2015年10月12日月曜日

大磯の古道・旧道


化粧坂


平塚方面から花水川を渡ると高来神社のある高麗村となります。そして化粧坂(上地図画像②)から東海道筋を通りJR大磯駅前を過ぎた鴫立庵(⑧)のある辺りまでが本宿として江戸時代に賑わっていたエリアです。

Google map 大磯
①高来神社 ②化粧坂 ③道祖神社 ④延台寺 ⑤浅間神社 ⑥熊野神社 ⑦東光密院 ⑧鴫立庵 
⑨白山神社 ⑩妙大寺

高来神社から化粧坂に入る前にあるのが虚空蔵堂で、この辺りが高麗寺村と大磯宿との境界線となります。

虚空蔵堂

化粧坂に入るとすぐにある化粧井戸の辺りが鎌倉時代では中心地だと考えられており、曽我物語で知られる虎御前もこの辺りにいたのだろうと云われています。

左が国道1号 右が化粧坂

それにしても化粧坂という名称ですが、鎌倉にある化粧坂の名の由来には、「首実検のために首を化粧した」「化粧した女性がいた」「草木が生い茂っていたため気勢(けわい)と呼ばれた」などなど諸説あります。こちらの化粧坂はどのような兼ね合いでこのような名称になったのかわかりませんが、どれも当てはまるような気がします。

化粧井戸

大磯の鎌倉街道は何処へ?


さて、大磯の鎌倉街道は何処を通っていたのでしょう。化粧井戸のある辺りに虎御前の父とも伝わる長者がいたことからも、旧東海道がそのまま鎌倉街道かと思いましたが、現地案内板のイラストに興味深い描写がみられます。イラストは江戸時代の旧東海道化粧坂の様子を描いたものですが、奥に「鎌倉道」と注釈の付けられた道が描かれています。これが鎌倉街道だということでしょう。化粧坂より山裾寄りに当時は道が敷かれていたようで、釜口古墳の前を通り西に向っています。但し、この道が現代でいうところの主要幹線道路だったのかどうかまではわからないので、一応控えめにイラストと同じく鎌倉道、つまり主要幹線道路とまでは言えないが鎌倉時代からあった道筋だということにしておきます。

現地案内板イラストより ○に鎌倉道と記されている

また観光案内所でもらったマップには「鎌倉道に沿った妙大寺」という記述がみられます。妙大寺は大磯駅より山側にあるお寺です。さらに近接する御嶽神社の縁起にも「旧鎌倉街道沿い」と記されていました。近接する妙大寺と御嶽神社前を通る道が鎌倉時代から存在していたようです。

妙大寺

山裾の鎌倉道


ということで、以上を踏まえ、具体的な線は引けませんが、この妙大寺前と釜口古墳前の点と点(下画像の赤い○)を合わせた間に鎌倉道が通っていたのでしょう。つまり鎌倉方面から下ってくると、高来神社前を通り化粧井戸の辺りから釜口古墳前を通過し、妙大寺・御嶽神社前を通り小田原方面に向かったと思われます。

Google map 大磯 白線が東海道

どんなに宅地化された地域でも古道沿いには当時からの史跡が残されているなど、何かしらの痕跡がみられるものですが、そういえば、これが当時からの史跡なのかはわかりませんが釜口古墳の近くには伏見稲荷神社がありました。

釜口古墳の近くにある伏見稲荷神社
釜口古墳と伏見稲荷神社前を通る道 これが鎌倉街道かも

海側の鎌倉道


大磯の図書館にあった『郷土史 北下町』に興味深い記述がみられました。
「鎌倉時代以降の交通路をみると、小磯方面から来た道は、御嶽神社前坂田を過ぎていくものと、一方は鴫立沢付近で海岸に出て下町通りを山王町の日枝神社付近へ抜けていくものとがあったようであり。現在の国道はその後のものである。」

Google map 大磯 赤線が東海道 青線が鎌倉道
①道祖神社 ②延台寺 ③浅間神社 ④妙輪寺 ⑤熊野神社 ⑥東光院 ⑦鴫立庵

鎌倉時代以降の考察であるのが残念ですが、この記述にある二本の道が鎌倉時代からそのまま受け継がれていると考えることにします。文中の「御嶽神社前坂田(上地図画像⑨)」というのは上述した妙大寺前と同じ道を指しています。ですから鎌倉道です。一方で「鴫立沢(上地図画像⑦)付近で海岸に出て~」という部分は、なんと、偶然今回の大磯ツアーで歩いた場所だということに気付きました。この上地図画像にある浅間神社③・熊野神社⑤・東光院⑥が国道(赤線の東海道)ではなく青の線で引いた生活道路側に入口を向けていました。何故天下の大通りに玄関を向けないのかと不思議に思っていましたが、こういうことだったんですね。つまり青い線で引いた現在の生活道路は東海道が整備される以前からあった道であり、鎌倉道でもあった可能性が考えられます。

鎌倉道側に入口を向いている浅間神社

ということで、一つは鎌倉道とは言い切れませんが、一応二つの鎌倉道候補が浮かび上がりました。鴫立庵から海岸線を行く道は東海道とも並行しているので、東海道の原型であった可能性も考えられます。だからこちらが当時の主要幹線道路だったのではないかと言いたいところですが、前者の釜口古墳~妙大寺の辺りにはもう既に消失しているものも含め古墳や横穴墓が集中しています。どちらも街道としての要素を含んでいます。私はどちらも鎌倉街道だったのだと思います。

埋もれた歴史


駅から釜口古墳に向う際、順当なルートを選ばなかったため、私はかなり山中を遠回りしました。藪に埋もれかけた小径などを進みましたが、ハイキングコースでもないのにかなりしっかりした尾根道が現れたり、謎の石像仏や地形を見ることができました。下画像は山中で見つけたその謎の石像仏です。読み取れた文字だけから推測するに、この地蔵は延命福地蔵と呼ばれるもので、元文とあったので1736~1740年頃の造立、そして願主は大長院とありました。大長院をネットで調べると小田原の大長院が出てきます。どういうことなんでしょう。

延命福地蔵
謎の建物跡地形 実は戦前まであったという料亭跡

現在駅近にある揚谷寺は、ハイキングコース編でも紹介した揚谷寺横穴群のある辺りに元々あったと云われています。『郷土史 北下町』には、後北条氏が大磯周辺の住民を東海道沿いに移住させたとあり、また御嶽神社の縁起には江戸開府間もなくこの辺りの住民が東海道筋に移動させられたとありました。どちらにしろその時代辺りから大磯の街区画が改変されたようです。もしかしたらそのために移転した寺院が他にもあった、もしくはそれを機に廃された史跡などがあったのかもしれません。大磯に古道の痕跡が目立たないのはそういった事情もあるのでしょう。結構山側には旧態地形が残されているので探索すると面白いかもしれません。また機会があれば、大磯に行ってみたいと思います。




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記事作成  2015年10月12日

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