2014年6月5日木曜日

山木判官邸跡 香山寺


山号寺号 景雲山香山寺
建立   久寿元年(1154)
開基   平兼隆


山木判官


源頼朝の平家討伐の旗上げに際し、吾妻鏡が伝える「まず手はじめに攻め滅ぼすことにした」のが山木判官です。山木判官邸があった辺りとされる香山寺は、北条時政邸と同じく伊豆の韮山にあり、時政邸から直線距離にして大よそ2.7kmぐらいの場所にあります。そしてこの山木判官こと平兼隆は、『吾妻鏡』によれば、伊豆国の山木郷に流された流人であり、何年か経つうちに平相国禅閤(清盛)の権威を借りて、周囲の群郷に威光を振りかざすようになっていたとあります。実際そうだったのかもしれませんが、ストーリーの展開上、いかにも悪者を退治するかのごとく、ネガティブなことしか書かれていません。

山木判官邸付近から 普通に見事な富士山が眺められる

山木合戦の経路


合戦当日、面白い事に『吾妻鏡』には北条氏邸から山木邸に向かう経路が詳細に記されています。その前にまず、北条時政と頼朝のやりとりがみられます。

北条時政
「今日は三島社の神事があり、多くの人がやってきているので、きっと道は人であふれているでしょう。牛鍬大路を経由すると、行き来する人達に咎められてしまうので、蛭島通りを行くのがよいでしょう。」

頼朝
「思うところはその通りだ。しかし、大事を始めるのに裏道を使うことはできない。それに蛭島通りでは騎馬で行くことができない。だから大道を用いなさい。」

なんと三島社のお祭りでここ韮山まで人の往来で賑わっている状況のようです。そして興味深いのは「牛鍬大路」「蛭島通り」という道の名です。 現代語訳吾妻鏡の注釈によれば、牛鍬大路は三嶋大社と伊豆国田方郡北条を結ぶ大道、蛭嶋通りは蛭嶋を通る牛鍬大路の脇道とありました。つまり牛鍬大路とは、伊豆半島の中心を南北に通る下田街道のことを指していると思われます。そしてこの牛鍬大路はというと、現在北条氏邸の西を流れる狩野川が中世ではもう少し東側にあった、もしくは東側にも支流があったそうなので、この旧道跡はほぼ消滅したと思われます。

Google map 韮山
①北条氏邸 ②原木駅 ③慈光院 ④蓮華寺 ⑤香山寺(山木判官邸) ⑥下田街道 ⑦県道136号

ひとつ怪しいのが、韮山の下田街道と並行するように通る県道136号の存在です。記述にある牛鍬大路を踏襲しているかのような道筋です。ちなみに自転車で歩きスマホならぬ走りスマホをしていたら、この溝に落ちそうになりました。東京と違って交通量も少なく人もいないから大丈夫だろうと気を抜いていましたが、地方には地方ならではの危険なポイントがあるのだとこのとき肝に銘じました。

県道136号

そして山木判官邸に向かった一行は「原木を北に行き肥田原に到着した。」とあります。肥田原とは現在の函南で、上地図画像の②原木駅の上辺りです。この辺りの地理に詳しくなくとも何か遠回りしている感をおぼえますが、その後に時政が「兼隆の後見の堤権守信遠が山木の北におり優れた勇士である。兼隆と同時に誅しておかなければ後々の煩いとなろう。」と言って佐々木兄弟をその堤信遠のもとに向かわせます。「山木の北」とあるので、上地図画像の③慈光院④蓮華寺辺りが該当すると思われます。ですからこの遠回り感は強敵堤信遠を同時に討つための行程だったと思われます。上地図画像の①②③④は時政一行の大まかな行程ルートとなります。

山木判官の邸があった辺り 香山寺入口

佐々木兄弟の経高が堤信遠邸の前庭へと進み、そこで矢を放ちます。「これが平氏を討伐する源家の最初の一矢であった。」と吾妻鏡にあります。その後時政一行は山木判官を討ち取り、平家討伐の初戦を見事勝利で収めます。

香山寺境内


香山寺は丘陵部寄りであるため、鎌倉寺社と同じく平場が段々に造成されています。『吾妻鏡』に「兼隆の居所は要害の地」ともあったので、城郭遺構などを少し期待してしまいますが、裏山に車道が通っていたりと、意外に辺りは土地開発されています。微妙な感じです。

山門をくぐって登った辺り 高台なのが伝わるでしょうか

小さなお堂と額が飾られた庫裡があって、その奥を行くと本堂があります。それぞれの平場に段差があるひな壇状地形です。鎌倉みたいです。ただ建物それぞれの配置が不自然で、線上に並んでいません。何か事情があったんでしょうか。

庫裡
奥への通路
本堂

香山寺縁起


寺縁起によれば、久寿元年(1154)の開創で開基はもちろん平(山木)兼隆と伝わっています。創建当初は密宗で、尊氏の父の足利家時が元徳二年(1330)に臨済宗に改宗したとありました。このとき塔頭五院に七堂伽藍を擁する寺院となり諸山に列しています。その後に衰退を余儀なくされますが、韮山城にいた北条早雲が伽藍を整備し境内25000坪を寄付、慶長二年(1597)には内藤信成が再度興し、元禄五年(1692)に建長寺の末寺となりました。残念なことに嘉永六年(1853)の火事で堂字・宝物・古記録が残らず焼失してしまったそうです。

境内から眺めた景色

境内奥へ行くとこれまた平場が施されています。いつの時代のものでしょう。境内には中世のものらしき石塔も見当たらず、山木判官の痕跡をあまり感じることはできませんでした。

境内奥
境内には色々な種類の石が転がっている
裏山部分は車道が通っている



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探索期間 2014年5月
記事作成 2014年6月5日

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