2014年9月1日月曜日

長谷寺


山号寺号 海光山慈照院長谷寺
建立   天平八年(736)
開山   徳道
開基   藤原房前


山門

長谷寺は人気のお寺なので細かい説明は不要かと思いますが、鎌倉駅から江ノ電に乗って長谷駅を下車し徒歩で5~10分のところに所在します。大仏がすぐ近くにあります。下画像は境内案内図です。番号は各所名称で境内の拝観行程順路となります。

長谷寺境内案内図
①山門 ②妙智池 ③地蔵堂 ④かきがら稲荷 ⑤観音堂 ⑥遊歩道 ⑦経蔵 ⑧見晴台 ⑨放生池 
⑩書院 ⑪弁天窟

長谷寺縁起


『鎌倉市史 社寺編』によると、長谷寺はなんと、天平八年(736)、もしくは少なくともその頃に建立されたと伝わる古刹です。大和の長谷寺を意識したのは明らかであるため、鎌倉時代には新長谷寺とも呼ばれていました。大江広元と忍性が飯山から現在のところに寺を移したという伝えがあるそうですが、これを『新編鎌倉志』では年代が合わないとしています。どちらにしろ鎌倉時代にお寺が既にあったのは確かなようで、鎌倉末期にはかなり大きなお堂があったそうです。


花のお寺


長谷寺は一年を通して花が咲いています。山門前に広大なスペースがありますが、入口から見て左が妙智池、右が放生池となります。特に春から梅雨時期にかけて色んな花で彩られています。

妙智池
放生池
裏山遊歩道

長谷寺境内


長谷寺は鎌倉らしく上下のスペースで構成されています。山門のある山裾には上記した庭園の他、寺務所・書院・弁天窟など、そして階段を登った山腹に観音堂・阿弥陀堂などが所在しています。その奥からさらにちょっとした裏山遊歩道が施されていて由比ヶ浜などの景色を望めます。

遊歩道から
見晴台から

観音堂


観音堂には本尊である十一面観音像が祀られています。なんと12mもあるこの巨大な像は、養老5年(721)の造立と伝えられています。但し、この像が創建当初からのものとは言い難く、また後世の修復も多く加えられているとお寺側では付け加えていました。像は大和で製作されてからその後海に流し、15年後に現在の三浦市初声にたどり着いたものを引きあげたそうです。現実的には考えられない設定ですが、このファンタジーな逸話にどんな意味が隠されているのでしょう。

観音堂
十一面観音像

阿弥陀堂阿弥陀如来像


阿弥陀如来坐像は、源頼朝が自身の42歳の厄除けのために建立したものと言い伝えられています。そんなことから厄除阿弥陀とも呼ばれています。もとは地蔵堂のある辺りにあったことが古絵図からもわかっています。

阿弥陀如来像
地蔵堂

経蔵


経蔵には一切経が収められていて、書架を一回転させることで、一切経をすべて読誦した功徳が得られるそうです。ですから輪蔵とも呼ぶそうです。

経蔵(輪蔵)

かきがら稲荷と石塔群


上記したように、本尊の十一面観音像は海から引き上げられたという伝承があります。ここにはその像に付着したかきがら(貝)を稲荷社として祀っています。また、近くに石塔が多く並んでいます。なかでも昭和30年代に境内から出土した相輪は、中世宝篋印塔の様式を調べるうえで非常に貴重なものだと市史に記されていました。

かきがら稲荷と石塔
大きめの宝篋印塔

書院


書院はなかなか大寺院でないとお目にかかれない伽藍です。実際にもここでは写経など定期的に行われています。これだけ素敵な環境で書道をさせてもらえれば、どんな人でも普段より少しは上手に字が書けそうですね。

書院

弁天窟


私にとっての長谷寺のメインイベント、弁天窟です。弁天窟は弘法大師参籠の地という伝承があるそうです。弁財天や十六童子が彫られています。雰囲気が素敵すぎて毎度感動してしまいます。

弁天窟内部
弁天様



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探索期間 2011年9月~2014年7月
記事作成 2014年9月1日


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