2014年6月9日月曜日

修善寺


修善寺は伊豆韮山の長岡から下田街道を大よそ12kmほど南下した辺りにあります。こちらも温泉街として有名です。そして何はともあれ修善寺といえば、将軍頼家、源範頼、一山一寧らが幽閉された地として知られています。修善寺は伊豆の真ん中にあって、海に出るにも険しい山岳に阻まれてしまいます。確かに要人を囲うには持ってこいの土地だと、実際に修善寺の地に来て思いました。

Google map 伊豆

源頼家


正治元年(1199)頼朝の跡を継ぎ二代将軍となった頼家は、後ろ盾となる梶原景時の失脚や外戚となる比企一族が滅ぼされたことから、北条氏との政争に敗れたかたちで修善寺に幽閉されてしまいます。その後、元久元年(1204)に入浴中に殺害されたと云われています。諸説あるものの、頼家の妻の若狭局と子の一幡は、比企氏邸があった現在の妙本寺で比企一族と共に亡くなったとされています。

比企氏邸跡妙本寺

当時の修善寺総門の位置は


修善寺に向かう途中にある横瀬という所に、庚申塔の他、横瀬愛童将軍地蔵と呼称されるお地蔵様がありました。案内板に、「殺害された頼家のために里人が浄財を集め地蔵を安置した」とあります。この辺りの丘陵部寄りを月見ヶ丘と云うそうです。「頼家が幽閉された我が身の寂しさを慰めるためにここで月を眺めていた」ことにその名が由来するそうです。「鎌倉を偲び里子達と遊んでは我が子を思っていた」ともありました。まだ修善寺まで2km程ありますが、後述する黄瀬八幡宮の由縁に、修善寺の総門が横瀬の大門にあったと記されていたので、お地蔵さんのある下地図画像の①辺りがどうやら修善寺の入口だったようです。

①横瀬愛童将軍地蔵 ②横瀬八幡宮 ③日枝神社 ④修善寺 ⑤指月殿 ⑥源範頼墓 ⑦城山
庚申塔
横瀬愛童将軍地蔵

横瀬八幡宮


将軍地蔵から先に進むと、横瀬八幡宮があります。横瀬の氏神で相殿(祭神)は頼家とありました。もともとは将軍地蔵同様に前述した月見ヶ丘にあったそうです。小さな境内ですが、入口に鶴岡八幡宮をミニチュア化したような小さい太鼓橋があります。さらに、狛犬を見て思わず微笑まずにはいられませんでした。こんな可愛い狛犬を見たのは初めてです。今にも尻尾を振ってお腹を見せてきそうです。狛犬の用を成しているのか心配してしまいます。

太鼓橋?
横瀬八幡宮
狛犬

ちなみに上地図画像⑦の城山には畠山国清の修善寺城があったそうです。失脚した後、足利勢との争乱によって国清寺からジリジリと南下してきたのでしょうか。そして少し行った道沿いにあったバス亭に「うなり石」とありました。近くに大きめな岩石がありましたが、それのことでしょうか。どんな由縁があるのでしょう。毘沙門堂の七つ石みたいなものかもしれません。

うなり石 矢印の石のことかな?

しばらくすると道沿いに商店が軒を連ね、温泉街中心部となり修善寺が姿を現します。有名な温泉街なので結構キレイに整備されています。

修善寺温泉街

修善寺


修善寺は寺縁起によれば、平安末期の大同二年(807)に弘法大師によって開かれたと伝わっています。当時この辺りは桂谷(けいこく)と呼ばれていたことから桂谷山寺と呼称されていました。慶長年間の1250年頃、蘭渓道隆が住し、桂谷の風致が支那の廬山に似ていることから肖廬山と号します。康安元年(1361)の畠山国清と足利基氏の争乱や火災などで伽藍が荒廃し、お寺は衰退を余儀なくされますが、延徳元年(1489)に北条早雲の再興によって曹洞宗に改宗し山号も福地山に改められました。

修善寺

弘法大師の時代からある古刹らしく、古そうな中世のものと思われる石塔が並べられていました。境内の様相からは、もしかして紅葉の時期はとても素敵な景観になるのかもしれません。

鐘楼
中世のものと思われる石塔群

日枝神社と蒲冠者


修善寺に隣接する日枝神社も弘法大師の創建と伝わっていて、もとは修善寺の鎮守で山王社でした。ここにはもう一人の悲劇の源氏一族、蒲冠者と呼ばれた源範頼が幽閉され住んでいたという信功院があったそうです。範頼の失脚後の記述が吾妻鏡ではほとんど記されていないため、よく分かっていませんが、六浦・金沢にも随分とこの範頼に関する史跡が残されています。

日枝神社
日枝神社境内

ここから少し離れた場所に範頼の墓があります。石塔は近現代のものでした。ちなみに金沢の大寧寺にも範頼の墓があります。さらに金沢にある追浜という地名も範頼が追われていたことに由来すると云われています。どんな事情があってこのように諸説あるのでしょうか。

源範頼の墓

指月殿


修善寺の前に架けられた橋を渡った対面に指月殿があります。こちらは殺害された将軍頼家の菩提を弔うために北条政子が建立したものです。奥に頼家の墓所があります。また、大よそ2mもある鎌倉時代の釈迦如来像を拝観することができます。

指月殿
源頼家墓所

修善寺の地が忌み嫌う人物


北条氏の故郷伊豆なのに、ここ修善寺は頼家所縁の地であるためか、現地案内板などでの北条時政の評価が著しく偏っています。頼家の殺害、そして比企能員・梶原景時・畠山重忠を滅ぼし、さらには、頼朝が義経や範頼などの兄弟を滅ぼしたのも、そしてなんと将軍実朝の暗殺まで、「これみな肝知に猛けた北条時政の計略」とありました。個人のサイトやブログで言うならまだしも、このような公共の場の案内板として相応しくないと私は感じました。しかししばらくして、これはこれでその土地ならではの見解があって面白いと、頼家所縁の修善寺をめぐりながら思い直しました。『吾妻鏡』では暗君として描かれている頼家ですが、それは北条氏の立場からの見解です。頼家を殺害した黒幕の話を少し盛って喧伝することで、この地では現在でも頼家の菩提を弔っているように思えました。

所々にこうして石塔類が残されている



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探索期間 2014年5月
記事作成 2014年6月9日

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