2014年5月1日木曜日

銭洗弁財天 宇賀福神社


社号   宇賀福神社
祭神   市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
創建   文治元年(1185)


ご存知、大仏と並ぶほどに人気のスポット銭洗弁財天ですが、私がこうして鎌倉に興味を持つ前に、鎌倉をデートスポットの一つぐらいにしか考えていなかった頃の私でさえ来たことがあるので、今さら説明する必要もないでしょうか。今回、鎌倉遺構探索として訪れましたが、お金を洗ったこと以外何も覚えていない自分にもビックリしましたが、それよりもこんなにも窟穴だらけのエクセレントなスポットだったとは思いもしませんでした。

銭洗弁財天・宇賀福神社
入口の隋道を抜けると鳥居が並んでいる

銭洗弁財天縁起


文治元年(1185)宇賀福神が源頼朝の夢の中で「西北の谷に湧き出す霊水で神仏を供養せよ。天下は泰平になるであろう」と告げました。頼朝はお告げの通り、この場所で岩の隙間から湧き出る水を探し、窟穴を掘り宇賀福神を祀ったのがはじまりと云われています。その後、正嘉元年(1257)に、北条時頼が「この水で銭を洗えば、その銭は何倍ともなり、家や子孫が長らく繁栄するだろう」と言って、巳の日に人々に参拝するよう促したことから、現在でも多くの観光客が訪れて止まない「銭洗い信仰」となりました。銭洗いの水は鎌倉五名水の一つです。

本殿
奥の院

入口の隋道を抜け、鳥居をくぐった先にあるのが本殿、その奥に銭洗い場となる奥の院があります。その他、谷戸の形状に沿って境内を巡回するように、上之水神宮・下之水神宮・七福神社などがあります。上・下の水神宮社は窟穴に社殿を設けているのかもしれません。その他、浅い掘り込みなどもいくつか壁面にみられます。

上之水神宮
下之水神宮

謎の横穴


ところで下画像のこれ、皆さん気付いてましたか。入口の上になんか横穴が並んでいます。釈迦堂切通の上に見えるやぐらぐらいの高さです。

矢印部分
ズーム画像 しかもなんか石塔がみえる

ということで境内を見終わった後、早速向かってみました。神社前面通りを源氏山方面に向かうと、銭洗弁財天の谷戸に沿そうような尾根道にアクセスできます。


先ほどの横穴方面の尾根上には立ち入りを拒む造作が見られましたが、「そこを何とかお願い」と勝手に独り言を言っていたら、「仕方ないなぁ」という頼朝さんと同じく宇賀福神の声が聞こえたような気がしたので奥に進んでみました。

尾根上の造作と宇賀福神の声

そのまま尾根を進むと、いつのものか分かりませんが、意味を成さない古~い造作がありました。このことからも、ここって昔は通れた、もしくは通っていた道なのかもしれません。

尾根上の造作


問題の横穴付近に到着。銭洗弁財天前を通る道を見下ろせます。ちょっと鎌倉遺構探索っぽくてドキドキします。下画像の位置からこれ以上は入口にたむろする観光客から「あんな所に人がいる」と指差されそうなのでここまでにしました。あと足場が怪しいです。カメラをズームしてみましたが、やぐらにしては壁面が直線的すぎるような気もします。ちょっと私の知識ではなんなのか判断できません。分からずじまいです。申し訳ないです。

矢印部分が前面通り このアングルだとあまり高低差を感じないけど結構高さがある
問題の横穴ズーム ・・やぐら?

旧逢坂


鎌倉市教育委員会の『化粧坂周辺詳細分布調査報告書』によれば、銭洗弁財天の前を通るこの道は、昭和15年に開削されたものだとありました。随分と掘り下げた感のある坂道です。ですから当時はあの入口のはるか上に位置する横穴のある場所が地面だったのかもしれません。ということは、銭洗弁財天の現在の入口部分が昭和15年以前では地中となるのでしょうか。となると、隋道部分も道が開削された昭和15年以降に掘られたものと考えなければ合点がいきませんが、聞いたことないですね、そんな話。また、この道筋を逢坂、もしくは大阪と云うそうです。江戸時代の鎌倉ガイドマップに描かれているそうです。

旧逢坂
源氏山方面への上り道

銭洗弁天やぐら群


この逢坂とも呼ばれる銭洗弁財天前の坂を登ると、やぐらがいくつか確認できます。やぐらによっては五輪塔まで残されています。画像をご覧のとおり、石塔類を置くスペースが設けられている造作がみられました。

銭洗弁天やぐら

かくれ里


このやぐらがある辺りから奥を入って行くと、銭洗弁財天のある谷戸の形状に沿うように道があります。上から境内を見下ろせるようになっています。箇所によっては切り通されています。これも昔からあったのでしょうか。

切通し

道はそのまま銭洗弁天の裏に通じてまた境内に戻れます。境内の奥に平場、そしてその奥に切岸がありました。ちなみに銭洗弁天の辺りをかくれ里と云うそうです。この尾根道から眺めた景色に、そう言われたからかもしれませんが、かくれ里といった雰囲気が何となく伝わってくるようでした。それにしても誰かがここに隠れたのでしょうか、それとも誰かを隠したのか、何から隠れたのか、この地名に一体どんな由来があるのでしょう。

境内奥にある平場
尾根道から見た景色 すぐ下に境内がある



より大きな地図で 源氏山 を表示

探索期間 2014年4月
記事作成 2014年5月1日

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