2014年6月10日火曜日

指月殿


指月殿縁起


指月殿は、修善寺にて幽閉されその後に殺害された将軍頼家の菩提を弔うために、北条政子が建立したものです。「指月」とは経典を意味し、不立文字を解くための言葉であると現地案内板にありました。建立の際、北条政子が宋版大蔵経を寄進したそうですが、現在は散失してしまい8巻しか残されていないそうです。


修善寺から橋を渡り、何やら狭い路地を入って行くと指月殿が姿を現します。素敵な佇まいです。具体的な年代が記されていませんでしたが、伊豆で最古の木造建築と云われています。額の「指月殿」は同じくこの地に幽閉された 一山一寧の書と云われています。一山一寧は中国からの渡来僧で、蒙古からのスパイだと疑われこの地に連れて来られましたが、後に建長寺・円覚寺に住することとなります。

指月殿

そして驚く事に、鎌倉時代の作と伝わる指月殿本尊の貴重な釈迦如来坐像が普通に安置されていて普通に拝観できます。願成就院といい、伊豆は大判振る舞いの史跡が多くてビックリしてしまいます。さらに本尊の両脇には平安時代の金剛力士像が置かれています。指月殿はこの建物と後述する頼家墓所のある平場が奥にあるくらいなのですが、こんな貴重な仏像類を見れるだけで既に腹八分目状態です。

本尊の釈迦如来坐像
金剛力士像

釈迦如来坐像は金箔がまだ残っています。「持ち物のないはずの釈迦像が右手に蓮の花を持っているのが特徴」とありました。「なるほど~」と知ったかぶろうと思いましたが、それ以前に、お釈迦様は何も持たないという基礎知識を私はこの時初めて知ることができました。また、金剛力士像もそう言われれば、各地でよく見る仁王門に飾られたものとは違うように思えます。これはやはり創作時期の関係でしょうか。


源頼家墓所


指月殿の奥に頼家の墓所があります。 元久元年(1204)この地で何者かの手によって殺害されました。現在のところ、ほぼ北条時政の手の者であったと考えるのが妥当なようです。享年23歳でした。「ただの石碑?」と思うかもしれませんが、この石碑の後ろにひっそりと中世のものらしき石塔が置かれていました。

頼家墓所

さらに奥には十三士の墓が祀られています。十三士とは頼家の家臣で、頼家が殺害された後に謀反を企てましたが、未然に事が発覚し相州金窪太郎行親らに討たれています。しかし、これは全国的にもある十三塚の一例ではないかとも考えられています。確か田谷の洞窟で有名な定泉寺の近くにもそんな伝承がありましたね。

十三士の墓

塔の峰 鹿山


指月殿の裏山は鹿山と呼ばれています。正確には塔の峰と云うそうです。昭和初期までこの山中に老舗旅館の茶屋があって、鹿を飼ったり湯冶客が自然散策に訪れる私設公園だったとありました。私はこのことを鹿山をほぼ下山する辺りで知りました。指月殿の裏山にある数々の造作に「なんだろう?なにかあったんだろうか?」とドキドキしながら歩いていました。情報弱者というだけで責められるこんな世の中にあって、知らなくても幸せなこともあるのだとこの時思いました。

指月殿裏山の鹿山 

丘陵を登って行くと、丘陵部東側から修善寺を見下ろせる場所がありました。あらかじめ見た地図のイメージ通り、険しい山岳に囲まれた盆地のような土地柄です。確かに要人を幽閉するにはもってこいの場所でしょうか。


しばらく行くと、尾根上に数メートルにも渡って石列がみられます。上記したように、ここに老舗の旅館茶屋があることを知らずに「ここに何があったんだ?」とドキドキしながら散策していた幸せだった頃の話です。

石列

丘陵頂部と思われる箇所では大々的な平場が施されていて、そこから先にまた進める尾根がありましたが、しばらくすると建物が見えたので、それ以上の探索は打ち切りにしました。平場は茶屋の名残りでしょうか。但し、現代の建物があったとは思えないあまり削平されていない荒々しい感じです。

頂部平場
奥へと続く尾根道

近くには獅子にまたがった源義経像と伝わる石造物が置かれています。大正時代にとある彫刻家が作ったそうですが、義経ともチンギスハンとも云われているそうです。義経=チンギスハン説が流行ったのは大正時代ぐらいでしたっけ。像には笹リンドウの紋が刻まれているので、源氏一族であることは間違いないようです。

源義経?像

ハイキングコース各地にこちら下画像の歌が刻まれた石碑がいくつも置かれています。遠目からは何か史跡があるのかと思ってしまうので、紛らわしかったです。何度も騙されました。「桂谷八十八ヶ所」とあったので、周辺一帯に88個もあるようです。霊場札所めぐりみたいな感覚でしょうか。

歌碑

そして鹿山のクライマックス、岩谷観音。 塔の峰の観音さんとも呼ばれていたそうです。おしゃぶり婆さんと呼ばれる子宝子育ての神様が祀られています。今回の伊豆の旅で見ることが出来たやぐらのような造作です。

岩谷観音

昭和初期まで老舗旅館の茶屋があったいう情報を先に知っていれば裏山には行かなかったと思いますが、散策路としては素敵な場所でした。やぐらみたいな造作も見れたことですし。ちなみに伊豆におけるやぐらみたいな造作は、天野遠景の墓とここの2ヶ所で見ることができました。




より大きな地図で 伊豆遺構探索 を表示

探索期間 2014年5月
記事作成 2014年6月10日

指月殿 関連記事



修善寺エリア 関連記事


修善寺

将軍頼家が幽閉された山岳に囲まれた伊豆秘境の地


伊豆遺構探索のTOPに戻る