2014年5月2日金曜日

佐助稲荷神社


社号   佐助稲荷神社
祭神   宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)他
再建   建久年間(1190年~1198年)


佐助稲荷神社は、佐助ヶ谷の最奥に所在します。鎌倉駅江ノ電口から真っ直ぐ佐助ヶ谷を目指して来るのが一般的ですが、源氏山からも近い大仏裏ハイキングコースからもアクセスできます。近くに有名な銭洗弁財天があります。


佐助稲荷神社由縁


源頼朝がまだ伊豆の蛭ヶ小島にいたとき、かくれ里の稲荷と名乗る老人が夢枕に立ち、平家討伐の挙兵を促しました。その後に幕府を開いた頼朝は、かくれ里に祠を探しあて稲荷社を建てたと伝えられています。佐殿(頼朝)を助けたので「佐助」の名を付けたと云われています。祠を実際に探し出したのは畠山重忠と『かまくら子ども風土記』(以下風土記)にありました。

鎌倉広しと言えどもここまで祠が並べられているのを見たのは初めて

稲荷神社境内


どこまでも続くたくさんの鳥居をくぐった先に拝殿、やや高い位置に本殿があります。建物がなくともこの段状地形から、ここに何かがあったと分かる素敵な地形です。横井戸のような窟穴が「霊狐泉」として祀られていました。

拝殿
本殿

下画像は、本家熊野神社にある巨石信仰みたいです。行ったことありませんけど。大々的な石切り場だった名越や神武寺の辺りならこの程度の岩石がそこら辺に転がっていましたが、この辺りではそのような造作を見なかったので、まさかの本当の巨石信仰なのかもしれないと思ってしまいます。ここから大仏裏ハイキングコースにアクセスできます。


鶴岡八幡宮の御旅所


稲荷神社といえば、町のいたる所にある身近な雰囲気がありますが、『鎌倉市史 社寺編』(以下市史)に、正平十四年(1359)尊氏の御判の御教書には、凶徒退治の祈祷を佐介谷稲荷社別当三位僧都に命じているとありました。ここってそんな凄い祈祷を受け付ける所だったの?と、現在のこのほのぼの感たっぷりの様相からも想像できずビックリしてしまいましたが、これはどうやら、佐助稲荷が鶴岡八幡宮の非常の際の御旅所であったことに由縁するようです。御旅所(おたびしょ)とは、神社の祭礼のときに神輿を一時的に安置するための場所とありました。・・いまいちピンときませんが、とにかく鶴岡八幡宮に関係しているのは確かで、御教書で祈祷を命じられた三位僧都という僧侶も鶴岡八幡宮の供僧だったようです。


佐介上人とは


光明寺を開いた記主禅師は佐助稲荷のお使いの白い狐を助けて、色々な病気が治る薬を授かったという伝説があります。市史にも佐介上人と呼ばれた記主禅師とあります。これは光明寺を開いた良忠のことです。光明寺の前身である蓮華寺がここ佐助ヶ谷にあったと云われていますが、その開山である良忠の伝承がこうして残されています。この辺りに蓮華寺があったこと、そして良忠が佐助に居たことなど、それら伝承が実感できます。銭洗弁財天の方に光明時畑と呼称される場所があります。その名からも蓮華寺に関連する土地だと云われています。

光明寺畑



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探索期間 2014年4月
記事作成 2014年5月2日

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