今回は三浦義村の墓がある金田から三崎方面に向かい南下したときの記録です。前回の記事「
南下浦」から地理的には繋がっています。いつも鎌倉遺構探索を見ていただいている皆さんが期待するような発見は一切ありません。一旦はボツ記事としましたが、とても素敵な風景を眺めることができたので、この度こうして記事にしてみようと思いました。
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Google map 三浦半島 |
松輪の辺り
三浦義村の墓がある南向院跡から県道215号を伝って三崎方面に南下しました。ちなみに三浦海岸駅にレンタルサイクルがあるので、この日はそちらで自転車を借りています。当たり前ですが東京と違って地形の起伏が残されているのでアップダウンの連続です。苦労して登り道を行くと、高台となるので遠くまで景色が望めます。まるでハイキングコースの見晴台のような、がんばったご褒美がもらえる瞬間です。こんな素敵な景色を眺めていても、私の人生はいつ見晴台に着くのかという切ない思いがふと頭をよぎりました・・。
目の前に広がる花や緑、その向こうに海と房総半島が見えます。品川駅から三浦海岸駅まで京急で90分ちょっとで来れるのが信じられない景色です。それからこの下画像、ちょっとおかしな地形をしています。画像の真ん中が凹んでいますが、これって道跡をそのまま畑にしているんじゃないかと思えてきます。自然豊かな三浦半島ですが、意外に現在のコンクリート舗装された道は平坦で真っ直ぐなので、近現代でかなり区画整備されたものと思われます。
白浜毘沙門天
県道を外れて海側に向うと毘沙門天があります。現地案内板によると、応安元年(1368)の建立で、正式には持陽山慈雲寺毘沙門堂と云うそうです。ちなみにやや近くにその慈雲寺が所在しています。毘沙門天は「こんな所に?」というぐらい辺鄙な場所にありますがそのまま浜辺に抜けられるので、道は平坦に舗装されており、意外にも「秘境感」はありません。また周辺は全て畑地として開発されているので「裏山感」もありません。
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白浜毘沙門天 |
浜辺に出ると、いかにも三浦半島といった感じの素敵な岩浜の様相です。このまま浜辺を何キロか歩けば古墳時代横穴墓があるそうですが、この日のあまりの過酷な日差しと気温に、そんなに体力を消耗できないと思い行くのを断念しました。
下画像のこれ、何が写っているかわかりますか、スイカです。こんなにいっぱいあるのを初めて見ました。皆さんにはどうでもいいことですが、私はスイカが大好きです。だからこの景色、宝の山みたいです。
宮川の辺り
しばらく進むと気持ちいいぐらいに景色が開けます。この辺りを八景原と云うそうです。城ヶ島・油壺に勝る景勝地だと現地案内板にありました。
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八景原 |
一方で昔はこの断崖から遊女などが投身自殺をしたそうです。いわゆる自殺の名所だったようです。供養塔が近くに建てられていました。ちなみにこの辺り、遊郭があったような賑わっていた場所だとは到底思えませんが・・、昔とは全然違ったのでしょうか。
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供養塔 |
近くには小さな石塔がたくさん並んでいる一画があります。刻まれた文字を見ると馬頭観音とありました。この辺りが昔から畑地だったことがうかがえます。ちなみに馬頭観音とは、農作業など人間のために従事した牛・馬などを供養した石塔のことです。
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馬頭観音 |
どこまでも続く道、そしてピクニック気分を萎えさせる登り坂。美人と付き合うと色んな苦労があるように、豊かな自然と触れ合うにもそれ相応の苦労が伴うのは必然なようです。
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記事作成 2015年9月1日
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