2016年1月9日土曜日

浦郷(追浜)まとめ


浦郷(追浜)は、歴史家にあまり研究されていないのか、もしくは伝承の多くが失われているからなのか、ミッシングリンクと言ったら大げさかもしれませんが、近世に創建されたお寺にやぐらが存在するなど、いくつもの謎が残されています。謎は謎のままですが、そこが浦郷の魅力の一つかもしれません。

Google map 浦郷
①和田山遺跡 ②雷神社 ③良心寺 ④自得寺 ⑤稲荷谷戸 ⑥正禅寺 ⑦観音寺 ⑧正観寺 
⑨八王子神社

下地図画像は浦郷周辺の明治初期の地形です。上の地図と見比べると、埋め立てによって地形が大きく変わったことがわかると思います。金沢八景に描かれた夏島や烏帽子島などは完全に埋め立て地に取り込まれてしまいました。

Google map 歴史的農業環境閲覧システム

追浜の由来と源範頼


まずは追浜(おっぱま)という地名、聞いた瞬間もう一度聞き返したくなるようなこの独特な言葉の響きに、インパクトのある印象を覚えた方も多いことでしょう。発音だけを聞くと日本の地名ではなさそうな雰囲気ですよね。一体どういう経緯でこのような名前になったのでしょう。

Google map 追浜
横須賀スタジアム=鉈切 岡村製作所=二階やぐら跡

今回の浦郷シリーズでお世話になった『追浜の史跡探訪』『追浜の歴史探訪』『三浦半島史跡みち』それぞれの追浜の由来の記述をまとめてみました。

謀反の疑いで伊豆修善寺に流された源範頼が、その嫌疑を晴らそうと、密かに榎戸に上陸し、その機会をうかがっていました。やがて幕府からの追手が出没し、一時は漁師の平兵衛が鉈で追手を退け、難を逃れ、範頼は洞窟(二階やぐら)に隠されましたが、範頼主従はこれ以上追及を逃れ得ないことを悟り、瀬ヶ崎の大寧寺で主従共々に自刃して果てたと伝えられています。

左に二階やぐらがあったと云う岡村製作所 右に正禅寺

範頼は、平兵衛に短刀一口と守護観音、そして蒲冠者の蒲の字に、匿ってくれた谷を加えた蒲谷姓を与えました。以来、平兵衛が鉈を振ったことから鉈切、追手を追った浜を追浜と呼ぶようになったと云われています。通説では、源範頼は、建久四年(1193)8月17日、伊豆国修善寺に流罪となり、そのまま修善寺にて暗殺されています。ちなみに称名寺の対面にある薬王寺が範頼邸跡、そして追浜伝説の範頼が自刃したと云う大寧寺は、現在片吹に移転しひっそりと佇んでいます。

通説における源範頼の最期の地 修善寺日枝神社

関連記事:『正禅寺と権現山

鉈切遺跡


源範頼の伝説にも登場した「鉈切」という地は、範頼が隠れた二階やぐら跡や正禅寺の北側にあたる横須賀スタジアム(野球場)がある辺りを指します。中世では海岸線に面した漁村が広がっていました。ここ鉈切では、古墳時代前~後期(4世紀~7世紀)の集落跡・祭祀用の高杯・土器・その他多数の遺物が発掘され、中でも国内最古と考えられる牛頭骨を神に捧げ雨乞いの儀式「河伯の儀」を行った跡がほぼ完全な形で出土しています。

権現山から見た横須賀スタジアム 近世まであの辺りから向こうは海だった

この鉈切遺跡から比較的近い場所に、往時では天神社がありました。実際にもその場所には「天神」という字名が伝えられています。孝徳天皇の御世(645年)頃、天神に対し雨乞いの儀式「河伯の儀」を行っていたとあったので、この天神さまは鉈切遺跡に関連する神様のようです。現在は樹齢400年を越える立派なイチョウの木がそびえ立つ雷神社に合祀されています。

雷神社とイチョウの木

関連記事:『雷神社と天神さま

朝倉能登守景隆


浦郷を直接支配していたことで知られる朝倉能登守は、越前朝倉氏の血統を引く名門で、後北条氏の家臣として、玉縄城十八人衆の三位に格付けされています。浦郷村のインフラ整備の他、雷神社や曹洞宗の廃寺を再興するなど、浦郷の歴史上最大の貢献者と評されています。永世十三年(1516)~天正十八年(1590)の74年間、浦郷を支配し、後北条氏滅亡後は結城中納言秀康の近習として取り立てられ、のちに秀康が福井藩主となった際、彼も越前へ伴ったと云われています。

能登守室の墓がある良心寺

関連記事:『良心寺と陣屋跡

浦郷は足利軍駐屯地か?


公方足利時代、奥州の斯波大崎氏が瀬ヶ崎の地に居館を構え、瀬ヶ崎殿と呼ばれていました。小山氏の反乱などで軍事に備えるため召集されたと考えられています。また、甲斐武田の家臣青木尾張守が浦郷にいたようで、応永元年(1394)に創建された自得寺の中興としてその名が伝えられています。こちらも公方足利氏からの要請に、主家武田家の命で浦郷に駐在していたと思われます。そして京急駅名ともなっている逸見という地名は、甲斐源氏の逸見五郎に因むとも云われているので、横須賀市北部の地にもともと武田氏が関与していたのかもしれません。

武田氏の家紋四つ割菱が伝えられている自得寺

追浜やぐら群


浦郷には400基以上のやぐらが確認されています。浦郷が朝倉能登守以前に誰の支配下にあったのかがよくわかりませんが、このやぐらの数からも、浦郷が鎌倉と歴史を共に歩んできたことがわかります。法福寺にある和田山やぐら群、正禅寺、独園寺などにやぐらは現存しますが、400という数字からは、現存するものはその一割程度でしょうか。

正禅寺やぐら群
独園寺やぐら群

追浜のやぐらは、風化したために原型をとどめていない可能性もありますが、現存するものを見た限り、室町期のものと思われるやぐらが多かったように思えます。追浜駅裏にある御陣屋からはやぐらと鎌倉期の五輪塔、そして正禅寺には鎌倉期のものと考えられるやぐらがあると『追浜の史跡探訪』に記されていました。また法福寺・独園寺共に、散在する遺物から前身となるお寺があったのではないかと考えられています。

和田山やぐら群(法福寺)

その他、漁民の人たちが大漁祈願のために祀った豊海稲荷社が鎮座する稲荷谷戸では、やぐらが5基確認され、そのうち2基には五輪塔の浮彫が施されているものがあります。やぐらは失われてはいないようですが、崖面の防護ネットや草木で確認することは困難です。私は防空壕と井戸跡らしき横穴しか見つけられませんでした。

豊海稲荷

関連記事:『和田山遺跡』『正禅寺と権現山』『良心寺と陣屋跡

榎戸湊


浦郷といえば、榎戸湊。道興が記した『廻国雑記』に「ここは頼朝公のすませ給うとき、金沢、榎戸、浦河とて三つの湊なりけるとかや」と記されているように、中世では榎戸湊が金沢や浦賀と同等に扱われ紹介されています。三浦半島における主要な港の一つだったことがうかがえます。

Google map 歴史的農業環境閲覧システム

榎戸湊に面する地に陣屋を設けたのが朝倉能登守です。この港から多くの物資を積み下ろしていたと思われます。その陣屋跡には正観寺が建立されましたが、現在も興味深い地形が名残りを留めています。

朝倉能登守の陣屋跡から眺めた榎戸湊

関連記事:『正観寺と榎戸湊

浦郷の景勝地


浦郷の景勝地といえば、見漁台とも呼ばれた観音寺でしょうか。江戸時代の文人が浦郷八景を撰して歌を詠んだことでも知られています。また、正禅寺の裏山となる権現山からは、追浜の街並みに榎戸湊、そして富士山まで眺めることができます。

観音寺見漁台から眺めた景色
権現山から見た富士山

関連記事:『浦郷八景 観音寺』『正禅寺と権現山

追浜の伝説「滅びゆく大蛇」


天応元年(781)頃、浦郷浅間山のふもとの古池に、7頭15丈(約50m)もある大蛇が住んでいました。人を見つけては呑み込んでしまうこの恐ろしい大蛇を、村人たちが相談して退治することにしました。村の勇士64人が集まり、なかでも6人の武士が勇敢に戦い大蛇にとどめを刺しました。しかしその四ヵ月後、どこからともなく退治されたはずの大蛇の七つの頭が現れ、その6人の武士を襲い絶命させてしまいました。村人たちは6人の武士の武功を讃えるため、祠をたて六社大明神として祀りました。その後八王子社に合祀されたのが現在の姿です。

八王子神社

七つの頭がある50mもある大蛇とは、語り継がれていくうちに5mが50mと話が盛られたのか、それとも何かを化け物として例えたのか、こういう伝承はよくわかりませんが、謎解きみたいで面白いですね。但し、天応元年(781)に武士という定義があったのかというちょっと意地悪な疑問が湧いてきます。

八王子神社の生きてる狛犬

八王子神社は榎戸湊に面しているため、現在はドックや自衛隊の施設が近接している味気ない場所ですが、数匹のネコが住み着いているほのぼの神社です。

関連記事:『2015年12月鎌倉遺構探索便り 追浜・沼間編


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カテゴリー 探索記事(エリア別 浦郷(追浜)
記事作成  2016年1月9日

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