2015年2月15日日曜日

夢のお告げ


吾妻鏡にみる夢のお告げ


皆さんは説明のつかない不思議な夢を一度くらいはみたことあるでしょうか。『吾妻鏡』では、夢のお告げなる場面がいくつか登場します。そんな不思議な箇所を要約して並べてみました。


治承五年(1181)7月5日
我が子佐那田余一義忠を討ち取った長尾定景を長らく罪人として預かっていた岡崎四郎義実が、夢のお告げがあったと頼朝に語ります。長尾定景の信心深い行いを讃え、罪を許しやってほしいと頼朝にお願いしました。

長尾氏の邸跡 長尾台台地状尾根


養和元年(1181)7月21日
鶴岡八幡宮社殿の上棟式で、怪しい者を捕らえ処刑した後、頼朝の夢枕に現れた老人が「その者は頼朝の前世における仇敵だった」と告げました。

雪の鶴岡八幡宮


建暦二年(1212)10月11日
三善善信が頼朝のお供をして大倉山の付近に行った夢を見たときのこと、そこに現れた老人から「文屋康秀が相模国府の三等官丞として住んでいたこの場に寺を建てよ」と告げられ、そのことを頼朝に話したところ、頼朝は病気だったので、治ったらその通り寺を建てようと言いましたが、頼朝は翌年に亡くなってしまいます。この一連のエピソードを三善善信が将軍実朝に話したことから大慈寺建立が決定することになりました。

二ツ橋の谷戸奥にひっそりとある大慈寺跡の碑


建保六年(1218)7月9日
北条義時の夢に薬師十二神将の内の戌神が現れ「今年の神拝では何事もなかったが、来年の拝賀の日は供奉されぬように」と告げます。夢から覚めた義時は、泰時や時房の反対を押して大倉薬師堂の建立を計画します。そして翌年の承久元年(1219)正月27日、「供奉されぬように」という戌神の忠告に従い、御剣役を辞退し、公暁の襲撃から免れることができました。

もと大倉薬師堂


承久三年(1221)3月22日
北条政子が夢を見ました。二丈ばかりの鏡が由比ヶ浜に浮かび、こう告げました。「我は伊勢大神宮である。世の中を見ると、世は大いに乱れて兵を集める事態となる。北条泰時が私をかがやかせば太平を得るであろう」
その年の5月22日、承久の乱において、北条泰時は東海道を進む軍の大将に任命され鎌倉を出発します。

由比ヶ浜

とこのまま挙げてゆくときりがないのでこの辺りで。昔は現代と違って、時代的にもこうした夢のお告げには皆さんかなり真剣に耳を傾けていたのかもしれません。それにしても不思議な出来事です。また、建保六年(1218)の義時の夢、承久三年(1221)の政子の夢などは、ちょっと政治的な絡みがみられるので、本当にそんな夢を彼らが見たのか疑ってしまいます。


夢のお告げは実在する?


日経に日経らしからぬ面白い記事がありました。ベンゼン分子が円環構造をしていることを夢で考え付いた化学者ケクレの事例や、ベートーベンが目覚めたときに楽曲のアイデアがひらめいた事例などを取り上げ、最近の脳科学の研究成果からも夢のお告げは実在すると述べていました。


そもそも夢とはレム睡眠のときに起こると云われています。レム睡眠とは、いわゆる急速眼球運動の略で、身体が眠っているのに脳が活動している状態を云います。このとき、前頭前野背外側部にある意思を伴う行動や、論理的・社会的に適切かどうかの判断に関係する領域があまり活動しないため、思考を論理的で既知の事柄に制限している「思考の抑制作用」が弱まり、常識にとらわれない思考をすることで、独創的な発想や、問題解決が導かれると考えられています。

(①~③の画像はCCライブラリーさんからいだたきました。)

また、自分が今夢を見ていることを認識している状態、もしくは夢の展開を思い通りにコントロールできる状態を明晰夢と云います。この明晰夢を自在に見れるよう訓練することによって、自身の問題解決などに役立てる研究が進んでいるそうです。上記した北条義時の夢などは、文面通り受け止めれば、問題解決というか、命の危険までをも回避している訳ですから、凄いことですよね。ということで、鎌倉時代では神秘の沙汰とも言えるこの夢のお告げが、現代では科学で解明されようとしています。そう遠くない未来、北条義時は明晰夢を見たことで自身の命を救ったなどと当たり前のように未来の鎌倉市史に記されているのかもしれません。


伊豆でみた不思議な夢


皆さんは夢って覚えてますか?。よほど印象的なものでなければすぐに忘れてしまいますよね。私は昨年(2014年)にとても印象的で不思議な夢をみました。全てを話すととても長くなるので、簡潔にまとめます。

伊豆 狩野川

伊豆の史跡めぐりのため、一人旅をしたときのことです。宿で眠りに就くと、夢に女性が現れました。「会いにきてくれてありがとう。見つけてくれてありがとう。」と彼女が私に言うのですが、不思議だったのは、伊豆に泊まっていた3日間、ずっとこの夢をみたことです。彼女が色々と話しかけてきては、最後に必ず「会いにきてくれてありがとう。見つけてくれてありがとう。」と言うのです。彼女はお寺に住んでいるとも言っていたし、付き人のような生気のない2人の女性が後ろに控えていたりと、思い出したことを記すときりがありません。私は伊豆で一体何を見つけてしまったのか悩むばかりです。

伊豆の思い出

伊豆の史跡の縁起には、女性が登場するものがいくつかあります。円成寺の円成尼、真珠院の八重姫、西琳寺のあやめ御前など。そんな影響からか、私の脳が架空の女性を創造してしまったのかもしれませんが、そもそもこの夢の意味がよくわかりませんし、もしくは夢だから意味などないのかもしれません。ただ、この夢を思い出すと、もう一度あの彼女に会いたいと思ってしまいます。とても不思議です。それでは今回も私の話に付き合ってもらってありがとうございます。


カテゴリー 鎌倉研究部
記事作成  2015年2月15日

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