2014年11月1日土曜日

無量寺跡潜入


すべてはメル友の「湘南在住の鎌倉ファンの方」さんから「無量寺跡潜入」と題したメールをもらったことに始まります。無量寺跡を見てきたという彼女から、やぐら・池・瑞泉寺庭園のような造作・階段などがあったという報告を受けた私は「いざ鎌倉」といわんばかりの勢いで現地に向い、彼女に教えてもらった方法で無量寺跡をこの目にすることができました。見れることはないだろうと思っていたものを見れた時の感動ったらありませんでした。

Google map 無量寺ヶ谷

以前に『無量寺跡 無量寺ヶ谷』という記事を投稿しています。あまり無量寺に関してご存じないという方はよければそちらも見てください。上画像の無量寺ヶ谷の○の中にもう一つ○が入っていますが、そちらが今回取り上げる無量寺跡の痕跡が残されているという場所で、センチュリー文化財団という法人が所有していました。

そもそも無量寺遺跡って


本題に入る前に、まずこの無量寺跡地に関する複雑な事情を整理してみましょう。こちらの『さわらび通信』さんのHPには、なんと無量寺跡が発掘された当時の現地見学会の様子が紹介されています。記事の日付から察するに2003年の出来事のようで、文面からは当時では未だこの遺跡が無量寺だとは確定していなかったようです。さらに「夢窓疎石がこの(寺院名不明の)庭園などを参考に瑞泉寺庭園をつくったとも思われるのだそうです。」などと聞いたこともない情報が記されています。たぶん現地説明会の先生が言っていたのでしょう。ちなみに何故夢窓疎石と瑞泉寺が出てくるのかというと、無量寺跡では夢窓疎石が作庭した瑞泉寺庭園に似た遺構が残されているからです。

参考画像 瑞泉寺庭園
参考画像 瑞泉寺庭園十八曲

無量寺跡が鎌倉市の施設になる


そしてその後、無量寺跡地がどうなったのかというと、こちらのブログ『鎌倉の世界遺産登録を考える』さんによれば、センチュリー文化財団が鎌倉市に無量寺跡の土地建物を寄付したことから、鎌倉市ではその土地建物を世界遺産ガイダンス施設・博物館として、2015年の竣工をめどに整備を進めているとありました。また、世界遺産登録に落選した鎌倉市がそのまま予定通り施設整備を進められるのだろうかという疑問を呈しています。そしてさらにこちら『かまくらおやじのブログ』さんによれば、これは寄付に見せかけた「税金対策」もしくは「資産差し替え」ではないかと指摘しています。どうやら寄付といっても一部鎌倉市が買い取るかたちになっているようなんですね。なんか怪しい雲行きが漂います。本当にオープンするんでしょうか?世界遺産ガイダンス施設。

こちらが無量寺跡で世界遺産ガイダンス施設となる建物 ちょ~立派

無量寺跡見学は可能か?


いてもたってもいられない私は鎌倉市役所に電話で「敷地内だけでも見学させてもらうことは可能でしょうか」と尋ねたところ、なんと、これが可能なんだそうです。但し、但しここが肝心です。事前の予約が必要で、さらに10人以上の団体に限ると言われました。鎌倉市の職員が同行し、1時間以上ものコースで敷地内を案内してくれるんだそうです。また施設は歴史博物館として順調に整備が進めば平成28年オープンとなるそうです。随分先ですね。それに寺院跡見に行こうなんて言って付いてきてくれる奇特な友達が10人もいる訳ないじゃん・・と市職員の話を聞きながら私は心の中でつぶやきました。

鎌倉駅裏口から 左が市役所 右手奥に無量寺跡

恍惚の無量寺跡


そして上記した市役所への正式手続きをとらずにどうやってこの無量寺跡となるガイダンス施設・博物館に、メールをくれた彼女が、そして私が入れたのかという部分は、申し訳ありませんが管理側関係者に迷惑がかかる恐れがあるので、ここでは記せません。どちらにしろ28年には誰でも見れるようになるし、また上記したように団体ツアーを組めばすぐにでも見学は可能ということですから何卒ご了承ください。ということで、話が長くなりましたがお待たせしました。無量寺跡です。

敷地左手
敷地右手にあった丘陵部造作 ちょっと瑞泉寺っぽいかも

上記したように、無量寺跡には瑞泉寺庭園のような造作が丘陵に残されています。そう言われると確かに、瑞泉寺のものと似ているような気がします。またやぐららしき横穴がいくつかありましたが、ほぼ防空壕、もしくは後に防空壕に改変されたのかもしれません。また、丘陵壁面がけっこう削平されています。近現代で代々の土地所有者に整備されたのでしょうか。自然の造形物特有の曲美線が感じられませんでした。そして下画像の横穴ですが井戸にも見えませんか?。鎌倉市教育委員会の調査報告書『無量寺跡』に「正宗井戸」という記述がみられたので、もしかしたらこの横穴を指すのかもしれません。

横穴内部 正宗井戸か?

丘陵壁面を階段で登って行けます。丘陵中腹に細長い平場がありましたが、瑞泉寺でいうところの十八曲のような造作の名残りとも感じられます。そしてさらに階段が丘陵頂部に続いています。一部読み取れませんでしたが「金鎚稲荷祠○○」と刻まれた石碑が置かれていました。調査報告書によれば、近世では相州伝正宗の血を引く刀工綱廣の屋敷がここにあったと伝えられていて、山腹には正宗相槌稲荷が近代まで祀られていたとあったので、このことでしょう。階段の先までお邪魔するのはずうずしいと思ったので自粛しましたが、Google mapで見ると丘陵頂部に平場が見えます。その稲荷社があった場所だと思われます。

丘陵中腹の平場
金槌稲荷道 登ってみたかった・・

現地にいた時は無量寺跡を見れたという感激でいっぱいでしたが、こうして冷静になって撮ってきた画像を見ると、遺構は随分と後世にて改変されているようです。わずかな痕跡ではあったものの、でもとりあえず何はともあれ無量寺跡を見れるなんて思ってもいなかったのでホント感動しました。そして「湘南在住の鎌倉ファンの方」さんレアな情報有難うございました。

甘縄って?? パート2


『吾妻鏡』に無量寺が甘縄にあったと記されていることから、『無量寺跡 無量寺ヶ谷』の記事で、甘縄とはここ無量寺ヶ谷から甘縄神社までの広大な範囲を指すのだろうかと、疑問を投げかけたままで文章を締め括りましたが、その後に読んだ鎌倉市教育委員会の調査報告書『甘縄神社遺跡群』には、「この地名(甘縄)は、鎌倉時代にほぼ若宮大路二ノ鳥居並びの無量寺ヶ谷から長谷観音前交差点付近にいたる、鎌倉旧市街地西南部の広大な地域を指していた」とありました。断定を避けることの多い調査報告書ですが、この甘縄の範囲に限ってはほぼ言い切ってます。ですから鎌倉時代の甘縄とは、甘縄神社の辺りから無量寺ヶ谷までがその範疇に入るようです。

Google map 甘縄


より大きな地図で 源氏山 を表示

探索期間 2014年7月・10月
記事作成 2014年11月1日

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