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金沢八景 野島夕照
横浜市金沢観光協会によれば、太古の野島は、海に浮かぶ小島で、土地の隆起や土砂の堆積により寺前・洲崎と陸続きになったとありました。ということで、野島は埋め立てではなく天然の島なんですね。そして野島にある染王寺は、かつて野島山の山頂に建てられていて、さらに境内には永徳二年(1382)6月18日と刻まれた宝篋印塔が存在します。多目的公園として多くの人で賑わう観光スポットとして知られる野島ですが、これは何か歴史の痕跡を発見できる雰囲気が漂います。
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Google map 金沢 ○が野島 ①称名寺 ②京急金沢八景駅 ③シーサイドライン金沢八景駅 ④シーサイドライン野島公園駅 ⑤夏島 ⑥八景島シーパラダイス |
思わせぶりな前置きで始めておいて申し訳ありませんが、先に断っておきます。野島では正直これといった鎌倉の歴史に関するものは見つかりませんでした。その辺りを了承していただいたうえで良ければお付き合いください。とは言ってもですね、野島は何と言っても歌川広重の金沢八景の一つに描かれたほどの景勝地でした。鎌倉に関するものがほとんど見つからなかったとはいえ、歴史的に価値のある史跡であることは間違いないと思います。
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歌川広重「野島夕照」 |
野島公園駅は、京急金沢八景駅からも近いシーサイドライン金沢八景駅から一駅です。このゆりかもめのような素敵な電車は、往時の六浦港の上を走ります。既に野島公園というアミューズメントパーク内にいるようで、もし私がこの辺りに住んでいたら、用がなくても乗っていそうです。
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シーサイドライン金沢八景駅を出たところ 右奥に見える丘陵がこれから行く野島山 |
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そろそろ野島公園駅に着く辺り 向こうが京急金沢八景駅 |
野島貝塚
駅から野島山へ進むと、バーベキューや潮干狩りなどができるアウトドア・エリアとなります。野島では、横浜市で現存する最古の貝塚が発見されています。貝塚は標高53mを測る独立丘の頂部北側縁部及びそれに続く標高50~37mの斜面中腹部に点在し、周辺からは土器・釣針・貝輪未製品・磨製石器などが出土しています。
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野島で潮干狩りを楽しむ人々 |
上画像は、家族連れが潮干狩りを楽しんでいるほのぼのした風景ですが、上記したように、野島では縄文時代早期後葉の貝塚が発見されています。きっと7000年以上前の人たちもこのように貝を採っていたんじゃないかと想像してしまいます。神様がこの光景を見たら、「オマエら何千年同じことやってんだよ」ってツッコミたくなるかもしれません。
泥亀新田
潮干狩りスポットの辺りでは、伊藤博文の金沢別邸が展示されていました。ちなみにこれは復元されたものなんだそうです。
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伊藤博文金沢別邸 |
さらにこの辺りでは、江戸時代の初めに儒学者の永島祐伯(泥牛)が、父とともに江戸から金沢に移り住み、新田開発を始め、約200年後、その祐伯から9代目の忠篤(亀巣)が泥亀新田を完成させています。また、製塩業で成功を収めたともありました。後にこの永島家が伊藤博文の夏島別荘の建設を請け負ったことにより、亀代司が博文の推薦で衆議院選挙に立候補し当選したそうです。事業の成功を収め、総理とのパイプを利用し政界へと進出するという数百年をかけた一族の成り上がり物語です。面白いですね。こんな家系に生まれれば、そりゃご先祖様を敬わずにはいられなかったでしょう。
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相中留恩記略 23巻 泥亀新田挿絵 当時の野島と長島家の牡丹園 |
野島山
潮干狩りができる場所から野島山を登り頂上を目指します。山といっても鎌倉と変わらぬ標高の低い丘陵です。地上部分では多くの人で賑わっていましたが、さすがに野島山頂部まで来る人は少数派のようです。
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潮干狩りを楽しんでいた人たちが遠くに見える |
頂上はほぼ広場として削平されてしまっています。上記したように、染王寺が山頂にあったと云われていますが、その名残りの欠片もありませんでした。ただ、景色は良かったです。六浦の海岸線からお隣の夏島、そしてシーパラなどが視界に入ります。あと、遠くに見えたタンカーでしょうか、信じられないぐらい大きくてビックリしました。
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野島頂部広場 |
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見晴台からの景色 シーパラの方を向いている |
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遠くに見えたタンカー どんだけデカいんだろ |
唐猫
頂部から先ほどの潮干狩りスポットとは反対側に下りていきます。途中でネコと会いました。鎌倉の信じられないくらい人懐っこいネコとは違い、警戒心が強くあまり近づけませんでした。ちなみに、ここ六浦の三艘に停泊していた唐船には、ネズミ駆除のためネコが載せられていたそうです。唐から来たので唐猫と云うそうです。唐猫はいつしかここ六浦に住みついたと云われています。千光寺というお寺に、そのネコを供養するための猫塚があるそうです。もしかしたらこの下画像のネコは唐猫の子孫かもしれません。
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三毛猫で尻尾が短いのが特徴の唐猫 条件は合ってる |
野島稲荷神社
丘陵を下りた反対側には野島稲荷神社があります。現地案内板によれば、安貞元年(1227)阿波守長島維忠の発願により、その子修理佐頼勝の造立と伝えるとありました。ここでまさかの鎌倉史跡の登場です。私の勉強不足かもしれませんが、吾妻鏡で長島という御家人の名を見た覚えがありません。
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野島稲荷神社 |
鎌倉の神社のように丘陵に浅い掘り込みが施され、祠などが祀られています。その他、階段状やお堂などの建物跡らしきものがみられました。
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丘陵部壁面 |
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階段?状の遺構 |
野島とは?
この辺りで、野島のあまりの「鎌倉感」の無さに萎えてしまい、史跡が集中する金沢の中心部に戻ることにしました。ということで、なんと、野島山頂部にあったとされる染王寺に寄るのを忘れるという失態をやらかしてしまいました。
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染王寺 |
染王寺は、横浜市金沢観光協会のHPによれば、室町時代に野島山の山頂に創建されましたが、強風により堂舎が破損したためこの地に移ったと伝えられるとありました。その他「比丘尼了意 永徳2(1382)年6月18日」と刻まれた宝篋印塔が残されているそうです。また行く機会があれば寄ってみたいと思いますが、野島は、史跡めぐりとしてわざわざ訪れる場所ではないかもしれません・・
カテゴリー 探索記事(エリア別 六浦・金沢)
記事作成 2015年1月6日