2016年4月1日金曜日

鷹取山の秘密


神武寺裏山にある鷹取山といえば、ロッククライミング愛好家の恰好の遊び場であり、また石切り跡が残る不思議な様相が魅力です。家族連れなどいつも多くの人たちで賑わっているそんな”ほのぼの”した鷹取山に、実はとてんでもない秘密が隠されていることを発見しました。

鷹取山の見晴台から

鷹の付く山名には秦氏と共に鍛冶伝承が登場する


大和岩雄著『日本にあった朝鮮王国』より。
鷹の地名・山名・寺号などを調べてみると、秦氏と共に鍛冶伝承が登場する。」

神武寺裏山以外にも鷹取山が大磯にもあることはご存知の方も多いと思いますが、他にも鷹取山があるのかとちょっと調べてみたところ、日本全国に13もの鷹取山を地図上で見つけることができました。そして面白い事に、各地の鷹取山それぞれに、秦氏、もしくは渡来人らしき痕跡を地図上から見つけることができます。古代朝鮮では「鷹は鍛冶鳥と云われている」という同書にあった記述からも、鷹取山とは、秦氏及び渡来人、そして当時の彼らの先端技術であった鍛冶に関連する土地柄だった可能性が高いようです。

Google map 日本各地にあった鷹取山

日本各地にある鷹取山のうち、特に九州から横須賀までの範囲に渡来人の痕跡を色濃く見出すことができます。ということで、日本各地の主な鷹取山の詳細を追ってみたいと思います。とその前に、地図上から渡来系かどうかを見極めるコツをちょっどだけ予習しておきましょう。


「渡来人の痕跡」の見つけ方


日本で未だ中央集権が確立していなかった時代、鉄は金に比すべき鉱物でした。渡来人たちは、日本という未開の地で、鉄を求め各地を巡っていたようです。例えば鎌倉にある金洗沢(現在の七里ヶ浜)は、砂鉄の選別作業における最終工程を表す地名だということがわかりました。そこでまず、「金」の付く地名が採鉱や渡来人の痕跡である可能性が高いこと、それから、時代とともに朝鮮由来の固有名詞はその色を薄められ、新羅は白木・白井、高麗は駒・巨摩・呉、加羅は唐・辛などと当て字を変えてきた点などに注目してみました。

金洗沢(七里ヶ浜)

それでは、地名に「金」や「白」が付くもの、そして「コマ」「カラ」「カン」と読める漢字が要注意です。皆さんの住む町にもこれらに当てはまる地名があるんじゃないでしょうか。


秦王国の鷹取山


『日本にあった朝鮮王国』より。
豊前の香春岳を中心とする地域には、秦の始皇帝の後裔と自称する人々が最も多く、所によっては90%以上の濃密さで居住していた。」

豊前(福岡県)にある香春(かわら)町は、いわゆる日本の秦王国と云えます。その香春町からも近い直方市田川郡に鷹取山がありました。香春岳の近くに採銅所という文字が地図に見えます。秦王国こと香春町では銅や鉄がとれます。前述した「鷹」=秦氏・鍛冶という公式がいきなり当てはまることとなります。

Google map 香春鷹取山

香春町から鷹取山にかけたエリアは、さすが秦王国だけあって、渡来人らしき痕跡が集中しています。まずは、河内王陵なる古墳(円墳)が香春神社付近に存在します。wikipediaによれば、河内王という7世紀にいた皇族の墓であるため、現在は宮内庁が管理しているとありました。がしかし、時代考証が合致せず、一説には百済王の子孫の墓だと云われています。そして「金田」「感田(神田)」などの朝鮮に関連した地名、養蚕・機織りなどの技術も有していた秦一族を連想させる「糸田」という地名、鉄の産地に有りがちな「赤」が付く地名「赤池」などが確認できます。極めつけは香春神社・白鬚神社、ともに新羅系渡来人の奉祀した神社であることは周知の事実です。


地名だけ見るとほぼカラ国 出雲の鷹取山


出雲にある鷹取山周辺も香春に負けていません。「韓竃神社」「唐川町」と、説明を要さない程の明確な渡来人の痕跡が確認できます。ちなみに「唐」というと中国大陸にあった唐の国を連想するかもしれませんが、大抵は朝鮮半島にあった「加羅」が語源だということです。そして極めつけは「十六島(うっぷるい)湾」というこの日本語とは到底思えない地名。wikipediaにアイヌ語もしくは朝鮮語説があると記されていますが、「ウップル」とは、古代朝鮮語で「波の激しい港」という意で、『神社の起源と古代朝鮮』に「朝鮮語としか思えない」とありました。

Google map 出雲鷹取山

「多々山」は製鉄の地でよくみられる「多々良」「鑪」の類似でしょうか。朝鮮古地名の例では、多多羅村などがあり、日本では山城国の任那人の帰化部落に多多羅があります。それにしても、出雲大社という日本屈指の格式高い神社のある周辺が、あたかも渡来人の根拠地のような様相です。


秦王国住民の移住跡か? 丹波の鷹取山


兵庫県丹波市にある鷹取山、こちらもわかりやすい痕跡を見つけることができます。まずは鷹取山の麓を「香良」と云います。「香春」か「加羅」の当て字違いだと思われます。そして香良に加和良神社があります。どう考えても「香春神社」でしょうね。そして香春鷹取山のお隣に福智山とありましたが、こちら丹波鷹取山の近くにも「福知山」という地名がみえます。また、お隣の朝来市には「白井」「新井」「多々良木」といった渡来人に関連すると思われる地名が豊富に存在し、そして追浜にあった「和田山」という地名がここでもみえます。

Google map 丹波鷹取山

その他「市島町乙河内」「春日町河内」という「河内」という地名にも注目してみました。河内も香春に負けず渡来人の割合が多い地域だということです。それが偶然にも鷹取山の近くにあるということは、やはり渡来人の痕跡である地名の可能性が高いのかもしれません。


古過ぎるにも程がある遺物 身延鷹取山


日蓮さんの聖地としても知られる身延ですが、こちらはまず身延町一帯が南巨摩郡という”いかにもな”地名に属しています。「巨摩」は「高麗」の当て字を変えたものでしょう。そして下部町誌(注:PDF)には「帰化人の少なくないことは歴史に明らかで、あらためて言うまでもない」とあり、また三珠町大塚(山梨県市川三郷町)では、赤烏元年5月25日(238年)の銘を持つ神獣鏡が鳥居原古墳(鳥居原狐塚古墳)から出土したとありました。『日本にあった朝鮮王国』には「秦氏は5世紀前後に最初の渡来があり、断続的に朝鮮半島の南部の伽耶地域を中心として新羅に及ぶ範囲から渡来した」とあります。鳥居原古墳で見つかった鏡は3世紀のものです。秦氏よりも随分と年代が遡ります。

Google map 身延鷹取山

武田信玄の時代では、家臣の穴山氏がこの辺りを治めていましたが、実はこの「穴」も渡来人に関連する可能性が高いようです。穴を掘って採鉱する人たちを穴師と云います。但し、信玄が金山を有していたのは有名ですね。金山を掘るという意味合いから派生した固有名称の可能性もあります。


地味ながらも渡来人らしき痕跡が 相模原の鷹取山


神奈川県相模原市にある鷹取山、こちらではいかにも鍛冶跡を彷彿させる軍刀利神社、そして機織りに関連する蚕影山神社、ヤマトタケルの東征に関連する石楯尾神社などがあります。そしてここでも「和田峠」と、和田の名が登場します。

Google map 相模原鷹取山

相模原鷹取山付近に陣場の湯という温泉が地図に見えます。これまで紹介してきた鷹取山にも付近に温泉を地図上で確認することができます。これは採鉱のために地中を掘っていたら温泉が出てきちゃったという例がよくあるそうです。ですから温泉もある程度、採鉱や渡来人の痕跡としての目安と考えられます。でも温泉なんて地方に行けば大体あります加羅ね、どうなんでしょう。


高麗王若光の大磯鷹取山


大磯には、高来神社(高麗神社)・高麗山という、とてつもなくわかりやすい痕跡が残されています。高来神社には高麗王が祀られています。渡来人が大磯に集団で居住していたことは間違いないでしょう。その他、新羅系の白髭神社に「唐ケ原」という地名、そして何と言っても、秦氏に由来すると云われる秦野市がすぐ近くです。『おおいその歴史』には「渡来人は大磯に定着し、ついで箱根や伊豆へと生活の場を広げたことがうかがえ、一説には箱根の駒ケ岳も高麗に因むという」とありました。

Google map 大磯鷹取山

神武寺裏山鷹取山


そして大トリは神武寺裏山にある鷹取山。こちらにはどのような痕跡があるのかというと、まず、神武寺にある弥勒やぐら。高麗舞師中原光氏の墓と言ったほうがわかりやすいでしょうか。八幡宮の神宮寺を弥勒寺と云いいます。そして『日本にあった朝鮮王国』に「弥勒菩薩は、用明天皇の頃の渡来仏といわれているが、縁起の記述からみても、弥勒と新羅明神は一体である」とありました。

弥勒やぐら

追浜にある観音寺の縁起に、本尊の十一面観世音菩薩は、九州日向の国に祀られていたものだとあります。日向の国から誰かが船で命からがら観音菩薩を三浦郡に持ってきたようです。日向の国といえば宮崎県、その宮崎の都城市にも鷹取山がありました。そして都城市にも追浜にも和田(山)という地名がみられます。何か繋がっているのでしょうか。

観音寺から望む浦郷八景

それからもうひとつ、そもそも金沢という地名が怪しすぎます。鎌倉の金洗沢と同じく鉄に関連する地域だったからこそ付けられた地名ではないかと想像を掻き立てられます。しかも能見堂跡付近にあった白井岬というこれまた”いかにもな”地名、そして釜利谷という地名に赤井温泉と、渡来人かどうかは判断できませんが、採鉱・製鉄の場であったことを連想させるモノが残されています。

Google map 神武寺裏山鷹取山 


和田という謎の地名


今回取り上げた日本全国にある鷹取山付近において、合計6箇所で「和田」と付く地名を発見しました。追浜にある和田山は、場所が場所だけに和田義盛に関連するとも云われていますが、たぶん違うでしょう。『和田山遺跡』でも述べたように、古代日本では海を「わた」(和田)と呼んでいました。さらに古代朝鮮語で海を「PATA」と発音すると大磯の地誌にあります。さらにダメ押しとして、高麗一族の有力者に和田という氏族が確認できます。日本各地にある和田という地名は、海を表したもの、もしくは高麗一族の和田氏に関連するものではないかと思われます。

Google map 近くに和田という地名がある鷹取山


鍛冶師とシャーマンは同じ巣からやってくる


ヤクート族の俚諺に「鍛冶師とシャーマンは同じ巣からやってくる」とあるそうです。今回取り上げた鷹取山周辺では、採鉱・製鉄など、鍛冶師のいた痕跡を至る所で見出すことができました。ちなみに追浜では、シャーマンの存在をうかがわせる古代祭祀場跡が見つかっています。また『神社の起源と古代朝鮮』には、「古代の神社には、社、つまり建物はなく、森、或は巨石を神の依り代として祀ったことにつていは多くの証拠がある。」と記されています。鷹取山とは、渡来人が採鉱・製鉄の場として腰を下ろした地域に設けた崇拝の対象とする神聖なエリアを指す名称だったのかもしれません。

高麗山公園から見えた壮大な景色

最後に


韓国の大学で教鞭を執る日本人の先生という、異色の肩書きを持つ太田先生(太田あつしFacebook)からメールをいただいたことをキッカケに、そこから何度とやりとりさせていただいた影響から、ここ最近は古代日本に関する著書・資料を仕事の合間や移動中などに読んでいました。意義ある勉強の機会を与えてくれた太田先生に感謝の意を表します。



参考資料
○大和岩雄著『日本にあった朝鮮王国』○岡谷公二著『神社の起源と古代朝鮮』○中西進著『エミシとは何か』○井上秀雄著『古代朝鮮』○西谷正著『古代朝鮮と日本』○司馬遼太郎他編『座談会古代日本と朝鮮』○大磯町編『おおいその歴史』

カテゴリー 鎌倉研究部
記事作成  2016年4月1日

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