2015年12月1日火曜日

和田山遺跡


瀬ヶ崎和田山


金沢八景駅から国道16号を南下、もしくは追浜駅から国道を北上すると、関東学院の校舎が建ち並ぶ広大なエリアがあります。大よそその辺りを瀬ヶ崎と云います。瀬ヶ崎には、それが特定の丘陵部を指すのか、地域周辺を指すのか、よくわかっていませんが、和田山という字名が伝えられています。場所が場所だけに、和田義盛が関連していると一部では考えられているそうです。

Google map 瀬ヶ崎

和田山には、上部に巨大な石を載せていたことから石舞台と呼ばれた横穴石室のような特殊なやぐらがあった他、砦跡、もしくは城館跡と考えられる城郭遺構が確認されています。そして周囲一帯では、総数が把握されていない程のやぐら群があったと云われています。

瀬ヶ崎に伝わる字名と史跡


瀬ヶ崎では、「室ノ木」「天神」「道場」などの他、上述した「和田山」などの字名が伝わっています。中でも「道場」とは不思議な名前ですが、『かながわ考古学財団』の調査報告書に「教忍・良空が瀬ヶ崎の地に真宗の道場を開いている」とあったので、それに因む字名かと思われます。

Google map 瀬ヶ崎

瀬ヶ崎にある主な史跡として、瀬ヶ崎神社、雷神社、法福寺などがあり、その他、往時では、蒲冠者こと源範頼の菩提寺と伝わる大寧寺、瀬崎寺、能永寺、勝福寺などのお寺があったと伝わっています。

失われた地形と遺跡


下の中世海岸線想定図を見てのとおり、往時の瀬ヶ崎は、海に囲まれた半島状態となっており、丘陵が存在していました。そしてなんと、驚く事に、近世までは、鷹取山からここ瀬ヶ崎まで丘陵が繋がっていたという信じられない地形をしていました。ですから浦賀道は雷神社の辺りで丘陵越えをすることになりますし、現在の国道16号はその丘陵を崩して通した道となります。

瀬ヶ崎の中世の海岸想定図(赤線が浦賀道及び大よそ現在の国道16号)
①雷神社 ②法福寺 ③道場 ④瀬ヶ崎神社 ⑤大寧寺跡
国道16号沿い 雷神社と法福寺がある丘陵部 
往時ではそのまま鷹取山方面(左側)に丘陵が続いていた

瀬ヶ崎は、戦時中に軍用地として活用されたため、旧日本軍に丘陵のほとんどを削平されてしまい、残されたわずかな丘陵部も、現代にて頂部を削られ、大々的なマンション群が建設されてしまいました。その和田山周辺にあったと云う中世の遺跡群はこのときほぼ消失しています。下画像は『江戸名所図会』にある瀬ヶ崎です。絵は深浦方面から野島寄りにある天神辺りを描いたものと思われます。確かに、丘陵があるし、しかも左側部分に横穴がたくさん描かれてますね。これら全て失くなっちゃったんでしょうね。

『江戸名所図会』より

境界線の今昔


鷹取山から丘陵が繋がっていたというだけでも驚きでしたが、さらに面白い事に、和田山の東西に走る尾根が往時では武蔵国と相模国の国境線となっていました。そしてさらに、その線が現在では横浜市と横須賀市の境界線になっているという点が面白いですね。現代において、神奈川県における「横浜」のブランド力は絶大です。この道を境に地価もかなり変わりそうです。

Google map 瀬ヶ崎
緑のラインが境界線 線の上が横浜市で下が横須賀市 黄色が国道16号
①雷神社 ②法福寺 ③瀬ヶ崎神社 ④大寧寺跡
往時の和田山尾根道部分 
この道を境に左が横浜市で右が横須賀市

わずかな希望をつなぐ残存部


遺跡はほぼ失われたとはいうものの、地図を見ていると、ちょと待てよと、その和田山周辺の旧態地形の一部が残されています。雷神社と法福寺の裏山部分です。ということで、その法福寺に行ってみました。

Google map 瀬ヶ崎

法福寺やぐら群


法福寺では、なんと、思いもよらなかった景色が拡がっていました。墓地として利用されている裏山にやぐらがあります。しかも結構あります。全体的に風化が激しく、さらに風化し過ぎてやぐらとしてカウントするべきか微妙なものもたくさんありますが、少なくとも原型をとどめているものが10はありました。

法福寺

何故こんなにやぐらがあるのかと興奮していたのも束の間、これだけ鎌倉中のやぐらというやぐらを見たはずでしたが、今さらながら見たこともない信じられない形をしたやぐらを発見しました。なんと底面に穴が開いています。

信じられないやぐら

穴を覗くと、深さは1mぐらいに感じました。そして最下部からまたどこかに繋がっていて、その先に確実に何かしらのスペースがあるのがわかります。下りてその先を確認したいのはやまやまですが、さすがにこれは無理です。

穴を覗いたところ

後日『追浜の史跡探訪』という著書に、このやぐらの記述と思われる箇所を見つけました。「真ん中に直径80センチ程の穴があいて、地下に降りるようになっている。地下は深さ3メートル位の所に四畳半~六畳位の部屋がある。」とのこと。なんと穴は3mもの深さで、その先には6畳ほどのスペースがあるという、魅惑の造りになっているようです。しかも「専門家の話によると、中世の砦や山城の近辺に見かける集合墳墓であろう」とありました。但しオチがあって、「骨は発見されていない」とありました。「じゃあなんなんだよ」というぶつけようのない私の気持ちまでは解消してはくれませんでした。

法福寺裏山


わずかに残された緑地帯に和田山遺跡の痕跡が他にもないかと、法福寺裏山を登ってみました。裏山を登りきると、想像できたことですが、マンションがそびえ立っています。鎌倉でも結構な高さの丘陵を登ったはずが、頂部には住宅街が広がっているという、探検気分を萎えさせてくれるよくあるパターンです。仕方ないので、雷神社方面、つまり横移動します。

法福寺最高到達点・・

尾根部分を全てマンションの用地として確保されたためか、移動できる範囲が限られています。私が期待するようなものはみつかりませんでしたが、人工的に尾根を削ってわずかながらの平場を確保している場所がありました。

裏山での造作 用途不明

雷神社と隣接しているだけあって、神社の祠が遠目から確認することができます。そしてお寺と神社の間では土地が落ち込んでいます。昔は何かしら建物がそこにあったような雰囲気でした。

矢印のところに雷神社の祠 手前は土地が落ち込んだスペース

法福寺に残されたやぐらを和田山やぐら群と云うそうです。ここから往時の「道場」エリアに連なる丘陵部にも横穴らしき造作がみられますが、それらは民家の敷地なので確認しようがありません。それにしても、あのやぐら群、そしてあの不思議なやぐら、往時にあったものからすればほんの一部に過ぎないとは思いますが、鎌倉から離れたここ追浜に、これだけのやぐら群があることに驚きました。

和田山の往時の尾根道部分から見た往時の道場エリア

膀示堂


雷神社からも近い国道16号沿いに、膀示堂(ほうじどう)と呼ばれる石造物が集められた小さいお堂があります。これらはもともと開発される前の和田山尾根にあったもので、庚申塔・六地蔵・五輪塔などがみられます。年代的には鎌倉~室町期のものだとありました。

膀示堂

浦谷山法福寺


やぐら群のあった法福寺は、文明十一年(1479)の開創で日蓮宗のお寺です。『追浜の史跡探訪』には「この寺に散在する石塔群及び周辺にあるやぐら等を考えると、寺の創建はもっと古く、廃寺の寺を日蓮宗に改め再興したものと思われる。」とありました。さて、果たして真相はいかに。

法福寺

和田山


和田山が和田義盛に関連するものだと一部著書・資料にありましたが、和田山という地名は、私が読んだ古代日本をテーマとした著書には、古代では「和田(ワタ)」とは海を意味し、実際にも万葉集や古今和歌集にそう用いられているとありました。



カテゴリー 探索記事(エリア別 六浦・金沢
記事作成  2015年12月1日

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