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北鎌倉駅の南側にある谷戸を瓜ヶ谷と云います。『鎌倉市史』にある瓜ヶ谷やぐら群の項には、地蔵坐像のある5基のやぐら群「瓜ヶ谷やぐら群」(下地図画像⑥)を紹介するに留まっていますが、その西側にもやぐら群が存在します(下地図画像①)。これらは地蔵坐像のあるやぐら群より西側にあるので、便宜上、今回の記事では西瓜ヶ谷やぐら群と呼称します。東側のやぐら群と同じく、こちらも素敵な浮彫のある印象的なやぐらが存在します。
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Google map 瓜ヶ谷 ①西瓜ヶ谷やぐら群 ②北鎌倉駅 ③円覚寺 ④東慶寺 ⑤浄智寺 ⑥東瓜ヶ谷やぐら群 ⑦葛原岡神社 |
瓜ヶ谷
北鎌倉駅から山内道を下り(あくまで鎌倉が中心の例え)、十王堂橋の辺りから奥に進んでいきます。十王堂橋の名の由来は、十王堂がこの辺りにあったことに因むと云われています。
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山内道沿いにある十王堂橋 |
瓜ヶ谷には寺院がないので、一般的な観光客が訪れることはあまりないのでしょう。緑の多い静かな住宅街です。
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瓜ヶ谷 |
やぐらの森
やぐらの森という看板から旧態地形の奥に入っていくと、やぐら群が見えてきます。丘陵を登る道は意外にも整備されていました。
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西瓜ヶ谷やぐら群入口 |
西瓜ヶ谷やぐら群
やぐらは大よそ6基。群中で最も目立つ14基の五輪塔が浮彫されたもの、位牌の浮彫があるものなど、小さなやぐら群ながらも興味深い造作がいくつか見られます。
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西瓜ヶ谷やぐら群 |
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五輪塔の右側に位牌らしき浮彫 |
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意外なところにもちょっとした浮彫がみられる |
五輪塔が浮彫されたこの下画像のやぐら、最初数えてみたら13だったので、十王思想に基づく十三仏(追善供養)を表したもの、つまり十王堂に関連するものなのかと思い、一瞬興奮しましましたが、端っこに取って付けたような14個目があることに気付きました・・。残念。でもこれってやっぱり元々は13基の五輪塔だったんじゃないのかという疑念は未だに捨てきれません。
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矢印の位置に取って付けたかのような小さな五輪塔があった |
それにしてもこの浮彫、画像でも伝わると思いますが、浮彫というより五輪塔そのものを壁面にくっ付けたかのようなとてつもないボリューム感です。最初からこれだけの数を浮彫にすることを前提に作られたのがわかります。一個でも失敗したらこの壁面自体が全て台無しになるので、当時の作り手である職人さんのプレッシャーが伝わってくるようです。しかもこの横穴は、メモリアル的なきっと何か特別な意味のある造作に思えてなりません。
周辺地形
周辺は土地開発におけるただの切り崩しであるようにもみえますが、石切り場でもあったかのような様相もみられます。やぐら群奥にある尾根道などは、両側を削られあたかも土塁、もしくは土橋のようになっていました。
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やぐら群奥にある地形 |
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やぐら群の上にある尾根道 |
ほんの短い距離ですが、尾根道を進むと山の上にある住宅街に出ます。方向的にはそのまま梶原に繋がるので、元々このような道筋があったように思えます。
未知なる寺院は存在したか?
さて、やぐらがあるということは、寺院がこの辺りにあったことが想定されます。ちなみに「多聞院」や「瓜ヶ谷やぐら群」の記事でも紹介したように、瓜ヶ谷には多聞院の前身である観蓮寺があったと『鎌倉市史』に記されています。観蓮寺が瓜ヶ谷の何処にあったのかまではわかりませんが、東側のやぐら群同様、こちら西瓜ヶ谷やぐら群の施主がその観蓮寺である可能性も考えられます。そこで、今回の記事では、観蓮寺がここにあったのかという答えのない答え探しをするのではなく、このやぐら群を営んでいたであろう未知なる寺院があったと想定し、さらにその未知なる寺院がどこにあったのかという部分に着目してみました。
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Google map 瓜ヶ谷
①やぐら群 ②高台の平場 ③地上の平場 ④やぐら群から続く尾根道の出口
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西瓜ヶ谷やぐら群の横穴は、上画像の①で示した矢印のように、下・左方向に開口しています。やぐらが施主である寺院に対して背を向けることはまず有り得ないので、やぐら群近くに寺院があったとすれば、上・右方向ではなく、下・左方向にあった可能性が高くなります。「お子ちゃまじゃないんだから方角で言えよ」と思った方もいるかもしれませんが、地図画像は見やすいように方角を変えています。下は南であって実際は東ですと、ややこしい説明になってしまうので上下左右で表現しています。
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典型的な鎌倉寺社裏山の様相 |
面白いことに、やぐら群の左側に、いかにもお堂跡といった段差のある平場(地図画像②③)が確認できます。もうこれって典型的な鎌倉寺社の様相じゃないでしょうか。さらにやぐら群付近では尾根道を上下に重ねたかのごとくひな段状地形を形成しています。前述したように、石切り跡や単なる土地開発による可能性も考えられますが、そうであってもそうでなくとも、どちらにしろ鎌倉寺社裏山の典型的な地形を成していることは確かです。
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畑となっている地上の平場部分 |
ここに伝承を失った未知なる寺院があったのではないでしょうか、それが多聞院の前身である観蓮寺だったのかまではわかりませんが、この地形、完全に鎌倉寺社の様相です。もしくはあのやぐらが14ではなく十三基であれば、十王堂に関連したものである可能性も拡がります。ちなみに市史に「観蓮寺屋敷と称される田んぼが瓜ヶ谷にあった」とありました。やぐら群のある地上部の平場には畑が広がっています。これがまさかの観蓮寺屋敷跡だったりして・・。
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カテゴリー 探索記事(エリア別 北鎌倉)
記事作成 2016年5月1日