今回は横須賀市の西側にある芦名の辺りから佐島周辺をめぐるコースです。漁港のあるいかにも三浦半島らしい地域です。
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Google map 佐島 |
浄楽寺
国道134号から少し入った場所に浄楽寺は所在します。文治五年(1189)に和田義盛が頼朝の祈願所として開いたお寺です。以前の山門は国道を隔てた所にあったそうなので、往時の盛大さが伝わってきます。東日本にはここと
願成就院の二箇所にしかない運慶作の像があるお寺です。運慶作の本尊阿弥陀三尊を見れるのは一年に一度だけなので、なかなかタイミングが難しいかもしれません。私もまだ見ていません。和田合戦の後、寺は荒廃しましたが、寂恵によって中興されたとありました。荒廃したのにあの貴重な本尊が残っていたって凄いことですね。
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浄楽寺 |
芦名城跡
国道から海岸寄りに進むとあるのが芦名城趾です。と言ってもほとんど何も残されていません。畑として利用されている旧態地形が一部見られますが、素人がこれを見たところで何もわからないでしょう。私はさっぱりでした。とにかくこの辺りが三浦大介義明の弟となる芦名為清の拠点だったようです。
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芦名城跡の辺り |
十二所神社
芦名城趾から海沿いに進みます。磯の香りが漂ってきたと思ったらすぐそこが海でした。十二所神社が奥まった位置に見えました。階段を登った丘陵中腹に位置しています。
十二所神社は古くは十二天明神と云い明治の初めに十二所神社と改号されました。三浦義明の弟にあたる芦名為清が芦名城の鎮護として創建されたと伝えられています。『吾妻鏡』寿永元年(1182)8月11日条に、佐原十郎義連が北条政子の安産祈願のために代参している記事がみられます。
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十二所神社 |
この日は何か事情があったのか、それともいつものことなのかわかりませんが、社殿の扉が開いていて奥まで見えました。拝殿の後ろの建物を確か幣殿と云ったと思いますが、本当に繋がっているんですね。勉強になりました。ちなみに御神体は木製の古仮面とありましたが、このとき飾ってあったのでしょうか。それにしても木製の古仮面というどことなく怪しげな言葉の響きに惹かれます。
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十二所神社の狛犬が見る景色 |
淡島神社
すぐ近くに淡島神社があったので寄ってみることにしました。こちらも階段を登った高台にあります。ピンクの社殿に一瞬目を疑いましたが、縁結びや安産の神として崇敬されてきたという縁起を読んでひとまず納得しました。元禄の頃に特に流行ったそうです。
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淡島神社 |
神社の創建はお隣の十二所神社と同時期とのこと。そして和歌山市加太にある淡島神社を勧請したものと伝わっています。以前に「
房総・紀伊半島の類似点と三浦一族」という記事を書きました。近世にて黒潮に乗って紀伊から房総へと漁師などが移住してきたことから紀伊と房総で同じ地名が存在するといった内容のもでしたが、この淡島神社の縁起からは、この神社が創建されたと考えられる平安末期〜鎌倉時代の頃から既に黒潮に乗って神様までもが関東に流れてくるほどの交流があったのかと驚きます。それとも創建年月日が怪しいのでしょうか。縁起には江戸時代のことしか書かれていません。
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淡島神社から見た景色 |
天神島
淡島神社から海岸線を進みます。この辺りを佐島と云うそうです。それにしても島じゃないのにどうして佐島なんでしょう。昔はもしかして島だったんでしょうか。しかも左衛門尉(三浦一族だと和田義盛や佐原義連)の島だから佐島という名になったとか・・、ちょっと強引ですかね。逗子や葉山のようにこちらにもヨットの港があります。陸揚げされたものを近くで見るとその大きさが伝わってきます。
こちらは逗子や葉山より都心から遠い位置にあるので港しての格付けは劣るのかと思いきや、駐車場には浜ナンバーのお高そうなベンツばかりが停まっています。どこに船を停めようが船を持っている時点でやはりお金持ちなのでしょう。史跡めぐりをしているときは煩悩もなく澄み切った心でいられるのが私にとっての安らぎですが、こういう部分を見てしまうと、「オレも高級車乗りたい」という下らない煩悩が湧いてきます。
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天神島 |
しばらく行くと天神島へと到着。こちらは完全に島のはずが、繋がっている部分が大きいためか、いつ島に渡ったのか気づかないぐらいでした。ここに鎌倉の史跡はありませんが、海があるとどうしても寄ってしまいます。東京で海を見ようとしても、浜松町駅からも近い竹芝桟橋からお台場の辺りが関の山です。あれはあれでレインボーブリッジなんかが見えて素敵なんですが、東京湾ってなんか海って感じがしなくて・・。やっぱり湘南やこちら三浦半島の相模湾まで来ないと海を体感した気になりません。
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向こうに見えるのは笠島 |
なんと天神島、これだけの海岸がありながら臨海自然教育園として管理されているため、海水浴場としては使われていません。そのためか砂浜がとてもキレイです。何でこんなに砂浜が白いのかと思ったら一面に貝殻が落ちているからなんですね。今もあるのかわかりませんが、私が小中学生ぐらいのときに江ノ島のおみやげに買った星の砂といって小さな瓶に小さな貝殻がいっぱい入っていたアレを思い出します。アレが砂浜一面に敷き詰められています。ちょっと感動しました。こうして今思うと星の砂というあの商品、砂浜から拾ってきたものを瓶に詰めてただ売るだけじゃないかと今さら気づきます。商売って別に大したものは要らないんですよね、瓶に詰めてキレイに見せるという付加価値を付けるだけで砂浜からただ拾ってきたものがそこそこの値段で売れるんですから。
佐島周辺には結構お寺があります。ただ史跡みちではそれら寺院を一切紹介していなかったので、たぶん特筆すべき縁起を持つお寺がこれといってないのかもしれません。この日は体力面に不安があったので、私も余計な所に立ち寄ることなく佐島をぐるっと一周しました。但し、ひとつ偶然に寄ったお寺には中世のものらしき石塔が並べられていました。どんな歴史があったのでしょう。そして国道に出る前に石切り跡が見られました。最近は鎌倉に行かずこうして三浦半島に来ているので久しぶりに見ました。
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佐島にあった石切り場跡 |
無量寺
国道を越え山側に向うとあるのが無量寺。こちらも浄楽寺同様、和田義盛の開基と伝わっています。また、この辺りを長坂と云い、現地案内板によればやぐら群がある?(あった?)そうです。やぐらは大友氏に関連したものだとありました。大友氏といえば、九州御家人を統率した一大勢力ですが、平安末期から三浦宗家と姻戚関係にあったと『相模三浦一族とその周辺史』に記されています。
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無量寺 |
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長坂やぐら群という案内板にあるのは何故か庚申塔などの石塔類だけ |
カテゴリー 探索記事(
エリア別 横須賀)
記事作成 2015年9月3日
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