2014年8月8日金曜日

十二所神社


社号 十二所神社
祭神 天神七柱・地神五柱の十二柱


十二所神社前面の六浦道沿いでお地蔵さまのお出迎え

十二所神社は、朝比奈切通入口の六浦道を挟んだ対面に所在します。十二所の鎮守です。光触寺境内にあった熊野社が江戸時代に移転してきました。


十二所神社由縁


光触寺境内にあった熊野十二所権現が天保九年(1838)に現在の場所に移され明治に入り今の十二所神社という名称に改められました。貞亨二年刊行の『新編鎌倉志』に「熊野権現小祠、堂ノ前にアリ、鎮守ナリ」と記されています。明王院所蔵の天保九年の棟札に「熊野十二所権現社壱宇」とあり、上棟は天保九年11月15日、当時の別当は明王院の明本恵法、当時の生土子(氏子?)は30余軒とあります。

光触寺境内絵図 丸部分に熊野社が描かれている

十二所神社境内


十二所神社には、山の神社・ほうそう神社・宇佐八幡社が合祀されています。宇佐八幡社は『十二所地誌新稿』にこちらも光触寺付近にあったと記されています。これら合祀されたその他の神社も十二所の何処かにあったのかもしれません。本殿、そして神楽殿(かぐらでん)の建物が境内にあります。丘陵壁面と底面を削った地形がそのまま残されていて素敵です。

祠前面には階段状が施されている
当時からの削り跡だろうか
常葉にもあったこんな感じの壁面

十二所の地名


十二所という地名は応永二十三年(1416)の『鎌倉大草紙』が初見とされています。この名の起源については『新編鎌倉志』に「家村十二所ある故に名づく。今はわずかに三、四箇所あり」と記されている他、『鎌倉攬勝考』では、光触寺境内にあった熊野十二所権現から地名が起こったとしています。十二所の地名については、どうやら攬勝考の方が正しいとされています。

Google map 十二所エリア付近の主な史跡
①明石ヶ谷 ②光触寺 ③宇佐小路 ④やまなみルート ⑤七曲・果樹園 ⑥熊野神社 ⑦朝比奈切通 ⑧十二所神社 ⑨御坊ヶ谷 ⑩お塔の窪やぐら ⑪北条首やぐら ⑫大江広元墓 ⑬明王院 ⑭能満寺跡 ⑮大江稲荷社 
六浦道沿いから見た十二所神社裏山

謎の切通し


境内の丘陵部に面白い造作がみられます。そのまま丘陵部を登る道筋が確認できます。道筋は丘陵部を登るように続いていて、切通されています。寿福寺裏にあるような小切通しに似ています。そのまま頂部に出るとビックリ!結構しっかりした尾根道があ~るじゃぁないですか。

よ~く見るとジグザグ状に登って行く道筋
小切通し
尾根道

この道はどこに続くのだろうとドキドキしながら歩いていった先にあったものは、なんと、鎌倉霊園・・。っていうかデカッ。地図上でもその存在感は伝わりますが実際に目の前にするとその大きさは格別。ここは戦後に墓地となるまでは和泉ヶ谷という谷戸だったそうです。鎌倉霊園と十二所神社をつなぐ意味は全くないので、この道筋は昔からあったのかもしれません。

迫力の鎌倉霊園

その後に地誌をよ~く読むと、十二所の「よくわからなくなった道」の一つに、瑞泉寺裏山から朝比奈切通を通らず「朝比奈峠中腹」(たぶん熊野神社の辺り)に出る道が記されています。文中の「~女乙坂を御坊山に登り再び下って~」という記述の辺りがここ十二所神社周辺のように思えます。ですからあの小切通しはその一部、もしくはそれにつながる道筋だったのかもしれません。この瑞泉寺裏山から朝比奈峠中腹に出る道は、鎌倉霊園造成のため跡形もなく失われていると思われます。鎌倉霊園には人だけでなく道も葬られているようです。



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探索期間 2012年4月
記事作成 2014年8月8日

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