2014年9月21日日曜日

光則寺


山号寺号 行時山光則寺
建立   文永十一年(1274)
開山   日朗
開基   宿屋光則


光則寺(こうそくじ)は長谷寺の隣の谷戸に所在します。開基の宿屋光則の邸跡でもあることから、お寺の辺りを宿屋と云うそうです。

光則寺ヶ谷

光則寺縁起


『鎌倉市史 社寺編』によると、開基の宿屋光則及び光則の父である宿屋行時が北条氏被官であったと記されています。山号寺号はこの父子の名前に由来します。宿屋光則が邸を寺として日蓮宗に帰依したことから、文応元年(1260)日蓮の立正安国論は、この宿屋光則によって執権時頼に伝えられたと云われています。

山門

光則寺境内


山門をくぐると、普通はそのまま本堂に参道が一直線に続くものですが、山門と本堂の間に木々が植えられていて、それを迂回するように奥へ進みます。境内には多くの草花が咲いています。

山門をくぐると

光則寺四季折々


境内には多くの草花が植えられています。お寺からいただける山野草と茶花マップには境内にある植物の名前が記されていますが、その種類の多さに圧倒されます。せっかく丁寧に作ってもらっている花マップですが、あまりにも種類が多くてどれがどれなのか未だにわからないぐらいです。



日朗上人土牢跡


文永八年(1271)日蓮が佐渡に流罪になると、弟子の日朗らが裏山にある横穴に閉じ込められたと云われています。横穴に続く裏山の道には浅い掘り込みがみられる他、切岸や石塔などがありました。

裏山

日朗が閉じ込められたという土牢跡は古墳時代横穴墓で結構大きめです。横穴墓にはドーム状のものがあるとどこかで読みましたが、もしかしたらこの横穴を云うのかもしれません。内部は崩落している箇所があったりと微妙なところですが、丸み感が伝わってきました。その他内部には石塔が数基置かれています。

日朗が閉じ込められた土牢 横穴は古墳時代横穴墓
横穴内部 天上部

大橋太郎通貞土牢跡


本堂の裏側は近現代の墓地となっていて本堂より一段高い平場となっています。ひな壇状地形となっていますが、でもこれは現代で開発されたものでしょうか。こちら側の裏山には大橋太郎通貞が閉じ込められたと云う横穴があります。裏山を登る途中には平場が設けられていたりと興味深い地形がみられました。

本堂より一段高い平場にある墓地から眺めた景色
大橋太郎通貞土牢跡に続く道
裏山山腹にあった平場 

こちらの横穴墓は高棺座(遺体を安置する場所が高く設置されている)タイプのもので内部にはこちらも石塔が置かれています。ちなみに大橋通貞は、九州の平家方の武将で、捕らえられここに閉じ込められたと風土記にありました。通貞の子で12歳の一妙麿が父を尋ね鎌倉に訪れ、鶴岡八幡宮にお祈りをしたところ、それを知った頼朝が死刑であったはずの通貞を許したという逸話があるそうです。

大橋太郎通貞土牢跡

横穴土牢説


それにしても土牢跡ばかりで暗いイメージが付いてしまう感もある光則寺ですが、本当にこんな横穴に囚人が閉じ込めれていたのでしょうか。化粧坂にある梶原景清の牢跡、大町釈迦堂口遺跡の唐糸やぐらなど、創作上の記述ではあるものの鎌倉には横穴に幽閉された人達が描かれています。ちなみに鎌倉宮にある護良親王が閉じ込められたという横穴は単なる客寄せのもので、実際は土で壁を塗った小屋のような場所に親王は幽閉されていたそうです。土の壁なので「土牢」だとありました。さてこちら光則寺の土牢の真相はどうなんでしょう。

境内には草木に隠れるように石塔が置かれていた



より大きな地図で 大仏地区 を表示

探索期間 2014年4月~2014年7月
記事作成 2014年9月21日

大仏地区関連記事


鎌倉大仏殿

鎌倉を象徴する史跡大仏とその謎に迫る

大仏坂

鎌倉七口で最も旧態を残す魅惑の切通し路

長谷寺

736年に建立された古刹には十一面観音像や弁天窟など見所がたくさん!

甘縄神明神社

甘縄の古い歴史を伝える貴重な史跡は長谷の鎮守

長楽寺跡~鎌倉文学館

安養院の前身となる長楽寺があったとされる鎌倉文学館

坂ノ下御霊神社

坂ノ下の鎮守で頼朝の鎌倉入り以前からあった歴史ある神社

鎌倉遺構探索リンク