2014年6月13日金曜日

北江間横穴群


北江間横穴群は、江間に所在する10基からなる大師山支群と40基以上からなる大北支群で構成されている古墳時代横穴墓です。今回はその大師山支群の方へと行ってみました。鎌倉では見たことのない形状があったりと、興味深いものでした。

Google map 伊豆

この辺りは韮山よりさらに田園風景が広がります。しかし伊豆中央道の江間ICが近いので、車の交通量が多いことからそれほどほのぼの感は感じません。さて、現地に到着。看板がありましたが、付近に丘陵部登頂口らしき造作が見当たらないので、しばらく近くを捜索。

江間の辺り
北江間横穴群入口の看板

入口が本当にないので、改めて看板の場所まで戻ってよ~く観察すると、「ウソ~」と言いたくなる入り口がありました。何故こんなにも目立たない作りになっちゃったんでしょう。でもよく考えたら、鎌倉でも大仏坂の火の見口や天園の瑞泉寺口など、一見さん観光客には分かりづらい入口がありますよね。鎌倉でもこちらでも付近住宅との関係があるのでしょう。

あの家と家の間が入口・・
よ~く見ると石塔が

住宅裏が丘陵部になっていてちょっと登ったところにあります。横穴墓が。この雰囲気、この遺跡感、鎌倉のやぐら群と同じ感じです。


北江間横穴群大師山支群


北江間横穴群大師山支群は10基で構成されています。こちらも鎌倉と同じく凝灰岩を掘削して横穴を作っています。現地案内板によれば、横穴墓は7世紀から8世紀中頃までに作られたものと推定されており、規模の大きさに加え、岩石の掘削技術や石棺の加工と運搬技術の優れたもので、当時極めて有力な政治的経済的地位にあった者が埋葬されたと考えられるとありました。


中でも3基が非常に特徴的で鎌倉では見たことがない造作を確認できます。まずこちらは独立石棺タイプ。穴とは別に棺が用意されています。ビックリしました。玄室奥底部などにも細かい造作がみられます。ここで疑問が。棺の中は空っぽでしたが、棺の中の遺体まで盗掘されるんでしょうか。それとも1200年以上前だと骨も残らないのでしょうか。もしくは近現代で回収されてしまうのでしょうか。

独立石棺タイプ
石棺
棺内部

そしてこちらは横方向に設置された家型石棺タイプ。なんと字が刻まれた石板が置かれています。「当時のもの?」と期待してしまいますが、当時のものであれば案内板に何か一言あるはずなので、これは後世の、しかも近世か明治・大正とか、かなり最近のものでしょうか。何て書いてあるのでしょう。とりあえず読む気になれません。というか読めません。あしからず。

家型石棺タイプ
石板アップ

そしてこちらは縦方向に左右平行に設置された石棺タイプ。つまり棺が2つ左右に作られています。これも鎌倉では見たことありません。入ってみようかと思いましたが、意外にこれサイズが小さいんです。「子供用?」と思ってしまいました。昔の人は背が小さかったからでしょうか。

左右平行石棺タイプ
内部に棺型が模られている

横穴墓は、7世紀から8世紀中頃とあったので、鎌倉のものと時代的には変わらないと思いますが、微妙に異なるのは地域差でしょうか。そういえば、北条氏邸跡で発掘されたかわらけも、京風のものが一定量出土するとありました。伊豆はやはり関東より西の影響が強く表れる土地柄のようです。

丘陵から見た江間
石碑



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探索期間 2014年5月
記事作成 2014年6月13日

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