2014年10月25日土曜日

まぼろしの二伝寺坂


ニ伝寺砦は玉縄城の西南方面の防御を固めるための出城です。砦のあった丘陵部にはその名の由来となったニ伝寺(下地図画像①)の他、円光寺(地図画像②)貞宗寺(地図画像③)といった史跡が所在しています。

Google map ニ伝寺砦
①ニ伝寺 ②円光寺 ③貞宗寺 ④本在寺公園 ⑤久成寺 ⑥玉縄城主郭 
⑦七曲坂 ⑧相模陣 ⑨龍宝寺

市史にあったニ伝寺坂の記述


『鎌倉市史 考古編』(以下市史)に「円光寺(上地図画像②)わきからS字形の急坂を登る。この坂をニ伝寺坂と云い、渡内(上地図画像の左側にある地名)から相模陣(上地図画像⑧)への古道である。」とありました。玉縄方面の探索から帰ってきた私は「そんな道があっただろうか」と首を傾げてしまいました。そういえば二伝寺の縁起にも「旧鎌倉街道に沿っていたので玉縄城の砦の役割を担うために寺を創建し利用したと伝えられる。」とありましたが「そんな大そうな道があっただろうか」とさらに首を傾げてしまいます。それから一年も経ってしまいましたが、私はその二伝寺坂を探しにもう一度玉縄に行くことにしました。

二伝寺

ニ伝寺坂を尋ねて


市史の記述にもあった「円光寺の脇」をまず探してみます。境内に上る階段の脇に確かに微妙なS字状の坂があります。「コレの訳ないよなぁ」と思いながらも悩みますが、こちらはスロープ状にまた境内に続くものです。しかも円光寺奥にはその道跡のような造作はみられません。そこで住宅街となっている道を進み貞宗寺方面に向いましたが、どこもかしこも住宅が建ち並びそのような道は見当たりません。坂道はもう既に失われたと考えるしかないでのでしょうか。

円光寺
円光寺から貞宗寺に向う道

ニ伝寺坂発見!?


そんな諦めムードの中、ありましたっ!住宅街奥に旧態地形が!しかも地主さんらしきご老公がそこにいます。有無を言わさず自分の素性と円光寺と二伝寺を繋ぐ坂道を探しているといった旨を伝えたところ、「それならここだよ」と期待通りの返しをそのご老公からいただきました。が・・画像を載せる意味があるのか微妙なくらいすんごい藪で閉ざされています。もう道ではありませんが、こうして跡が未だ残されていただけでも感動です。

二伝寺坂

ニ伝寺坂は藤沢道だった


丘陵頂部の二伝寺側には家が建てられていたりと今では全く通り抜けもできませんが、道跡の趣きが少しだけ残されていました。しばらくご老公から話をうかがいましたが、「昔はここ(地図画像⑦)から藤沢に行ったんだよ」「昔は向こうのバス通り(地図画像⑥の大船駅方面から久成寺前を通り藤沢方面に向う大通り)はなかったから」などと想像もできない昔の玉縄の様子を教えていただきました。

Google map 二伝寺砦 西側を上にして角度を変えてます
①ニ伝寺 ②円光寺 ③貞宗寺 ④本在寺公園 ⑤久成寺 ⑥バス通り ⑦二伝寺坂

明治時代の地図に描かれていたニ伝寺坂


そしてさらにこちら下画像は、龍宝寺資料館で手に入れた迅速測図(明治時代の地図)ですが、ありますね二伝寺坂。但し、ご老公が「なかった」というバス通りの原型となる久成寺(地図画像⑤)前の通り(×印)がこの地図に描かれているので、近世にて既に開発されていたのかもしれません。下地図画像の②の白○に赤い線で丘陵を登るような道筋が描かれているのがわかると思います。これがニ伝寺坂です。地図画像⑤の前を通るバス通り(×印)が往時ではなかったとのことなので、②の○内にある二伝寺坂が玉縄と藤沢方面を繋ぐ街道となるのは必然です。さらにここを敵に突破されてしまうと玉縄城が目の前となります。ここ二伝寺に砦が造られた重要性も伝わってきます。

明治14年の玉縄周辺の地図
①ニ伝寺 ②円光寺 ③貞宗寺 ④壺井三社大権現跡 ⑤久成寺

地図画像⑤の久成寺前を通る×印の赤い線が現在のバス通りとなります。久成寺付近でいかにも丘陵を登るかのような描かれた方をしています。当時は山道だったのでしょう。現在久成寺丘陵頂部からこの辺りと思われる箇所を眺められますが、現代で大きく掘り割られたようです。

久成寺丘陵頂部から見たバス通り

ニ伝寺坂の往時の存在感


市史にあった「二伝寺坂が(二伝寺砦の)大手にあたる」「渡内から相模陣への古道である」という記述や二伝寺の縁起にもあった「旧鎌倉街道に沿っていた」という記述の様子がようやく自分の頭の中で明瞭になりました。皆さんにも伝わったでしょうか。七曲坂が玉縄城の大手であったように、二伝寺坂が二伝寺砦の大手となります。さらに円光寺や貞宗寺前はこちらも七曲坂と同じく往時は水田となっていて緊急時には水濠としても活用されていたと市史にありました。

貞宗寺からも近い地点 左が円光寺や貞宗寺に繋がる往時の道で右がバス通り 

一年前に二伝寺に訪れた際、寺前を通る住宅街の生活道路がまさかの「渡内から相模陣への古道」であったとは思いもしませんでした。でも確かにこのまま進んで少し南下するとこちらも玉縄城の出城だった高谷砦に通じます。往時では多くの人が往来した道でしたが、今ではお役御免といわんばかりに地元の方ぐらいしか通らないひっそりとした佇まいになっています。

二伝寺前を通る生活道路

鎌倉の堀切とは


最後にもう一つ、円光寺と貞宗寺の敷地境界線が二伝寺坂だとご老公がおっしゃっていました。鎌倉市教育委員会の調査報告書にもありましたが、例えばあくまでも推測としてですが、瑞泉寺裏山の尾根道が瑞泉寺と月輪寺の境界線だった、または東勝寺切通が東勝寺敷地の南限だったなどと記されています。確かに、鎌倉旧市街地内では丘陵部尾根に城郭としては役に立たないであろう用途不明の小さな堀切が随所でみられます。二伝寺坂の事例が表すように、それらはやはり境界線を指し示すものだったのかもしれません。



より大きな地図で 大船・玉縄 を表示

探索期間 2013年8月 2014年10月
記事作成 2014年10月25日


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