2014年5月3日土曜日

葛原岡神社


社号   葛原岡神社
祭神   日野俊基
創建   明治20年(1887)


源氏山(葛原岡)ハイキングコースの中間点にある葛原岡神社は、明治20年の創建です。中世の痕跡を追い求める私からすれば「ほぼ現代じゃん」としか思えず、源氏山近辺には何度も訪ねたものの、いつも通り過ぎていました。しかし、梶原御霊神社に訪れ、その由縁を調べると、もとはこの葛原岡神社の建つ地にあったというじゃありませんか。そんな訳で、このたび御霊神社跡としてこの葛原岡神社に初めて立ち寄ってみました。が、しかしなんと、神社の奥には私が追い求めていた宝物のような景色が待ち受けていました。

葛原岡神社

祭神 日野俊基


祭神として祀られている日野俊基は、鎌倉末期、後醍醐天皇の側近として倒幕計画に参加します。計画が鎌倉方に漏れ、(1324年)と元弘元年(1331年)に幕府に捕らえられます。一度は処罰を免れたものの、二度目となった元弘元年(1331年)の翌年、ここ葛原岡に連行され処刑されます。日野俊基は、文章博士(もんじょうはかせ)と云って、律令制大学の教官で詩文や歴史を教授していました。

境内にある日野俊基石碑
日野俊基墓所

処刑される前に詠んだとされる博士の辞世の句です。
「秋をまたで葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや世に残るらん」


葛原岡神社由縁


葛原岡神社によれば、明治20年(1887)に宮内省からの下賜金をもって社殿を造営し、鎮座祭が執り行われたとありました。化粧坂上となるここ葛原岡辺りは、往時では処刑場だったと云われています。化粧坂上は、その他に幕府指定の商業区域となっていました。処刑場に商業施設と、ちょっと現代の我々からはピンとこない組み合わせですね。


また由比ヶ浜の鎮守だとありましたが、化粧坂には燈炉堂(とうろどう)といって、夜に火が灯され、由比ヶ浜の海上を進む船の目印として灯台の役割を果たしていたものがあったそうなので、そうした歴史が由来しているのかもしれません。ただ、葛原岡辺りからはあまり景色が見えません。大仏裏ハイキングコースに近づいた辺りから和賀江嶋の辺りを眺めることができますが、それでも凄く遠いような気がします。

源氏山大仏裏ハイキングコース寄りから眺めた景色 これでもズームしている

葛原岡神社境内


鳥居をくぐると稲荷社があって、その奥に社殿が建っています。側に博士の石碑がありました。結構スッキリしています。

稲荷社
本殿

そして本殿の奥に悩ましい地形が見えてきます。まず隣接する社務所が境内より一段低い場にあります。さらに本殿奥に盛り上がった地形が見えるので、この辺りだけですでに三段のひな壇状地形となります。

本殿奥にある地形

盛り上がった地形に上がると、驚いた事にまたその上に平場があります。しかも凄いのが、草木をキレイに刈ってあるので地形が見やすく確認しやすくなっています。これほどまでにひな壇状地形をクリアに見たのは初めてです。鎌倉から金沢に逗子方面と、これまで色々と足を伸ばしてきましたが、源氏山付近というこんな身近な場所に私が見たかった風景があったとは、ちょっと驚きを通り越して軽く卒倒しそうです。

本殿奥の平場から見た社務所のある平場
本殿奥の平場から上がった先の平場 また向こうに盛り上がった地形が見える

なんて思っていると、最頂部平場の上にもまだ盛り上がった地形がみられます。塚のようにも思えます。処刑場に関連するものなのか、それとも往時にあったとされる梶原御霊神社の名残りなのか、分かりませんが、かなり神聖な場所だったんではないかと思えてきます。

最頂部の平場から この明瞭なまでの段差感・・ 
最頂部平場中央にあった塚とも思える地形

そのまま、ハイキングコース寄りに移動できます。誰もが歩いたであろういつもの尾根道を上から眺められます。

ハイキングコースが下に見える

ちょっと感動しながら神社付近にあるテーブルで休んでいると、目の前の平場はが公園として整備されているものの、地形的に見ると神社より更に一段低い位置になっていることに気付きます。この地形を合わせると、この辺りはなんと5~6段のひな壇状地形となります。しかも鎌倉市教育委員会の調査報告書を読むと、全てではありませんが、これら源氏山公園近辺の平場は元々あった地形を活かして公園として整備されているといった旨が記されていました。ですから、この5~6段のひな壇状地形は往時からあった可能性が有り得るんですね。凄いです。そういった観点で見ると、確かにこの化粧坂上と云われる源氏山近辺は段差のある地形の連続です。

神社社務所より一段低い平場
源氏山周辺の地形 いちいち段差だらけ

葛原岡のひな壇状地形が往時ではどのように活用されていたのか、また、どこに処刑場があってどこに商業施設があったのかなど、そこまでは分かりませんが、あの地形から少しだけ当時の情景が浮かんできたようでした。

葛原岡から見た景色



より大きな地図で 源氏山 を表示

探索期間 2014年4月
記事作成 2014年5月3日

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