2014年5月29日木曜日

成福寺


山号寺号 晴雲山成福寺
建立   正応二年(1289)
開山   北条正宗


伊豆韮山の西側で守山と呼ばれる丘陵部があります。一帯は御所ノ内と呼ばれ、北条氏に関連する史跡が並んでいます。地図画像④の成福寺もその御所ノ内エリアで、もともと北条氏に関する建物があったと考えられています。境内では、土塁・堀・水路などの遺構が発掘されています。寺縁起によれば、時政の父の平時家の持仏堂が成福寺(天台真言宗)の前身であったと伝えられています。

Google Map 伊豆韮山
①願成就院 ②守山八幡宮 ③光照寺 ④成福寺 ⑤堀越公方邸跡 ⑥北条氏邸跡・円成寺跡 ⑦真珠院跡 ⑧真珠院 ⑨子神社 ⑩満願寺跡 ⑪信光寺

成福寺境内


下画像の山門から見える範囲が境内です。その他奥は近現代の墓地となっています。特筆すべきは、高台でもないただの平地なのに、普通に富士山が見えます。成福寺ではここが『吾妻鏡』にある「頼朝亭」だと伝わるとありましたが、有り得るかもしれません。ここに家を建てると、リビングから普通に富士山を眺められます。時政が婿殿頼朝のために、御所ノ内エリアでも最高の富士山ビューポイントに「頼朝亭」を建てたのかもしれません。

本堂
普通に富士山

成福寺縁起


寺縁起によると、 正応二年(1289)北条正宗が両親の遺骨を鎌倉より分け持ち帰り、邸の高土手に墓を造り、また一族の供養塔を建て菩提を弔ったのが始まりとされています。正宗は執権時宗の子で幼名を満市丸と云うそうです。境内には時宗夫妻と正宗の墓とされる中世の石塔が置かれており、また北条氏歴代墓所としてこちらにも中世のものと思われる石塔が並べられていました。

北条時宗夫妻と正宗の墓所
北条氏歴代墓所
ここからも普通に富士山

鎌倉の成福寺


鎌倉の子袋に同じ名前のお寺があります。『かまくら子ども風土記』にその鎌倉の成福寺の縁起が記されています。「小田原北条氏によって焼き討ちなど迫害に遭ったため、九代目長老の宗全は伊豆の北条に落ち延びそこに同じ成福寺という寺を建てました。」とあります。つまり鎌倉の成福寺が迫害に遭ったため、この地に逃れ同名のお寺を建てたとあります。正宗なる人物も出てきませんし、鎌倉側の資料だと創建は小田原北条氏の時代で中世末期となるでしょうか。鎌倉と伊豆の縁起が随分と異なります。全くかみ合っていませんね。

鎌倉の成福寺

下画像のこの鉢がたくさん並んでいる光景、何処かで見たような・・と思ったら、鎌倉の成福寺にもこうしてたくさん鉢が並べられていたのを思い出しました。。両者は今でも関係あるのでしょうか。こちら伊豆の成福寺では蓮が咲くんだそうです。もしかしたら鎌倉の成福寺もそうなのかもしれません。

伊豆の成福寺

成福寺の住職は北条氏子孫?


境内の案内板に「今も北条氏の子孫が法灯を護り現在に至っている 住職北条秀門」とありました。もしかしたら住職は北条氏の子孫なんでしょうか。そうだとしたら、寺縁起からは得宗家の血筋に当たると思われます。顔を見てみたい衝動に駆られます。ちなみに北条氏の子孫として一番の有名人といえば、東勝寺の腹切やぐらにある塔婆に名前が記されている下画像のこちらの方。もしかしたら成福寺の住職もこんな渋くて格好イイんでしょうか。

腹切やぐらにある塔婆



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探索期間 2014年5月
記事作成 2014年5月29日


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