山号寺号 陽谷山龍宝寺
建立 16世紀頃
開山 宗栄
開基 北条綱成
七騎谷
龍宝寺のある辺りを七騎谷と云います。将軍実朝が公暁に殺害された後、七騎の武士がその首を持って逃げ、この谷で討手の追撃から一時的に身を隠していたことがその名の由来と云われています。そのためか龍宝寺では実朝の位牌が祀られています。何故公式記録にないそのような話が残されているのか、何故七人なのか、何故ここに身を隠したのか、伝承は何か隠れた意味を含んでいるのではないかと考えてしまいます。
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Google map 大船
①大船駅 ②大船観音 ③岡本神社 ④栄光学園 ⑤諏訪神社 ⑥龍宝寺 ⑦玉泉寺
⑧七曲坂 ⑨玉縄城主郭跡 ⑩大船フラワーセンター |
龍宝寺縁起
龍宝寺は玉縄城主三代目の北条綱成が山居(地図画像④)と呼ばれていた場所に天文年間(1532~1554)に建てた瑞光院(香華院とも)を前身とします。天正三年(1575)に六代目の北条氏勝が四代目の氏繁を弔うため現在の場所に移し大応寺としました。豊臣秀吉の小田原征伐にともない玉縄城でも篭城が行われましたが、この大応寺の僧侶の良達が氏勝を説得し開城させたと云われています。その後に良達は大応寺を龍宝寺と改め現在に至ります。
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本堂 |
龍宝寺境内
まず敷地がとてつもなく広大です。建長寺・円覚寺などの五山レベルです。山門をくぐると、参道が一直線でないこともありますが本堂が見えないほどの広さです。伽藍は敷地奥にある本堂と一般拝観者の目に触れることのない奥の院があるだけなので、随分と草花が植えられている緑地ゾーンが多くを占めています。『かまくら子ども風土記』によれば、明治から昭和初期にかけて境内には小学校があったそうなので、この不思議な空間はそうした事情の名残りなのかもしれません。現在は幼稚園が山門前にあります。
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山門 |
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振り返って山門 |
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本堂が見えてきた |
ぶっけり仏
山居(上地図画像④)と呼ばれていた場所に宝塔が3基ありましたが、村の人達が何度直しても通りかかるといつも倒れているので「ぶっけり仏」と呼ばれていました。その山居には学校が建てられてしまったため、そのぶっけり仏と呼ばれる供養塔は尾根道上の平場に移されたと風土記にありましたが、龍宝寺によるとさらに玉縄城築城500周年を記念して平成24年に境内に移されたとありました。供養塔は四世長老の良純が建てたもので、北条綱成・氏繁・氏勝のものだとありましたがしかし、私が訪れたときには近年に新調したような五輪塔がその境内の供養塔位置にあるだけだったのでどこか話の辻褄が合いません・・
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裏山尾根道にあった供養塔跡 |
近世墓塔群
境内の一画に近世の石塔が多く置かれた場所があります。丘陵壁面を浅く掘り込んで石塔を置いていました。鎌倉寺社でもよく見かけるあのやぐらのようでやぐらではない浅い掘り込みはやはり近世のものだということが龍宝寺の歴史と造作からもわかります。
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近世墓塔群 |
資料館
山門をくぐったすぐ右手に資料館があります。玉縄城の模型、付近で出土したかわらけやつぶて石、縄文時代の遺物、それから近世で用いられた農工具や生活用品などが展示されています。鎌倉の発掘調査で必ずと言っていいほど出土するかわらけやつぶて石ですが、見たことないという方はここでまじまじと見学できますよ。
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資料館にある玉縄城模型 |
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かわらけ |
旧石井邸
資料館に隣接して旧石井邸があります。龍宝寺からもう少し奥に行った関谷から移築されたものです。石井家は小田原北条氏時代の地侍で近世では名主を務めた家柄です。ですから多聞院の甘粕氏と同僚でしょうか。建物は典型的な農家の間取りとなっているとありました。本物に対して失礼ですが、内部は時代劇のセットのようで面白かったです。
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旧石井邸 |
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石井邸内部 |
その他旧跡
広々とした境内に龍宝寺付近から移されてきた神社やお地蔵様が点在しています。金比羅宮・弁財天・子育て地蔵などなどです。その他、寛文八年(1688)の銘が刻まれた庚申塔があります。
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金比羅宮 |
龍宝寺裏山
ぶっけり仏の伝承に「村の人達が通り~」とあったことからも龍宝寺裏山は以前から通り道だったと考えられます。龍宝寺を沿うようにハイキングコースのようなしっかりとした尾根道がありました。平場・堀切・見晴らしポイントなどなど多用な造作が施されています。
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龍宝寺裏山尾根 |
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探索期間 2013年8月 2014年9月
記事作成 2014年10月2日
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