2014年10月20日月曜日

玉縄城七曲


玉縄城の大手門に続く丘陵を登る坂道を七曲と云います。その名はいくつにも折れ曲がっている道の形状を表しています。玉縄城主三代目の北条氏繁夫人が坂道の付近に住んでいたことから七曲殿と呼ばれていました。ことからも七曲は当時からの呼称だったと考えられます。

Google map 玉縄
①玉縄城主郭跡 ②七曲坂 ③久成寺 ④ニ伝寺砦 ⑤高谷砦 ⑥天嶽院 ⑦龍宝寺 ⑧長尾砦 
⑨大船観音 ⑩大船駅

「七曲坂はS字を二つに並べて連続させた形であり本丸東方山裾から登り道となっていて七曲曲輪の東端に達するもので、本丸東側山腹には幅3mくらいの狭い平場がこの路に沿って頭上から攻撃し得る如く配されている。」
『鎌倉市史 考古編』(以下市史)より

Google map 玉縄城
①七曲坂(緑の線) ②平場 ③太鼓櫓 ④七曲曲輪 ⑤玉縄城主郭 ⑥相模陣

七曲坂谷


市史の著者である赤星先生が調査を行った昭和初期では、七曲坂のある谷戸の入口には水田と長屋門のある農家があったと記されています。このことから市史では「七曲坂谷入口には重要な家臣の一人を中心とした農家群が水田を前面にして配されていたに違いない。水田は食糧生産用の耕作地に過ぎないが万一の場合には水濠としての役目を果たすものである。」とありました。その他にも玉縄地区に所在する小谷戸には必ず水田が設けられていて防衛上の考慮から特に計画されたものだとありました。食糧生産地が有事では城郭となる土地活用の利便性に驚きます。戦争が付き物だった時代に生きた人達の知恵だったのでしょう。

七曲坂のある谷戸 往時では、いや昭和初期まで水田が広がっていた
現在も残されている七曲坂谷の長屋門

七曲坂


上記したように七曲坂は玉縄城の大手、つまり入城するための登り口です。実際に訪れてみると坂道が舗装されていて結構ガックリきます。また、現地案内板に「当時とは一部ルートが異なり旧道は現在廃道となっています。」とあったのが少し気にかかります。しかし、いざ坂道を登って行くうちに感じる城郭特有の「S字状感」が伝わってきます。


当時の復元絵図にもありましたが坂道に沿うように平場が施されています。坂道から見えるこの目の前の平場、そしてその向こうの建物がある一段低い平場も当時からの地形が原型になっていると思われます。

坂道に付属するようにある平場
建物のあるまた一段低い平場

太鼓櫓


坂道を登りきった場所にある公園は往時では太鼓櫓と呼称されていた曲輪跡です。合図の太鼓を打った場所とも云われていますが、地形的には七曲坂を敵の侵入から抑えるための櫓台と考えられています。

太鼓櫓跡

太鼓櫓位置から下を覗くと平場を囲むように掘割状のような地形が確認できました。旧道跡かとも思いましたが、これはちょっと何なのか私ではわかりません。とにかく往時の地形の名残りであるのは確かだと思われます。古めかしい雰囲気がとても素敵です。水田を耕しながらも有事の際にはせわしなくこの坂道を登っていたであろう当時の人達の姿が思い浮かぶようです。

謎の旧態地形

七曲曲輪から相模陣


坂道を登りきると、往時では七曲の曲輪と呼ばれた辺りになります。完全に住宅街となっているため往時を偲ぶにはかなりの想像力が必要かもしれません。そのまま道を進むと城宿と呼ばれる地区に至り、そして現代で造成された陣屋坂を下ると相模陣跡となります。主郭部を確認することはできませんが、玉縄城のある丘陵を何となく体感することができます。

真っ直ぐ行くと城宿
坂道を下りると相模陣

玉縄城の壮大なシステム


下地図画像は龍宝寺資料館にあった明治時代の地図です。これは迅速測図といって明治初期に陸軍によって作成された簡易地図だとNobuさんからメールで教えていただきました。有難うございます。上記したように、市史に「小谷戸ごとに水田が配置されている」「水田が有事の際には水濠となる」とありましたが、これを見るとよ~くわかります。地図に水田と思われる「水」と記された箇所を水色の○で印してみました。なんと、図ったかのように丘陵のない平地部分に水田が配置されているのがわかります。明治時代でもこれだけ残されているので、往時ではほぼ城を囲むように水田が玉縄の街一面に拡がっていたのではないでしょうか。まさに水田の水堀状態です。

迅速測図「玉縄」 水色の○が水田部分

ここで思いましたが、お城とは何も本丸部分だけではなく、さらには丘陵部に施された竪堀・空堀などの土木遺構だけでもないんですね。街全体が有事の際には城郭となる壮大なシステムだったんです。ちょっとあまりのスケールに感動しました。鎌倉寺社しか見ていない私が言うのもなんですが、関東屈指の名城と呼ばれた訳が少し理解できたような気がします。それにしても玉縄城でこれなので、本家の小田原城なんかそりゃぁ日本中の武将を集めてフルボッコにでもしなきゃ開城させることができなかった訳ですよ。



より大きな地図で 大船・玉縄 を表示

探索期間 2013年8月 2014年9月
記事作成 2014年10月20日

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