時代の彫刻で神仏分離のときに鶴岡八幡宮や
寿福寺を経て青蓮寺に移されたそうです。
裏山石仏めぐり
裏山部分が歩けるようになっています。
安国論寺裏山にあるような気軽なプチ・ハイキングコースといった感じです。所々に石仏が置いてあったので、巡礼路のように整備されているのかもしれません。とりあえずよく分かりませんがそれぞれにご挨拶してまわってみました。こうして健康に過ごせて休日に鎌倉に来れて幸せです。有難うございます。・・できれば私のビジネスに一筋の光をお与え下さい。
 |
裏山から見た景色 |
一箇所に切岸と狭いながらも平場が残されていました。鎌倉の文献・資料でよく出てくる山中の草庵みたいな、修行僧が一人で住むぐらいのほったて小屋ぐらいは建てられるようなスペースです。また、弘法大師が護摩焚きをやったと上記しましたが、それがここ青蓮寺の裏山である飯盛山なんだそうです。頂部にそれを示す石碑が立てられていました
 |
巡礼路途中にあった平場 |
 |
巡礼路から見た本堂 |
青蓮寺の寺格
『鎌倉市史 考古編』によると、青蓮寺は天正十九年(1591)に徳川家康から25石を寺領として寄進されました。しかしこの残された寄進状案は花押のある判物で、鎌倉では鶴岡八幡宮・建長寺・円覚寺・大長寺に出されているだけのものなんだそうです。ですからこれらそうそうたる鎌倉寺社と同列に家康さんから青蓮寺が高い寺格と認められていたことが分かるとありました。また、この寄進状案から推測するに、小田原北条氏の時代から名刹であった可能性が高いようです。それから『関東古義真言宗本末帳』の写しには25の末寺が記されているとあったので、往時ではかなりの大寺院だったようです。
 |
境内にあった中世のものと思われる石塔 |
そんな青蓮寺も、寛政十二年(1800)には末寺檀方へ金を貸して利息をとりたいという願書が残されている他、大正時代には経営に苦労していると記された資料があったり、さらに昭和25年には鎌倉市内にある末寺がほとんど大覚寺派に転派する状況となりました。近世で栄えた寺社は大抵現在でもその名残りを残しているように思えましたが、青蓮寺のように近現代で一気に衰退するパターンもあるみたいです。
熊野神社
熊野神社が隣接しています。手広の鎮守で青蓮寺子院の宝積院が管理しています。狛犬の姿って神社によって全然違うんですよね。
 |
手広熊野神社 |
弘法大師のたどった道?
さて、手広というこんな鎌倉市の果てまで来てしまってどうしようと悩みます。ちなみに鎌倉駅から自転車で来ました。戻るにしろ進むにしろどちらにしろ遠いのは確かです。どうせ同じなら海が見たいし進んでみようと思い、
腰越方面に向かいました。本当にこちら鎌倉の西側には何もありませんでしたが、片瀬山の最も標高の高いと思われる箇所に到着したところ、遠くを見渡すことができました。海と腰越・七里ヶ浜辺りの街並みを見下ろせます。そういえば、青蓮寺から江ノ島に向かったとされる弘法大師ですが、大師もここを通ったのかもしれません。
 |
片瀬山辺りから |
より大きな地図で 深沢 を表示
探索期間 2014年4月
記事作成 2014年5月13日