2015年12月23日水曜日

良心寺と陣屋跡


山号寺号 久遠山大悲院良心寺
建立   天正十一年(1583)
開山   知誉
開基   朝倉能登守景隆


良心寺は天正十一年(1583)の創建、そして隣接する陣屋跡は近世のものです。ですから鎌倉遺構探索的には通り過ぎるところでしたが、良心寺を調べたところ、良心寺には前身となるお寺が存在し、さらに陣屋跡では鎌倉期の五輪塔が発見されていることがわかりました。良心寺は、浦郷の支配者で後北条氏の家臣となる朝倉能登守によって創建されました。浦郷(追浜)の歴史を知るうえで欠かせないエリアとなります。

Google map 浦郷
①和田山 ②雷神社 ③法福寺 ④良心寺 ⑤正禅寺 ⑥観音寺 ⑦正観寺

陣屋跡 朝倉能登守邸跡


京急追浜駅から下り方面に向かったすぐ裏にある谷戸を御陣屋(ごじんや)と云います。近世にて浦郷陣屋がありました。そしてその隣に良心寺が所在しています。浦郷陣屋は、寛政二年(1791)に、江戸湾海防を命ぜられた川越藩主松平大和守によって設けられ、その後藩主が幾度と変わりながらも、慶応三年(1867)まで存続していました。

Google map 追浜

国道16号沿いにあるお花屋さんの辺りを大門と呼んでいたそうなので、きっとここが浦郷陣屋の入口だったのでしょう。当時に描かれた絵図によって、入口は長屋門で、敷地は土塁に囲まれ、中には長屋が並列していたことがわかっています。

大門 長屋門があった辺り

私が読んだ著書では、曖昧な言い方をしていましたが、どうやら朝倉能登守の邸がこの陣屋跡となる御陣屋に元々あったようです。良心寺に隣接し、さらに浦賀道に面し、また国境となる和田山から近いことからも、言われてみれば確かに、能登守邸位置として妥当な線かと思われます。

御陣屋やぐら群


『追浜の史跡探訪』によれば、御陣屋にはやぐら群があり、そのやぐら内からは鎌倉初期と思われる五輪塔が発見されたとありました。また、通常のやぐらの数倍大きいサイズのものがいくつか存在していたことから、倉庫や牢屋として転用された形跡だと考えられています。近世において、徴収した年貢の保管や犯罪者の牢屋としてやぐらが使用されていたようです。

御陣屋 迷路のような複雑な区割りをしている

やぐらから鎌倉期の石塔が発見されたということは、それらやぐら群も鎌倉期のものである可能性もあり、朝倉能登守がここに邸を構える以前から何かがここ御陣屋にあったということになります。鎌倉時代にお寺か武家屋敷でもあったのでしょうか。ちなみにやぐら群は現存していないようです。

御蔵山 鷹取公園


御陣屋から丘陵を登れる場所があります。底面はコンクリート舗装されていましたが、切通しが残されています。頂部では大々的な石切り跡がみられるので、きっと石切り場となっていたのでしょう。現在は鷹取公園として整備されています。このときちょうどタイミングが良かったようで、キレイな黄金色をしたイチョウの木々が迎えてくれました。

鷹取公園

御陣屋の裏山を御蔵山と云います。石切りによって当時の面影も何もありませんが、ここから遠景が望めます。金沢陣屋ほどの特等席ではありませんが、直下に浦賀道と周辺の街並み、そして金沢湊に野島まで眺めることができます。また往時では海に浮かぶ夏島も見えたはずです。確かに、浦郷(追浜)の支配者に相応しい立地かもしれません。

鷹取公園からの景観

反対側に下りて行くと追浜駅裏口となります。坂道は結構な傾斜があったので、当時からの地形の名残りかもしれません。近世では、陣屋のお殿様、そして中世末期では朝倉能登守がこの辺りを歩いていたかもしれません。

鷹取公園~追浜駅の坂道

良心寺縁起


良心寺は御陣屋から比較的至近距離にあります。『三浦半島の史跡みち』によれば、朝倉能登守が曹洞宗の道場を小寺として取り立て、寺領を寄進し、のちに妻の死を機に、天正十一年(1583)6月、妻の法号大悲院殿法誉良心大姉をとって良心寺としたとありました。


朝倉能登守室墓


良心寺の丘陵中腹に能登守の妻の宝篋印塔があります。能登守は、後北条氏滅亡後、結城秀康の近習として取り立てられ、福井藩主となった秀康に伴い越前へと向かいました。能登守の墓が良心寺にないのは、越前で没したためだと『三浦半島の史跡みち』にありました。

大悲院殿の宝篋印塔

ちなみにこの能登守室の宝篋印塔、17世紀ものなんだそうです。つまり本物ではありません。妻の死を契機に良心寺を建てた能登守のことです。もしかしたら、能登守は越前に妻の墓を持っていったのかもしれない、そんな話だったら素敵ですね。

良心寺裏山から見えた野島

良心寺やぐら


境内奥が墓地となってなっています。丘陵壁面に一基のやぐらが見られました。サイズが小さく、また葬送目的による横穴なのか微妙な感もありますが、とにかくやぐらに見える横穴があります。裏側に少しだけ旧態地形が残されていたため、他にもやぐらがあるのかもしれませんが、良心寺がそれ以上の立入りを禁じていたので、残念ながらここまでとしました。

良心寺のやぐら

それにしても、陣屋跡にあったやぐら、そしてこちら良心寺のやぐら、一体誰がいつの時代に造営したのでしょう。和田山遺跡、正禅寺、独園寺などと同じように、浦郷(追浜)の探索は結局最後はわからない、もしくは伝承が失われているのではないかという終わり方になってしまいます。

山門前にあった立派な子育地蔵尊

首斬観音


良心寺から少し住宅街の方へ入っていくと、首斬観音と呼ばれる石塔が祀られています。大正末期、国道16号の工事中、頭蓋骨が十数個出てきたため、昭和3年(1928)に供養碑として建立されたものです。

首斬観音

現地にあった資料によれば、御陣屋に「首洗いの井戸」と呼ばれる井戸があったと紹介していました。つまり国道から出てきた頭蓋骨は、陣屋で裁かれた犯罪者のものだと言いたいのかもしれません。特に天保年間(1830~1843)に発生した飢饉によって、浪人や無頼者などによる犯罪が横行したそうです。



カテゴリー 探索記事(エリア別 浦郷(追浜)
記事作成  2015年12月23日

『良心寺と陣屋跡』関連記事


浦郷まとめ

追浜の主に中世に関連する歴史を史跡と供に紹介

和田山遺跡

瀬ヶ崎の和田山にあったと伝わるやぐら群と砦跡

正禅寺と権現山

お寺の創建と時代が一致しないやぐら群と謎の砦跡

浦郷八景 観音寺

金沢八景ならぬ浦郷八景発祥の地、観音寺

正観寺と榎戸湊

榎戸湊に面する正観寺は朝倉能登守の陣屋跡

雷神社と天神さま

追浜の歴史を見守ってきた雷様こと雷神社の歴史を調べてみました。

2015年12月鎌倉遺構探索便り 追浜・沼間編

追浜にやぐらを探しに行ってきました。

2015年12月鎌倉遺構探索便り ② 浦賀十三峠編

「常に見晴台ハイキングコース」浦賀道十三峠に行ってきました!

2015年11月 鎌倉遺構探索便り ~金沢編

六浦・金沢・釜利谷にて金沢八景ポイントや旧道をめぐってきました。

六浦・金沢の記事一覧

鎌倉の外港を擁する往時では鎌倉の東境の地

横須賀市の記事一覧

三浦一族の本拠地衣笠を中心としたエリア

鎌倉遺構探索リンク