2015年12月3日木曜日

2015年12月鎌倉遺構探索便り 追浜・沼間編


和田山遺跡の記事は読んでいただけたでしょうか、ノーマークだった追浜にやぐら群が存在し、さらに見たこともない特殊型までありました。ということで、これは追浜期待できるかもしれないと、追浜周辺にある史跡をリストアップし、手当たり次第やぐらを探しに出かけてきました。鎌倉から自転車で逗子・金沢を経由し追浜へ、そして帰りは沼間・逗子と経由して帰ってきました。

Google map

雷神社


まずは追浜駅からも近い雷神社。前回立ち寄った際はキレイな緑色をしていたイチョウの木でしたが、今度はキレイな黄色に変わりつつありました。雷神社のこのイチョウの木、樹齢400年を越える古木なんですよ。

3週間ぐらい前の雷神社のイチョウの木
今回の雷神社のイチョウの木

追記:『雷神社と天神さま』の記事アップしました。

久遠山大悲院良心寺


さて、それではやぐら探索に入ります。こちらも駅から比較的近い良心寺。後北条氏の玉縄城十八人衆の三位に格付けされていた朝倉能登守の奥さんの菩提寺です。早速ありました!やぐら。他にもあるのではないかと思い、やぐらのある丘陵部壁面の裏側に回ったところ、若干の旧態地形が残されています。この裏山への登り道だったかのような造作が見てとれますが、残念ながらお寺が立入りを禁じているので、そのまま進むのを断念することに。

良心寺やぐら

追記:『良心寺と陣屋跡』の記事アップしました。

金剛山正禅寺


微妙な痕跡しか見つからなかった自得寺を経て正禅寺へ。こちらは臨済宗建長寺派です。凄いです。完全にやぐら群です。百八やぐらの最上段のように、風化してどこまでを一つとカウントするのか微妙なところですが、とにかく壁面にやぐらの造作が連なっています。しかも二段構え。追浜でこんなしっかりしたやぐらを見れるとは思いませんでした。さらに本堂の真裏にもやぐらがあるようですが、それは何故か一般には見せないようになっていました。

正禅寺やぐら群 対面丘陵部から眺めた図

裏山を権現山と云うそうです。予想以上に景色が開けていてビックリしました。金沢湾に釜利谷を囲む壮大な丘陵、そして富士山まで見えます。なにココすごい。

権現山から見えた素晴らしすぎる富士山 雲の様子が煙みたい

追記:『正禅寺と権現山』の記事アップしました。

深浦山独園寺


正禅寺からも近い独園寺に到着。ここにもありました!いきなりやぐらが迎えてくれます。一部コンクリート化されていますが、丘陵部壁面にやぐらが並んでいます。そして一部防空壕が混ざっていますが、確実に一部はやぐらです。アタリとハズレが隣り合っている複雑な造りとなっています。

独園寺やぐら

医王山正観寺


独園寺を南下して正観寺。残念ながらこちらではやぐらを見つけることはできませんでしたが、ここちょっと面白いお寺です。丘陵頂部に本堂があるお城をコンパクトにしたような地形をしています。金沢、浦賀、榎戸は、鎌倉の外港として栄えていました。その榎戸湊が目の前です。

正観寺から眺めた景色 

追記:『正観寺と榎戸湊』の記事アップしました。

楽浦山能永寺


正観寺と同じ丘陵を背にする能永寺は、和田山遺跡の記事でもお伝えした道場エリアにもともとあったそうです。

能永寺

坂中山観音寺


能永寺から観音寺に向かいます。往時では山の上にあったような雰囲気のお寺でした。お寺からは深浦湾、つまり往時の榎戸湊を一望出来ます。安政五年(1858)に、旭松閣吉隆という文人が、ここから眺めた景色で金沢八景ならぬ浦郷八景を撰して歌を詠んだそうです。

観音寺
観音寺から眺めた景色 榎戸湊を直下に遠くは房総半島まで見える

追記:『浦郷八景 観音寺』の記事アップしました。

八王子神社


観音寺から端っこ海側にある八王子神社へ。鎌倉界隈ではあまり聞いたことのない神社ですが、六社大明神と合祀されているとありました。こちらではやぐらではなく硬く閉ざされた壕口が裏側丘陵部にいくつもありました。

八王子神社

数匹いたネコの一匹が遠からず近からずの距離を保ってくるので、おやつをあげました。親睦が深まるかと思いきや、一口加えては少し離れて食べ、また近づいて・・を繰り返し、結局警戒を解いてはくれませんでした。「食べ物あげたんだからちょっとぐらい触らせてくれもいいのに」と思いましたが、よく考えたらそれって、いつも六本木のキャバ嬢をアフターに連れていっては「奢ったんだからちょっとぐらい触らせろや」とか言っている私の知り合いのあの社長さんと同じ発想だと思い、そんな自分を心から恥じました。

八王子神社在住のNさん 結構美形かも

白若稲荷大明神


船越から沼間に差し掛かる手前にある白若稲荷。縁起には、沼間から引越してきたとあります。大磯(大磯・湘南平史跡めぐり ~ハイキングコース編)に行ってから、古代日本と朝鮮に関する本をいくつか読みましたが、稲荷社は新羅系の渡来人が大きく関わっているとありました。「新羅」は「白木」「白井」などと当て字を変えたり転訛して日本にとけこんでいます。こちらの「白若」の「白」とは、その新羅の「白」なのかと気になり足を止めました。

白若稲荷大明神

沼間


義朝邸があったと云われる沼間に到着。法勝寺は初めて訪れます。境内はほぼ幼稚園という・・。失礼ですが「別に来なくてもよかった」感が漂うお寺でした。

法勝寺

お隣の光照寺は、頼朝の兄の悪源太義平の供養のために建てられたと伝わっています。頼朝の兄弟は、頼朝か北条氏に結局殺される運命にありました。悪源太義平が生きていたら歴史はどうなっていたのでしょう。

光照寺

神武寺には表参道・裏参道の他、法勝寺付近から向かう入口があります。この法勝寺口を私は制覇していなかったので、今回向かってみることにしました。途中、何の穴がわかりませんが、横穴がありました。フェンスで囲われているうえに有刺鉄線まで備え付けられているという手の込みよう、一体何の穴なんでしょう。追浜は防空壕だらけだったので、私の今の感覚は「横穴を見たら防空壕と疑え」と云わんばかりの猜疑心が植えつけられています。

神武寺参道沿いにあった横穴

もう季節的にも周辺では木々が色付き始め、早いものは既にピークを過ぎているものもあるなか、神武寺山門前にあるモミジは、頑なに緑色を保っていました。でもモミジは何色でもキレイですね。

神武寺山門前のもみじ

やぐらの疑問


ということで、今回は初めて訪れた追浜という土地で、良心寺・正禅寺・独園寺などでやぐらを見ることができました。しかし、それらお寺の創建はだいたい16~17世紀頃となります。一般的に考えられているやぐらの造営時期と辻褄が合いません。伝わっていない歴史があるのか、それとも17世紀頃でもやぐらが造営されていたのか、新たな疑問に直面することとなりました。そして今回もボリュームがボリュームだったので、かなり急ぎ足での紹介となりましたが、改めて各史跡の記事を作成するつもりです。また良ければ見にきてください。

神武寺のいつ来ても素敵な六地蔵



カテゴリー 鎌倉日記
記事作成  2015年12月3日

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