2015年3月2日月曜日

鎌倉のお地蔵さま


今回は鎌倉各地でお目見えするお地蔵様をまとめてみました。地蔵に関する由縁を調べていると、子育てに関するものが多いことに気付きます。wikipediaに、地蔵はサンスクリット語でクシティ(大地)・ガルバ(胎内・子宮)と云うとありました。もともとの由来からしてこのように母親のような意味合いだったんですね。お地蔵様のあの心地いい「ほっこり感」はこんな由来からきているようです。今回タイトル画像が二つもあるのは、どちらもいい雰囲気に仕上がったのでどちらか一つに選ぶことができなかったからです。上は長谷寺、下は円覚寺塔頭龍隠庵です。


六地蔵


鎌倉で最もよく見かけるポピュラーなお地蔵さまと云えば六地蔵でしょうか。『かまくら子ども風土記』(以下風土記)によれば、仏教では、全ての生物は天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六種の世界に生まれ変わりを繰り返すと考えられています。六道それぞれの苦しみを六種の地蔵が救うという考えから六体の地蔵を並べて祀ったのでこの名が付けられているとありました。

六地蔵

地名にもなった大町大路沿い下馬付近にある六地蔵は、もとは刑場跡に罪人の霊を弔うために地蔵を祀ったのがはじまりと云われています。後世にて人通りの多いこの地に移されてきたそうです。

常立寺
紅葉シーズンで最も美しいシチュエーションで六地蔵を見れる場所

貝吹き地蔵


新田義貞の鎌倉攻めに際し、自刃した北条高時の首を持って逃げた残兵が、首を敵に渡すまいとさ迷っていたところ、お地蔵様が貝を吹きながら導いてくれたため、残兵は無事に高時の首を埋めることができました。後にそのお礼として、首を埋めた谷の上方の尾根に地蔵を安置したと云われています。また、新田勢が鎌倉に攻め込んできたことを知らせたとも云われています。

貝吹き地蔵
天園イキングコース沿いの瑞泉寺~天園間にある

どこも苦地蔵


瑞泉寺境内。もとは扇ガ谷にありました。堂守が貧乏で生活に困っていたため、他所に移ろうとしたところ、地蔵が「どこも どこも」と言ったので、どこへ行っても苦しいことは同じだと悟り、留まったという伝承が残されています。

どこも苦地蔵

月影地蔵


『十六夜日記』でおなじみの阿仏尼が住んでいたことで知られる月影ヶ谷にもともとありましたが、近世にて極楽寺西ヶ谷に移ってきました。地蔵は近世のものですが、月影地蔵自体は極楽寺創建以前からあったそうです。地元では「子どもが丈夫に育ちますように」とこのお地蔵様にお祈りするそうです。

月影地蔵

導き地蔵


極楽寺の赤橋付近にあります。子供たちを守り育ててくれるお地蔵さまで、この地蔵の視野に入る場所では災難は起きないと伝えられています。

導き地蔵

以前にこの導き地蔵に御参りしてから極楽寺周辺を散策していたところ、声をかけてきてくれた方に、稲村ヶ崎や鎌倉山へと向かう尾根道を教えてもらいました。「導き地蔵にご挨拶したら本当に導かれた」と感動していたのも束の間、上記した導き地蔵の由来を風土記で読みましたが、別に導いてくれる訳でもないのかとガックリきたのを覚えています。「じゃぁ導きって何だよ」と、ぶつけようのないツッコミ感にその後襲われました。


離山富士見地蔵尊


鎌倉から大船方面に向かう旧鎌倉街道沿いにあります。この辺りが土地開発される以前には、長山・腰山・地蔵山と呼ばれる山が連なっていて、この三つの山を総称して離山と呼んでいました。その地蔵山にいた地蔵がこの地に移ってきたと云われています。どうやら地蔵山にいたお地蔵様が、通りがかった大三という者に「こんな高くて急な場所では人々の願いを叶えられいじゃないか」と言ったことからこの人通りの多い道沿いに移されたそうです。ですからこのお地蔵さんは意識高い系の働き者みたいです。

離山富士見地蔵尊

塩嘗地蔵


光触寺境内にあります。当時、六浦の塩売りが鎌倉に入る時には初穂として塩をこの地蔵に供えたのですが、帰りには塩がなくなっていたので、お地蔵様がなめたのだろうということがその名の由来と云われています。昔は六浦道沿いにあったということです。

塩嘗地蔵

長谷寺地蔵


長谷寺の地蔵堂にある金ピカお地蔵さまです。ちょっと格好イイですよね。平泉の金色堂にある仏像もこんな感じなんでしょうか。いつか行ってみたいと思います。

長谷寺地蔵

網引地蔵


光明寺境内。網引地蔵と呼ばれるこのお地蔵さまは、なんと正中二年(1325)に造立された貴重なもので、発願者が満福寺の教義、勧進役が尚養寺の西連など、具体的な記録が碑文に刻まれています。もとは裏山の地蔵窟にありましたが、宅地開発で現在地に移ってきました。

光明寺網引地蔵

お地蔵さん特有の赤いよだれかけ?を付けられると可愛い雰囲気になりますが、よ~く見ると、光背には梵字が刻まれていたりと、結構格好いい系の石造物なんですよ、こちら。

浄光明寺網引地蔵

浄光明寺にある石造地蔵菩薩坐像も何故か網引地蔵と呼ばれています。浄光明寺三世長老の性仙和尚が、正和二年(1313)に供養したことが銘文に刻まれています。こちらもちょう~貴重な石造物です。それにしても、光明寺といい、浄光明寺といい、何故網引地蔵と同じ呼び名なのでしょうか。しかもややこしいことに両社の寺号も似ています。もしかしたらとんでもない謎が隠されていたりして・・。

建長寺地蔵菩薩


建長寺の仏殿には地蔵菩薩が祀られています。建長寺建立以前から地獄谷にあった心平寺にも地蔵が祀られていました。よ~く見ると、地蔵菩薩の脇にも色々な石造物が置かれています。

建長寺地蔵菩薩

十二所地蔵


十二所神社近くで朝比奈切通のあるたたらヶ谷入口付近にあります。六浦道沿いのちょうど信号機のある場所にこちらのお地蔵さまは佇んでいますが、子供を見守るという地蔵本来の由来からも、子どもたちが交通事故に遭わないよう見守っているのかもしれません。

十二所地蔵

花想い地蔵


明月院でいつも花を抱えています。「大切な人との別れ、いとおしい物との別れ、そんな時、ふと目に止まった花がどんなに心を慰めてくれたことでしょうか」とありました。なるほど、私はうだつの上がらない現状を慰めるために鎌倉に来て花を見ているのかもしれないと考えさせられます。

花想い地蔵

夫婦地蔵


衣張山犬懸ヶ谷。アップの画像がなくて申し訳ありませんが、寄り添う男女の微笑ましい夫婦地蔵です。男女の道には大きな困難が待ち受けているといわんばかりの巨石が今にも夫婦地蔵に覆い被りそうな勢いで存在しています。石造物だけ見ると微笑ましく寄り添っている雰囲気でしたが、視界を広げると、迫り来る脅威に怯え二人で手を取り合っているように思えてきます。

夫婦地蔵

無患子地蔵


宝戒寺。境内にある無患子(むくろじ)という木の下にいらっしゃいます。こちらは表情がシリアスなのでお地蔵さんといった雰囲気ではありませんが、無患子は子どもに関するものなので、こちらもお地蔵さん本来の意味合いに近いようです。但し、無患子の木とこのお地蔵さまが関係あるのかはわかりません。宝戒寺に訪れると何故かこのお地蔵さまに惹かれます。

宝戒寺無患子地蔵

身代り地蔵


安養院。見たままのとおり、身代わりになってくれるお地蔵さまのようです。たぶんですが、色んな人の身代わりになってくれているので、自分は寝込んでしまうほどに調子が悪くなってしまっているようです。「そこまでして・・」と、とてつもなく可哀そうに思えるお地蔵さまです。

安養院身代わり地蔵

カテゴリー 鎌倉遺構探索事典
記事作成  2015年3月2日

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