2016年6月21日火曜日

久里浜・浦賀史跡めぐり 久里浜編


『源平盛衰記』にも記された三浦氏の怒田城、そして浦賀城へ訪れるため久里浜・浦賀に行ってきました。せっかくなので周辺にある史跡にも立ち寄ったため、朝から日没まできっかり半日費やすこととなりました。史跡めぐりとしては初めて訪れた場所ということもあってか、とっても新鮮で面白かったです。ということで、今回はその久里浜・浦賀史跡めぐりの久里浜編をお届けいたいします。

Google map 横須賀

久里浜


京急久里浜駅からも比較的近い久村と吉井周辺に訪れました。久村にも吉井にも縄文時代の貝塚が発見されています。また弥生~古墳時代の集落跡がどちらのエリアでも確認されており、周辺は昔から土壌の良い土地柄だったことがうかがえます。

Google map 久里浜
①京急黒浜駅 ②八幡神社 ③正業寺 ④慈眼院 ⑤等覚寺 ⑥御瀧神社 ⑦怒田城跡 ⑧真福寺

久里浜・久村


久村周辺には養老四年(720)に創建されたと伝わる八幡神社がありました。ですからここの八幡さまは三浦氏より先に三浦半島に来ていることになります。八幡神社から慈眼院を目指しますが、ピラミッドのようなおかしな形をした山が前方に現れます。

久里浜久村の辺り

慈眼院


慈眼院に到着。見上げるような急斜面の階段が待ち受けていました。本堂は丘陵頂部にあるようです。120段、標高30mです。階段沿いには峠道のように蛇行しながら登って行ける道もあります。紫陽花などの季節の花が出迎えてくれます。

慈眼院

慈眼院と茅山貝塚


慈眼院のある丘陵台地斜面からは縄文時代早期後半(約700年前)の貝塚、台地上では縄文時代前期前半(約6000年前)及び弥生時代後期から古墳時代中期(1600~2000年前)の竪穴住居跡が発見されています。

竪穴住居跡が見つかった辺り

慈眼院からの景色


慈眼院本堂のある丘陵頂部からは、旧態地形の面影を残す谷戸を見渡すことができました。「コ」の字状、もしくは「U」の字状の谷戸全景を堪能できます。一方国道側方面には久里浜周辺の住宅街が広がります。この辺り、縄文時代では海の底だったようです。現在の様子からは想像もできませんが、どうりで貝塚がこんな所にある訳ですね。

慈眼院から見た久村の小谷戸
慈眼院から見た縄文時代は海だった場所

ちなみに慈眼院は寛文元年(1661)に再興されたということがわかっていますが、創建年月日は不明とのことです。

茅山の庚申塔


等覚寺へ向かいます。そういえば鎌倉にも等覚寺がありますね。道沿いに庚申塔が並べられていました。最も古いもので享保四年(1719)とありました。

茅山の庚申塔群

等覚寺


等覚寺も高台に位置します。こちらは枝垂れ桜で有名なんだそうですが、見てのとおりもう夏前なので緑の葉が枝垂れがかってました。また境内は大掛かりな改築中でした。

改築中の等覚寺

等覚寺の古すぎる遺物


等覚寺は元和四年(1618)の創建となっていますが、特筆すべきは、等覚寺にある木造千手観音菩薩立像は、もとは経塚山千手院にあったもので、平安中期の慈覚大師作と伝わっています。また同じく等覚寺にある木造金剛力士像は、丸山不動院にあったものと云われ、こちらも平安後期の作とのこと。経塚山千手院、丸山不動院ともにこの辺りにあった寺院です。どんな歴史があったのでしょう。時代的にも両社とも三浦氏のお寺でしょうか。

等覚寺の古すぎる遺物

御瀧神社の由来


次はもう少し奥に入ったところにある御瀧神社という史跡に向かいました。御瀧神社の由来は、捨平という者が老桜に絡むつるを抜き取ったところ、清泉が湧き出て瀧となって流れ落ち、水不足で悩んでいた久村郷を救ったことに始まります。その後、捨平は瀧本盛兼と名乗り、新田を開発し名主となり、ここに御瀧権現を祀ることになったとありました。

御瀧神社

御瀧神社の由来に三浦氏が登場


名主となったこの捨平こと瀧本盛兼なる人物は、藤原盛重の子の瀧口盛定が高尾山神護寺に参詣した帰り道に拾われ養育されたと現地案内板にありました。またその瀧口盛定は三浦氏の「幕賓」とも記されていたので、この幕賓という言葉の雰囲気からも三浦氏から丁重な扱いを受けていた人物だったと思われます。時代は平安後期頃でしょうか。

御瀧神社にあった石造物

ちなみに等覚寺にあった千手観音菩薩立像の由来に登場する経塚山千手院は、ここ御瀧神社近くにあったそうです。そう言われれば怪しいスペースとお地蔵さまが付近にありました。もしかしたら寺院跡の地形が未だ残っているのかもしれません。ちゃんと見てくればよかった・・。

正業寺


御瀧神社のある丘陵麓に正業寺というお寺があったので立ち寄ってみました。裏山がありません。元々なかったのか、それとも土地開発で失われたのか、ちょっとわかりません。新田開発による内川入江の開墾にその半生を捧げた功労者、砂村新左衛門さんのお墓があります。

正業寺

吉井へ


それではいよいよ真打、怒田城跡を目指します。久村から国道と平作川を渡ります。怒田城跡は意外とわかりづらい場所にあるので真福寺というお寺を目指すといいかもしれません。

平作川

怒田城跡と吉井貝塚


怒田城は『平家物語』や『源平盛衰記』にも記されている三浦氏の城館跡であり、縄文時代の貝塚や弥生時代から古墳時代にかけた集落跡が見つかっている場所でもあります。発掘調査の結果、空堀や土橋が検出されていますが、現在は何も確認することはできません。

怒田城跡

当時の周辺の地形はもっと入江が深く入り込んでおり、怒田城は三方が海に囲まれた城でした。現在は海どころか怒田城跡から眺める景色にも一切海は見えません。また怒田城の当時の地形は半分近く土地開発で失われています。

怒田城跡から見えた景色

※追記『怒田城跡』の記事アップしました。

真福寺


怒田城からすぐ近くに浄土宗の真福寺があります。創建は享禄元年(1528)です。本堂が何だかとっても威厳があります。また紫陽花が多く植えられていたのも印象的でした。

真福寺前の紫陽花通り
真福寺

御林


真福寺から奥に行くと御林と呼ばれる旧道となります。浦賀奉行所が管理した幕府の御用林だったそうです。この素敵な切通しを通って浦賀に向かいます。
→『西浦賀編』へ続く

御林



カテゴリー 鎌倉日記
記事作成  2016年6月21日

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