2015年1月7日水曜日

上郷


鎌倉の一大軍事基地、鎌倉の一大穀倉地帯


鎌倉の北で金沢の西にある横浜市栄区には、治承四年(1180)の石橋山の合戦で源頼朝の身代わりとなって討死にしたと伝わる佐奈田与一義忠を供養するために建立された證菩提寺が所在します。また、横浜市栄区のHPによれば、公田町の「番地」や元大橋の「番匠面」「鍛冶ケ谷」などの地名から、武器生産のための職人や工人がこの地に集められたと推測されています。

Google map 鎌倉周辺

横浜市栄区周辺は、和田合戦の後に北条氏が領した広大な山ノ内の一部です。鎌倉街道中道が通ることもあって、鎌倉の一大軍事基地、そして鎌倉の一大穀倉地帯だったと考えられています。北条義時がこの地を治める以前には、和田義盛、もしくは土肥実平が山ノ内を支配していたのではないかという説や、田谷の定泉寺が朝比奈三郎義秀の邸跡だったなどと云う伝承があります。證菩提寺の佐奈田与一や岡崎義実を含めると、栄区には三浦一族に関連する人物ばかりが登場します。何はともあれ、とても興味深いので、行ってみることにしました。

鎌倉街道中道


巨福呂坂から鎌倉を出て、離山地蔵尊、大船松竹前、青木神社を経て笠間十字路に出るのが、鎌倉街道中道ルートです。笠間十字路を直進すると戸塚方面、左に行くと田谷、右に進むと上郷、そして金沢方面となります。旧道はある程度予想していたとおり、特別何もありませんでしたが、街道だったことを偲ばせる庚申塔が青木神社付近にありました。

旧鎌倉街道 青木神社付近
笠間十字路

離山富士見地蔵尊


鎌倉と大船の間には、長山・腰山・地蔵山が連なっていて、この3つの山を総称して離山と呼んでいたそうです。それら山々は、戦前の土地開発で全て崩されてしまいました。離山富士見地蔵尊は、もともとその地蔵山にあったと云われています。元弘三年(1333)には、新田義貞が離山で作戦会議を開いたなどと『かまくら子ども風土記』にありました。

離山富士見地蔵尊

青木神社


青木神社は、神明社を合祠した笠間町民の氏神で、建武2年(1335年)創建です。意外に歴史が古いようです。

青木神社

上郷へ


笠間十字路と交わる県道23号線原宿六浦線を上郷に向うと、北条泰時の娘の小菅ヶ谷殿が邸を構えていたと伝わる小菅ヶ谷、そしてさらに進むと鍛冶ヶ谷となります。鍛冶ヶ谷には、建長寺が建立される以前から地獄谷にあった心平寺にまつわる斉田左衛門が邸を構え念持仏を安置した地蔵堂をもっていたと伝わっています。

県道23号線原宿六浦線沿いを上郷方面に向かう

證菩提寺が近づくと上郷となります。往時の境内は、東は板中(山手学園入口)、南は矢沢木戸口(フローラ桂台)、西は辺渕橋、北は竹後大道(元大橋)とあるように、とてつもない広さだったようです。

證菩提寺付近 緑や川などの自然が多くなる

周辺は、いたち川小川アメニティとして川沿いの散策路が整備されていました。もしかしてホタルとか見れるんでしょうか。

八軒谷戸の辺り

上郷市民の森


證菩提寺から比較的近い場所にある上郷市民の森は、尾根頂部が広大な範囲で削平されています。見晴らしも良くハイキングコースとしては手軽なものですが、自然と触れ合いに来た訳ではなく、歴史の痕跡を探そうと訪れた者にとっては、物足りない場所でした。あと、尾根頂部を清兵衛広場と呼称していましたが、その名の由来がどこにも記されていません。清兵衛さんという方がこの広場を整備でもしたんでしょうかね。

上郷市民の森
向こうに見える丘陵は瀬上市民の森

史跡


上郷には、材木座の光明寺と同じ名前のお寺がありました。こちらは浄土真宗なので、材木座の光明寺とは関係ないようです。自然豊かな広大な上郷にあって、お寺の境内はとても狭かったです。

上郷光明寺

それから、日枝神社・御嶽神社・白山神社・思金神社・琴平神社など、色んな神社が点在しています。ひとつ面白かったのが、アラハバキ神という東北地方の津軽や出羽などで見られる民俗神が何故か栄区に存在するそうです。東北から移住した鍛冶集団が持ち込んだものと推測されているようですが、日本の原住民が北へ北へと追いやられていった歴史を踏まえれば、彼らが残していったものという考えもあるんじゃないかと素人なりに考えてみました。

日枝神社
思金神社

瀬上市民の森


瀬上市民の森周辺では、奈良時代の住居跡である上郷猿田遺跡、溶鉱炉跡である深田製鉄遺跡、深田やぐらと呼称される古墳時代横穴墓などが発見されています。ちなみに小菅ヶ谷では、100基を超える横穴古墳が確認されたとありました。6世紀~8世紀の豪族のものと推定されています。栄区周辺では、随分と昔から定住者がいたようです。中世以前の人たちにとって暮らしやすい環境だったのでしょう。一体どんな歴史があったのでしょう。

瀬上市民の森
深田やぐら



探索期間 2013年8月
記事作成 2015年1月7日

『上郷』関連記事


證菩提寺

岡崎義実・佐奈田与一親子が祀られた山ノ内荘本郷を代表する寺院

瀬上市民の森

奈良時代の住居跡・たたら跡・横穴墓などが発見されている古代遺跡の宝庫

建長寺回春院と地獄谷

建長寺の歴史を遡る地獄谷に残された伝承の痕跡をめぐる

巨福呂坂

鎌倉と山ノ内を結ぶ鎌倉の大動脈にある坂道

定泉寺 田谷の洞窟

全長1kmの洞窟に営まれた魅惑の地底伽藍

光明寺

鎌倉寺社を代表する禅宗寺院とは一味違う海と富士山が見える浄土宗のお寺

古墳時代横穴墓

やぐらのモデルになったとも云われる古墳時代の横穴墓

和田合戦

和田義盛と北条義時の因縁は鎌倉全体を巻き込んだ大規模な市街戦へと発展

北条泰時

鎌倉幕府三代執権で武家初の成文法を確立させた人物

鎌倉遺構探索リンク