2015年2月1日日曜日

鎌倉武士の遺伝子は何処へ


皆さん自分のご先祖様がどういう人なのか聞いたり調べたりしたことぐらいはあるでしょうか。最近私は篠田謙一著『日本人になった祖先たち』という本を読みました。著書はミトコンドリアDNAで日本人の祖先を解明するというテーマで執筆されています。とてもわかりやすく興味深い内容でした。この業界の先生方は「10万年前に現生人類がアフリカ大陸から旅立ち~」という壮大な時間軸でものを語るので、1000年ぐらい前のことなどつい昨日のような感覚で話しているのが面白かったです。

あなたのご先祖様は何人くらい?


同書において、なかでも特に興味を惹かれたのが、私たち各個人のご先祖様がどれだけいるのかという部分でした。一世代を25年として20世代遡ると、500年ほどとなり、その数は2の20乗で100万人の先祖が存在することになるとありました。これはあなた一人に対してご先祖様が100万人いるということですよ。凄くないですか。では500年以上遡ると、私たちには一体どれくらいのご先祖様がいるのか、計算したくなりますね。

500年前の鎌倉と言えば玉縄城 向こうに見える丘陵が玉縄城跡主郭部近辺

ご先祖様は1兆人!?


一世代を25年とするとあったので、100年で4世帯となります。ですから100年だと2の4乗で16人の先祖がいることになります。そして上記したように、500年だと2の20乗で約100万人。そのまま鎌倉幕府が開かれた約800年前まで遡ると、2の32乗で4294967296となり、だいたい40億人。さらに坂東八平氏の祖と云われる平良文がいた約1000年前まで遡ると、2の40乗で1099511627776、えぇ~・・つまりだいたい1兆人となります。1兆???って・・なんだか大きすぎてあまり実感のわかない数字です。そもそもこの1000年の間に日本人が1兆人もいたのか?という素朴な疑問がわいてきますが、計算上はそうなります。「人類みな兄弟」という何処かで聞いたような言葉が頭に浮かんでくるようです。1000年ものスパンで考えると、私たちの周りには先祖を同じくする人がたくさんいることになります。

二伝寺にある平良文の墳墓

坂東八平氏の祖 平良文


坂東八平氏の祖と云われる平良文から派生した関東の武士たちをちょっと見てみましょう。鈴木かほる著『相模三浦一族とその周辺史』参照。

①中村氏 相模国余綾郡中村庄(足柄上郡中井町)
②秩父氏 武蔵国秩父郡(埼玉県秩父市)
③千葉氏 下総国千葉郡千葉庄(千葉市)
④上総氏 上総国埴生郡(千葉県茂原市南部 長生郡南部)
⑤三浦氏 相模国三浦郡(神奈川県三浦半島)
⑥大庭氏 相模国高座郡大庭御廚(藤沢市)
⑦梶原氏 相模国鎌倉郡梶原郷(鎌倉市)
⑧長尾氏 相模国鎌倉郡長尾(横浜市戸塚)

良文の子孫が関東一円に広がります。そして上記した氏族からさらにそれぞれ庶流が生まれます。例えば、秩父氏からは葛西・河越・豊島・畠山、三浦氏からは杉本・和田・岡崎・佐原・岡崎などなど、この調子で挙げていくときりがありません。平氏出身の一氏族を取り上げてもこんな感じです。現在も昔も子孫を多く残せるのは富裕層ですが、この時代の富裕層(武士)が何人もの女性を娶り、何人もの子どもを産ませ、さらにその子どもたちが何人もの子どもを・・といった具合に増えていく訳ですから、1000年もの間にあなたのご先祖様が1兆人もいれば、例えあなたの家系が1000年間一般人だったとしても、ご先祖様の誰かがどこかでこれら鎌倉武士の子孫と接触し、そのDNAがあなたにも紛れ込んでいると考えた方が自然ではないでしょうか。

御霊神社 良文の子孫となる大庭氏・梶原氏・長尾氏・鎌倉氏・村岡氏を祀っているとも伝わる

鎌倉武士のDNAは何処へ


前述した篠田謙一著『日本人になった祖先たち』では以下のように述べています。

「大部分の核DNAは組み替えによって伝わりますから、その系統をたどることは事実上不可能です。一つの遺伝子に注目すれば、一本道で系統が続くようにみえても、遺伝子を総体(ゲノム)で見た場合には、個人の歴史をさかのぼって収束していいく道筋のようなものはありえません。ミトコンドリアDNAやY染色体のDNAは、私たちの持つDNAのごく一部であり、その由来は自分自身の持つ全てのDNAの出自を示しているわけではないのです。」

昔から家系が続いているような立派な家柄でも、残念ながら「個人の歴史をさかのぼって収束していいく道筋のようなものはない」とありました。でもそれは逆にとらえると、家系が続いてないよくわからない家柄であったとしても、「その由来は自分自身の持つ全てのDNAの出自を示しているわけではない」ということからも、極々微量であっても、どんな歴史上の大物のDNAがあなたの身体に紛れているかわからないとも言えるのでしょう。


昔から多種多様な日本人


(ミトコンドリア)DNAを特徴ごとに細分化したものをハプログループと云います。例えば東アジアの最大集団で日本人に最も多いのが「D」と呼ばれるハプログループです。さらにこのDからサブグループとしてD1~D6まで分けられています。前述した『日本人になった祖先たち』の著者である篠田先生は、中世鎌倉の集団墓地から出た遺体に、M7cと呼ばれるハプログループが含まれていることを発見しています。このM7cと呼ばれるハプログループは、主にフィリピンやボルネオで多く分布しているもので、この発見が偶然にもレアケースだったということがない限り、日本人は鎌倉時代から既に色んな起源を持つ人種が混ざり合っていることになります。実際にも日本人は、世界的にみても稀なほどに多種多様なハプログループが混在しているそうです。

男衾三郎絵巻より

上画像は『男衾三郎絵巻』の一部で、ネットでも一時話題となった箇所です。絵は永仁三年(1295)頃の制作と考えられています。ご覧のとおり、金髪で鼻の高い人物が描かれており日本人とは思えぬ様相です。東南アジアどころか、ヨーロッパ人種が鎌倉時代から当たり前のように混在していたのでしょうか。

まとめ


ということで、あなたのご先祖様が1000年前には1兆人もいたんだから、なかにはきっと鎌倉武士を経験した人もいるはず、とかなり大雑把で強引な結論付けとなりました。宇宙がこれだけ広いのだから、地球だけに人類がいると考えるほうがおかしい、だからきっと宇宙人はいるはずという考え方に近いですね・・。皆さんはどう思われますか。

鎌倉武士たち 男衾三郎絵巻より

ちなみに


ちなみに私の母の旧姓を橘と云います。実家の家紋が菊水です。橘姓で菊水紋といえば、楠木正成ですが、実際にも母の祖父の実家では、楠木正成の「親族で部下」がご先祖様だと伝わっています。しかし家系図も何もないので実際のところはよくわかりません。またその母方の祖父が相馬の出身なので、上記したDNAの壮大な理論からすると、私の身体には、楠木(橘姓)だけでなく、もしかしたら相馬氏(平姓千葉氏)の系統も紛れているのかもしれません。真実はどうあれ、そう考えるとどこか誇らしげに思えてくるような気がします。皆さんもご自分のご先祖様を調べてみてはいかがでしょうか。意外な一族にたどり着くかもしれません。

相馬師常墓やぐら

カテゴリー 鎌倉研究部
記事作成  2015年2月1日

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