2014年10月6日月曜日

諏訪神社


諏訪壇


玉縄城の主郭部(地図画像①)に諏訪壇(地図画像②)と呼称される場所があります。『鎌倉市史 考古編』(以下市史)によれば、諏訪神社(地図画像④)がもともと祀られていた場所だと伝えられています。諏訪壇は丘陵部の最も標高の高い場所に位置しており、その厳格な防備構造からも、敵に城内まで侵入された場合の城主が最後に立て籠もる場であったと考えられています。15m×30mの矩形の平場で主郭部平場との高低差は20m、そして周囲に急崖をめぐらし空堀・竪堀に囲まれていたなどと記されています。

Google map 玉縄城周辺
①玉縄城主郭跡 ②諏訪壇 ③七曲坂 ④諏訪神社 ⑤龍宝寺 ⑥玉泉寺 ⑦山居(栄光学園) ⑧岡本神社

諏訪神社縁起


『かまくら子ども風土記』によると、諏訪神社は戦勝を祈願する健御名方神を祭神としており、北条綱成が玉縄城の守護神として諏訪壇に祀ったのが始まりとされています。元和五年(1619)玉縄城が廃城となった後に村人達が現在地(地図画像④)に移し御霊社と合祀したとありました。

諏訪神社社殿

諏訪神社境内


龍宝寺山門前から連なる生活道路から住宅街を奥に入っていった丘陵山腹に諏訪神社は所在します。何故か階段の他にスロープが設けられていてそこからも向かう事ができます。

左奥の丘陵頂部がたぶん諏訪壇跡 右に龍宝寺 真っ直ぐ進んだ右手に諏訪神社
階段
スロープ状

境内には社殿と神社でよく見かける神楽殿があります。そして面白いことに社殿奥の丘陵部が掘割状というか切通し跡というか、とにかくとてつもなく大きな土地の落ち込みが確認できます。玉縄城に隣接した土地柄からも何か城郭に見立てた造作だったのではないかと期待してしまいます。

社殿と神楽殿
社殿奥にある地形
ちょっとした平場まである

諏訪神社から尾根道にアクセスすることができます。ちょうど諏訪神社の上に山居と呼ばれていた場所があり、龍宝寺の前身となる瑞光院(香華院とも)があったと云われています。社殿奥の造作はそうした事情が関連するのかもしれません。

諏訪神社から登っていった尾根道
尾根道から見下ろした諏訪神社

上記したように諏訪神社は戦勝を祈願する健御名方神が祀られています。廃城後は時代に合わせたかのように、そして平和な近世を表すかのごとく農業の神として崇められてきたそうです。時代によって神様のニーズが変わるようです。

前面通り住宅街から見た諏訪神社の鳥居



より大きな地図で 大船・玉縄 を表示

探索期間 2013年8月 2014年9月
記事作成 2014年10月6日

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