2014年5月28日水曜日

願成就院


山号寺号 天守君山願成就院
建立   文治五年(1189)
開基   北条時政


韮山の西側で、狩野川と下田街道の間に守山と呼ばれる丘陵があります。願成就院はこの丘陵を背に所在しています。北条時政が文治五年(1189)に奥州合戦の戦勝祈願のために建立しました。現在の境内は往時のほんの一区画に過ぎず、願成就院から北側にある光照寺の辺りまでが境内だったと考えられています。

Google Map 伊豆韮山
①願成就院 ②守山八幡宮 ③光照寺 ④成福寺 ⑤堀越公方邸跡 ⑥北条氏邸跡・円成寺跡 ⑦真珠院跡 ⑧真珠院 ⑨子神社 ⑩満願寺跡 ⑪信光寺

願成就院境内


下田街道から入ってくるとその奥に願成就院があります。下画像の撮影位置はちょうど旧下田街道位置となります。現在は住宅が建ち並んでいますが、往時ではこの辺りまで敷地内になっていたと思われます。

正面奥が山門 その奥にそびえるのが守山

山門をくぐった正面に大御堂、左手に北条時政の墓所、そして鐘楼、本堂があります。本堂は寛政元年(1789)に仮本堂として建立されたもので、大御堂は昭和の建立なんだそうです。

大御堂

時政の墓は、宝篋印塔の隅飾部分だけを四段重ね合わせています。ナニコレ・・と思いましたが、もしかしたら頼朝や大江広元の墓と同じく層塔に見立てているのかもしれません。時代設定などを考慮したうえでの配慮かもしれないので、観光客に対するちょっとしたサービスなのだと・・好意的に私は受け取りました。

北条時政墓

境内奥には足利茶々丸の墓、それから願成就院では一般の人達に自分に似せた石像を作ることを勧めているそうです。そうした石造物が置かれています。

足利茶々丸の墓
石像群

発掘調査の結果


現在住宅街となっている願成就院の東北部では池跡が確認されており、南北150m・東西88mの楕円形で中の島があったと想定されています。願成就院は平泉の毛越寺や永福寺と同様に臨池伽藍を有する浄土庭園様式の寺院であったと推測されています。

永福寺 CG想定図

境内奥では石列・基壇跡・井戸・溝などが発掘調査で確認されていますが、『吾妻鏡』の健保三年(1215)の記事にある、義時が時政の菩提を弔うために建立したとされる「南新御堂」や『吾妻鏡』の承元元年(1207)にある時政が建立した「南塔」跡ではないかと考えられています。

境内奥 石列・石敷・段状遺構が発見された辺り
境内奥からの眺め 丘陵部寄りなので本堂や大御堂より高い位置にある
基壇跡が見つかった辺り 南塔もしくは南新御堂跡か

発掘調査の結果、詳細な伽藍構成までは分からなかったものの、旧大御堂・南塔・南新御堂などが現在の境内にあったと考えられています。また建物は守山を背に下田街道に向かって建てられていたようです。往時の願成就院は、少なくとも現在の様相からは想像も付かない豪華大寺院だったのではないでしょうか。同じく浄土庭園様式を兼ね備えた金沢流北条氏の菩提寺称名寺がイメージに近いのかもしれません。

称名寺

願成就院縁起


寺伝によれば天平元年(729)行基が聖武天皇の勅を奉じて建立したと伝える古刹だとありましたが、一般的には、文治五年(1189)奥州征伐の戦勝祈願のために建立されたと考えるのが妥当なようです。但し、文治二年(1186)には運慶を招き仏像造立に取り掛かっているので、少なくとも文治ニ年(1186)には寺院として既に整備されていたと考えられています。時政死去後も義時や泰時が伽藍の整備に関わっていたようですが、それ以降はあまり文献・資料に登場しません。泰時世代から北条氏は鎌倉で生まれ育っているので、伊豆韮山に特別な思いはなかったのかもしれません。


山号の「天守君山」の「君」とは頼朝のことを指すそうです。曽我兄弟の仇討ち事件など、時政が頼朝を暗殺しようとしていたなどと色々ささやかれてはいますが、この山号からはどちらかというと、時政は頼朝を大事な婿殿として大切にしていたように思えます。


願成就院のお宝


上記したように、北条時政は運慶に仏像造立の依頼をしていますが、なんと、それらが現在も残されています。大御堂にある五体の像のうち、本尊を除く四体は胎内にあった銘札から、時政の依頼により運慶が造ったということがわかっています。銘札のなかった本尊もその作風から運慶のものだと考えられています。運慶の作品は東日本では横須賀の浄楽寺とここ願成就院にしかない貴重なものです。しかもこれがですね、願成就院では普通に見せてもらえます。また、宝物殿では、境内で発掘された遺物の他、北条政子七回忌追福菩提のために北条泰時が奉納したと云われる地蔵菩薩像などがあります。これら仏像を見るだけでも韮山に来る価値はあると思います。仏像は撮影禁止だったので画像を掲載できません。あしからず。




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探索期間 2014年5月
記事作成 2014年5月28日

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