2015年11月24日火曜日

金沢八景ポイント


歌川広重が描いた金沢八景それぞれのポイントを検証してみたいと思います。がしかし、皆さんご想像のとおり、というかご存知のように、広重が描いた当時の景観など現代において既に失われています。だからそんなことしてもあまり意味はないんじゃないかというご意見もあるとは思いますが、そうだとしても、そうであっても、鎌倉に興味を持つと、往時では鎌倉の一部だった金沢に愛着がわいてきてしまいます。当時からどれくらい変化したのか、当時はどんな風景だったのか、改めて知りたいと私は思いました。

Google map 金沢八景
①駅前歩道橋 ②泥牛庵 ③金龍禅院 ④内川の暮雪 ⑤野島の夕照 ⑥平潟の落雁 
⑦乙舳の帰帆 ⑧洲崎の晴嵐 ⑨瀬戸の秋月

金沢八景は、現在の平潟湾周辺、瀬戸・洲崎・野島の辺りに集中しています。やはり海が見える場所がポイントなのかもしれません。ということで、今回は、金沢八景だけにこだわるのではなく、平潟湾周辺の景観ポイントをまとめてみました。

八景駅前からの景色


金沢八景駅前交差点に架かる歩道橋からの景色はある意味「新」金沢八景です。歩道橋をシーサイドラインの乗り場まで行くと、少し上から琵琶神社を野島と一緒に眺めることができます。この至近距離でこの角度からという構図、逆に往時では見ることができなかった景色でしょう。

琵琶神社 向こうに野島が見える

歩道橋から北を向くと見えるのが瀬戸神社。何気ない風景ですが、こんな風にちょっと上から神社とその全景を眺められるなんて他ではなかなか有り得ないシチュエーションかもしれません。私はここから瀬戸神社を眺めるのが好きです。

歩道橋から見た夏の瀬戸神社
歩道橋から見た紅葉期の瀬戸神社

そして南を向くと泥牛庵が見えます。なんと、信じられないことに、近世まで泥牛庵と金龍禅院のある丘陵が繋がっていたそうです。ですから鎌倉から六浦道を来ると、泥牛庵前でちょっとした峠坂を登るようになっていたんですね。そんな信じられない地形だったことを偲ぶのに打ってつけのポイントです。

矢印が泥牛庵 16号沿いのあの場所に昔は丘陵があった

お殿様の見晴台


それでは八景駅から国道16号を下ってその泥牛庵へ。泥牛庵はもともと中世では能仁寺、近世では陣屋があった駅裏の谷戸にありました。泥牛庵がここに来るまでは、陣屋のお殿様の見晴台として活用されていました。こちらも現在ではそのお殿様が見晴台とした場所だったとは思えない光景が拡がりますが、どの方向に何が見えるのか、この辺りの地理を掴めば、少しは往時を偲ぶことができます。

泥牛庵裏山から 
見えないが左に瀬戸神社、右に金龍禅院、そして中央には往時では平潟湾が見えたはず

ちなみにこちらはその能仁寺があった谷戸裏山からの景色です。浄源寺の裏山とも繋がっています。浄源寺は、頼朝が瀬戸神社別当寺として文覚と共に建立したお寺で、後に忍性が住したという説もあります。またこの辺りには吉田兼好が一時的に住んでいたとも云われています。ですから文覚・忍性・吉田兼好というビッグネームらがここから平潟湾を望んでいた可能性は非常に高いと思われます。

能仁寺裏山からの景色 当時は平潟湾が望めたはず

景勝地九覧亭


そして泥牛庵と近世まで丘陵が繋がっていたという金龍禅院へ。こちらは九覧亭と云って平潟湾周辺を望む江戸時代では人気のスポットでした。こちらも現在ではほとんど何も見えませんが、木々の隙間から野島をわずかに望めます。

金龍禅院から見た景色

内川の暮雪(うちかわのぼせつ)


九覧亭から国道16号を下ると、瀬ヶ崎手前に侍従川を渡る橋が架けられています。橋を内川橋と云います。この辺りから見た鷹取山から神武寺へと連なる連山を眺めた風景が、歌川広重の描いた金沢八景のひとつ「内川の暮雪」です。現在は国道沿いに建つビル群で山が見えることはありません。

内川橋

絵図は、内川橋のある瀬ヶ崎付近から、鷹取山・神武寺へと続く連山をとりいれた構図に仕上げられています。

内川の暮雪

野島の夕照(のじまのゆうしょう)


野島はもとは陸続きの島で、百戸の漁家があったそうです。

野島の夕照

国道16号から内川橋を渡って左折し、瀬ヶ崎を野島方面に向かいます。瀬ヶ崎と野島を渡す橋を夕照橋と云います。きっとこの広重の絵図から付けた名前でしょう。野島にはビルのような背の高い建物が見当たりません。何か規制があるのでしょうか。だからかもしれませんが、絵図に描かれた漁家をほうふつさせるような景色が拡がっていました。

民家の感じが一緒

平潟の落雁(ひらがたのらくがん)


平潟は野島のふもとから洲崎にかけての地域を云います。絵図のとおり、潮干狩りをしている当時の人たちが描かれています。

平潟の落雁

下画像は夏季に野島に訪れたときのものです。当時の景観は失われていますが、なんと、人々が潮干狩りをしている部分が絵と一緒という奇跡。

野島で潮干狩りを楽しむ人々

乙舳の帰帆(おつとものきはん)


乙舳海岸に帆かけ舟が帰ってくる景色を描いています。

乙舳の帰帆

野島と洲崎を渡す橋を帰帆橋と云います。こちらも「野島の夕照」と同じく、八景絵図から命名されたものでしょう。平潟湾に多くの船が停泊しているのが、せめてもの当時からの名残りかもしれません。現在は帰帆というより、海のはるか上でシーサイドラインが忙しなく往来しています。

帰帆橋からの景色

洲崎の晴嵐(すざきのせいらん)


洲崎の海岸と松並木が描かれています。

洲崎の晴嵐

これは現在でいうどの場所から見たのでしょう、私の知識ではちょっとわかりませんが、下画像はシーサイドラインから眺めた洲崎です。近世までは広重の絵のように松の木が延々と並んでいたんですね。

シーサイドラインから見た洲崎

瀬戸の秋月(せとのしゅうげつ)


平潟湾をぐるっと一周して八景駅前からも近い瀬戸橋の辺りに帰ってきます。手前から当時の有名な料亭東屋、瀬戸橋、そして野島が描かれています。広重の絵の構図は、現在でいう国道沿いのダイエー付近から見たものと思われますが、ここからは現在何も見えません。

瀬戸の秋月

近世までは瀬戸橋付近が最も賑やかで、料亭や茶屋が建ち並んでいたそうです。金沢道を調べていてわかったことですが、洋服の青山が広重の絵にも描かれている有名な料亭東屋があった場所です。

瀬戸橋の辺り

ということで、金沢八景の平潟湾周辺をまわってみました。当時の様相を事前に調べ、なおかつ現地で想像をふくらませれば、往時の金沢八景の風景が少しは浮かんできたような気が私はしました。ちなみに金沢八景は、この他に「称名の梵鐘」「小泉の夜雨」がありますが、場所が離れているので、今回は見送りということで、またの機会にでも。



カテゴリー 探索記事(エリア別 六浦・金沢
記事作成  2015年11月24日

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