2015年12月24日木曜日

正観寺と榎戸湊


山号寺号 医王山正観寺
建立   天正年間(1573~1592)
開山   称誉源公
開基   幡随意日道


正観寺は、浦郷(追浜)にある榎戸湊のすぐ近くに所在しています。榎戸湊は鎌倉の外港として金沢湊・浦賀湊と共に賑わっていた港でした。後北条氏時代では、朝倉能登守が陣屋としてこの地を活用しており、丘陵部からは縄文時代の貝塚や遺物まで発見されています。太古の昔から多くの人に活用される好立地のようです。面白そうな場所ですね。

Google map 浦郷
①和田山 ②雷神社 ③法福寺 ④良心寺 ⑤正禅寺 ⑥観音寺 ⑦正観寺

榎戸湊


道興が記した『廻国雑記』に「ここは頼朝公のすませ給うとき、金沢、榎戸、浦河とて三つの湊なりけるとかや」と記されているように、中世では榎戸湊が金沢や浦賀と同等に扱われ紹介されています。現代の著書『三浦半島の史跡みち』にも「大型船の出入りこそ不可能であったが、鎌倉時代は外港として浦賀湊、金沢湊と共に栄えた」と紹介されていました。

Google map

上地図画像は、歴史的農業環境閲覧システムで公開されているものをGoogle Earthで表したものです。明治初期の地形です。上の地図と見比べると、現在の榎戸湊がかなり埋め立てられていることがわかると思います。往時では野島洲が南に大きく張り出していたため、金沢湊への船の進入が容易ではありませんでした。そのため榎戸湊を擁する浦郷村も重要な戦略拠点であったと考えられています。

正観寺の地形


正観寺のある土地は、元々お寺ではなかったためか、とても興味深く面白い地形をしています。地上より階段を登って山門をくぐると、その先には墓地として活用されている平場があり、そこからまた階段、もしくはスロープを上り、丘陵頂部にある本堂へ向かうようになっています。お城をコンパクトにしたような地形だと感じたのが第一印象でしたが、それもそのはず、朝倉能登守が陣屋としてこの地を活用していたとあったので、城郭とまではいかなくとも、少なくとも地形造作が一般仕様ではないのがわかります。

Google earth ○は往時からあったと思われる平場

榎戸湊が目前なので、正観寺の地は鎌倉でいうところの弁ヶ谷といったところでしょうか。北条時政が和賀江嶋から荷揚げした物品を所蔵する高御蔵と呼称される建物を有していたように、まさにここ正観寺の地もそういった機能を持っていたのだと思われます。さらに、能登守の時代では、房総半島の里見氏に対する防衛的な機能も有していたはずでしょう。

正観寺境内


上記したように、地上より高い位置にある山門をくぐると、さらに本堂が見上げる位置にあります。そして山門と同じ高さにあるのが山中社です。

正観寺山門
山中社

本堂のある丘陵頂部まで登ると、榎戸湊が視界に入ります。確かに、港での積荷の揚げ下げが手に取るようにわかる位置です。海運が盛んだった浦郷の陣屋として最適な場所でしょう。周囲は埋め立てられたうえに背の高い建物があるので、往時を偲ぶにはかなりの想像力が必要です。

丘陵頂部からの景色

神武寺と縁深い正観寺


院号が薬師院であることから、正観寺は榎戸薬師として呼ばれています。正観寺にある薬師如来は、智証大師の作で、脇侍十二神将は神武寺から寄進されました。神武寺の薬師如来も智証大師の作で、神武寺の山号も正観寺と同じ医王山となっています。神武寺と深い関わりがあったようだと『三浦半島の史跡みち』にありました。どのようなきっかがあったのでしょう。

正観寺本堂

能永寺


能永寺が同じ丘陵を背にしています。元々は和田山やぐら群のある「道場」と呼ばれる地域にあったと云われ、応永元年(1394)に現在地に移築されたと伝わっています。『追浜の歴史探訪』に、三浦一族出身の其阿長立が応永元年(1394)に開山したとあったので、ちょうどこの地に移され、歴史も白紙に戻されたようです。能永寺が道場の地に応永元年(1394)以前から存在したのに、現在地にやってきた応永元年(1394)に其阿長立の開山と伝わっているのであれば、寺号は同じでも、リセットされた感は否めません。

能永寺

往時の裏山部分は墓地として開発されています。面白いことに、祠が祀られている跡が墓地内にみられました。また、葬送目的ではなさそうな横穴が確認できます。防空壕、もしくは、追浜駅裏にある御陣屋に倉庫や牢屋として転用された形跡のあるやぐらが発見されていることからも、こちら正観寺も朝倉能登守の陣屋であったことから、そういった仕様の横穴かもしれないと想像が膨らみます。

能永寺裏山部分を登っていく
墓地の一画にあった祠 神社跡か?
往時の裏山頂部にある属性不明の横穴

能永寺裏にあった祠は何だったのか、あの横穴も一体どういうものなのか、そして陣屋があった頃に能永寺は運営できていたのか、などなど色々とわからない部分もありますが、浦郷は資料に乏しいので、自分で想像を広げるしかありません。



カテゴリー 探索記事(エリア別 浦郷(追浜)
記事作成  2015年12月24日

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