三浦半島の南端部となる三浦市には豊かな大自然に加え、和田義盛邸跡や三浦義村の墓、そして三浦一族終焉の地となった新井城跡などがあります。絶えず自然の風景が視界に入ってくる素敵な地域です。
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三浦市の記事一覧
頼朝の三崎遊覧をテーマに頼朝の三崎に関する史跡を紹介します。頼朝の三崎山荘とはどこにあったのか、そして吾妻鏡には記されていない頼朝の妾、妙悟尼とは。
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三崎の総鎮守海南神社は9世紀に大宰府を拠点とした藤原資盈に関連します。御霊神社や源為朝を祭神とした疱瘡神社、そして和田義盛に関連する筌龍弁財天などの多くの神さまが合祀されています。三崎の歴史が凝縮された神社です。
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大宰府から三崎に逃れてきた藤原資盈がカギを握る、三崎の方々に祀られた神々の共通点とは。
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相模三浦一族の終焉の地は三方を海に囲まれた難攻不落の城。旧道と海の景色が魅力!
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新井城跡周辺の史跡めぐりに行ってきました!○海外町のスランプ構造○油壷湾○諸磯神社と小桜姫神社?○三浦水軍・出口茂忠○白髭神社と壮大?な由縁○義士塚、以上のテーマでお送りいたします。
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三浦半島における和田義盛の拠点、初声の和田に所在する史跡を訪れました。どこまでも畑の景色が続くほのぼのエリアです。
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三浦海岸から海岸線を少し南下した辺りにある三浦義村の墓を訪ねました。
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南下浦の後編です。特別これといった史跡も登場せず・・一旦はボツとしましたが、素敵な写真が撮れたこともあって、せっかくなのでアップしてみました。良ければお付き合いください。
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雨乞いの地、雨崎に営まれた海蝕洞穴は、弥生時代から古墳時代までに住居や墓地として利用されていました。そしてなんと探索時には現地の裸族と遭遇するというアクシデントも。戦慄のレポートをついに公開!
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やぐらのような造作や石塔残欠など、どこか中世の痕跡が漂う松輪。その松輪の間口港でちょ~大型の海蝕洞穴を発見!
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剱崎から江名にかけて所在する海蝕洞穴に行ってきました。ちょ~巨大な洞穴に興奮を抑えられません。そして自然が織りなす造形物に神秘を感じました。
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有名な毘沙門洞穴、そして迫力の地形盗人狩に行ってきました。霊感の強い方は今回の記事は見ないほうがいいかも?
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宮川から三崎にかけて所在する海蝕洞穴に行ってきました。○釈迦堂風海蝕洞穴○鍾乳洞風海蝕洞穴○最恐の海蝕洞穴○ブルーシート海蝕洞穴と、今回も素敵な海蝕洞穴を発見することができました。その他、岩礁のみちのアスレチック度が増していたことに困惑を隠せません。
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三浦氏の系譜を三浦半島の史跡と共に紹介!
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三浦宗家の領地特性から浮かび上がる彼らの狙いとは? 三浦宗家と義村の世代を中心に一族の所領を調べてみました。
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三浦一族が利用していた三浦半島の港と房総半島を繋ぐ航路を検証してみました。森戸と三崎は観光地、そして久里浜は対房総半島の軍事拠点だった!
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