2014年10月14日火曜日

北御門ハイキングコース 【前編】


西御門


大倉幕府跡(清泉小学校)の東側を東御門、西側を西御門と云います。実際に御所の門があったことに地名が由来すると思われます。そこで今回は、この御所の西側にある西御門と呼称される谷戸が探索ポイントです。西御門には、現在では来迎寺というお寺と八雲神社しか残されていませんが、往時では太平寺・保寿院・報恩寺などの禅宗寺院があったと伝わっています。往時の鎌倉中心部エリアの一画だっただけにとても興味が惹かれます。

東勝寺裏山小富士山から見た大倉地区

北条政子と北御門


健保元年(1213)5月2日、鎌倉史上初の市街地戦となった和田合戦が勃発します。このとき「尼御台所(北条政子)と御台所(実朝室)は御所を離れ北御門を出て鶴岡別当の坊に移られた」と『吾妻鏡』にあります。「鶴岡別当の坊」とは二十五坊(下画像⑩)のこと、そして「北御門」とはあまり聞いたことがありませんが、その名からも御所の北にあった門で、位置的にも白旗神社や頼朝の法華堂付近(地図画像②)にあったと思われます。つまり尼御台所は南からやってくる和田勢の攻撃から避難するために、北御門を出て頼朝法華堂の辺りから尾根を伝って二十五坊に行ったのだと私は考えました。この解釈が合っているのかどうかは別として、とにかくこの一文から、頼朝法華堂跡の裏山を歩けるのかと探ってみたところ、思ったとおり立派な尾根道をみつけることができました。さらにこの西御門の谷戸を沿うように尾根道は続いています。ということで、この政子さんも歩いたかもしれない「北御門」の尾根道を行ってみることにしました。

Google map 西御門
①大倉幕府跡 ②頼朝法華堂跡 ③普慶寺跡 ④来迎寺 ⑤太平寺跡 ⑥東御門 ⑦回春院奥平場 
⑧回春院 ⑨建長寺 ⑩二十五坊跡 ⑪報恩寺跡 ⑫保寿院跡 ⑬新宮社 ⑭鶴岡八幡宮 
⑮三浦義村邸跡

上地図画像の白線が今回の行程ルートです。②からスタートして地図画像⑫⑬の辺りがゴールとなります。コースの全長は3kmもありませんが、困ったことに出口がありません。頼朝法華堂跡(地図画像②)まで引き返すか、回春院奥平場(地図画像⑦)の辺りから西御門の住宅街に出れるので、そこからコースアウトするかのいずれかとなります。また、この尾根道をハイキングコースとして紹介しておいてなんですが、立ち入って良いのかは微妙なところです。但し、上のタイトル画像にも写っていますが、グリーンコースと書かれた案内板が尾根道に置かれていました。土地のご老公も以前はこの尾根道が書籍などで紹介されていたとおっしゃっていたので、はるか昔は公式なハイキングコースだったのかもしれません。


頼朝法華堂跡から尾根道へ


白旗神社から階段を登り頼朝法華堂跡に出ます。上記したように公式のハイキングコースではないため尾根道に出るように造られていませんし何の案内板もありません。強引に尾根に出ます。但し辺りをよ~く観察すると尾根に続く踏み跡を見つけることができると思います。

白旗神社 階段を登ると頼朝法華堂跡
頼朝法華堂跡から登った辺り

尾根に出るといきなり堀切が現れます。法華堂跡平場(地図画像②)と普慶寺跡(地図画像③)の小谷戸をつなぐ掘割状に見えないこともありません。ちなみにこれから行く尾根道にはこのような造作が随所でみられます。鎌倉にある堀切は城郭としての造作というより、隣接するお寺とお寺の境界線、もしくは往時の丘陵越えの道跡などの色合いが強いと思われます。今回の尾根道に登場する堀切のほとんどが小谷戸ごとに存在しています。つまり位置的にも境界線のような意味合いにも受け取れます。

頼朝法華堂跡丘陵頂部にある堀切 横から撮影
こちらは普慶寺と来迎寺を隔てるかのような位置にあった堀切 上から撮影

尾根道


ここを歩けると思っていなかったこともあってか、このような快適な尾根道があることに驚きます。途中にはちょっとした平場までありました。しばらく行くと来迎寺(地図画像④)の辺り、そしてまたしばらく行くとラケットでボールを叩く音が遠くから聞こえてきます。現在テニスコートとなっている太平寺跡(地図画像⑤)の上にいるのがわかります。季節的な問題もあるかと思いますが、木々の隙間から何となく下の雰囲気が分かる程度であまり景色を望める場所はありません。また見えたとしても中途半端な高さから住宅街を眺められるだけでした。ちなみに東御門側も木々の隙間から少し見渡せます。東勝寺跡の裏山を屏風山と云っていましたが、谷戸の両側を望めるこちらの尾根もかなりの屏風状態です。

立派な尾根道
ちょっとした平場

謎の平場


太平寺跡(地図画像⑤)を過ぎると、建物跡が残された平場がありました。こんな尾根上に何があったんでしょう。建物の周りはに切岸が施されています。またここから少し先にも切岸がみられました。ちなみに上地図画像の太平寺跡から先には何も印していませんが、どこぞの大寺院の塔頭・支院などが谷戸いっぱいに建てられていたと考える向きもあるそうです。

建物跡が残る平場

石切り跡ゾーン


また少し先に進むと行き止まりのような造作にぶつかります。ここまでかと思いましたが、かなり道が狭く険しくなるものの下方に進める道がありました。ちなみにこのまま直進できれば百八やぐらゾーンに進入するものと思われます。この辺りは石切り場だったのか丘陵壁面に人工的な跡がいくつも確認できました。さらにちょっとした横穴のような造作までみられます。下画像の横穴は石切り作業行程でできたものと思われますが、天井が朱だるぎやぐらのものとそっくりです。もしかしたらただの石切り跡ではないのかもしれません。そして現在ちょうど西御門の谷戸最奥部分を歩いているようです。

行き止まり?
途中にあった横穴のような造作

この辺りの険しい道を進み終えると何やら広大な平場に出くわします。どこかで見たことがあると思ったら回春院奥平場でした。天園ハイキングコースから西御門の谷戸に下りてこれるコース上にあるもので、朱だるぎやぐら群を見学する際に通る場所です。やぐらや切岸が壁面いっぱいに施されていていつ来てもどこか不思議な空気感が漂う場所です。

回春院奥平場

後編は報恩寺・保寿院の裏山部分となります。思いもよらない光景を目の当たりにしました。(北御門ハイキングコース後編へ



より大きな地図で 大倉山 を表示

探索期間 2012年8月 2014年9月
記事作成 2014年10月14日

北御門ハイキングコース関連記事


北御門ハイキングコース【後編】

西御門の谷戸に沿う尾根道にあった数々の遺構を紹介【後編】

和田合戦

和田義盛と北条義時の因縁は鎌倉全体を巻き込んだ大規模な市街戦へと発展

源実朝に予知能力はあったか?

吾妻鏡に記された将軍実朝が未来を予知していたと思われる発言の数々を検証

鎌倉のハイキングコース

鎌倉のハイキングコース記事一覧

鎌倉遺構探索リンク