2016年7月7日木曜日

和田地蔵と髭剃塚


横須賀市鴨居にある西徳寺には”和田地蔵”そして”髭剃塚”という和田義盛に関する伝承が残されています。16世紀に創建されたこのお寺に一体どのような関係があるのでしょうか。色々と調べていくうちに、この土地が持つ本来の姿が浮かび上がってきました。

Google map 横須賀
①吉井 ②浦賀 ③鴨居 ④たたら浜 ⑤観音崎 ⑥走水 ⑦馬堀

鴨居の東側にある浜辺を”たたら浜”と云います。三浦氏全盛の時代では三浦大介義明の四男、多々良四朗義春がここ鴨居の地を治めていたと云われています。鴨居八幡神社(上地図画像④)の縁起には、多々良四朗義春が養和元年(1181)に鶴岡八幡宮を勧請したとあります。

鴨居八幡神社

西徳寺


八幡神社からも近い西徳寺は、鎌倉光明寺の末寺です。寺伝によれば永禄三年(1560)法誉の創建と伝わっています。ちなみに横須賀市HPと『三浦半島の史跡みち』には永禄元年(1558)の創建とありました。まぁどちらもそんなに変わらないので気にしないでおきましょうか。前面通りから石段を登ると境内となります。「樹齢400年以上の大きなイヌマキとビャクシンの木」とありましたが、圧倒的な存在感の木が二本あるので、木々植物に詳しくなくともどちらかがイヌマキでどちらかがビャクシンだということぐらいは誰にでもわかるかと思います。

西徳寺とビャクシン

和田地蔵


境内に和田地蔵なるものが祀られています。和田義盛が西徳寺前の川に地蔵を沈め、 この戦で勝つことができるなら川上へ、敗れるなら川下へ流れるよう占ったところ、川上へ流れていったので、これに喜んだ義盛が地蔵を引き上げてお堂を建て祀ったと云われています。

和田地蔵

和田地蔵は腫物や百日咳に霊験あらたかであるとありました。また、常に半身が濡れているという伝承があるそうです。しかし、このとき見た限りではそのようなことはありませんでした、残念。

裏山


境内から髭剃塚のある裏山に向かいます。墓地などの現代で開発されたであろう中腹を過ぎると、なんと途中から掘割状になっています。昔からある裏山へのルートなのでしょうか、素敵です。

裏山頂部への道

途中に近世の石造物がたくさん置かれていました。ずっと辿っていくと最後はもう整理しきれなかったのか、石造物の墓場状態となっていました。


髭剃塚


丘陵頂部に到着すると三浦半島でよく見かける会津藩士の墓がここにもあります。そして近くに塚状の地形が現れます。塚の頂部にはここが髭剃塚だということを表すためなのか、祠が祀られていました。

会津藩士の墓
塚を遠目から見たところ 地形が”こんもり”している

塚は高さ2m、直径6m。髭剃塚、もしくは義盛塚とも云います。『新編相模国風土記稿』にも載せられているそうですが「由来詳かならず」とあるそうです。一説には和田義盛の部下が月代(前頭部から頭頂部にかけて頭髪を剃りあげた部分)を剃った剃刀を埋めたとも云われています。

塚を間近で眺めたところ この”こんもり”感全体が髭剃塚

上の台遺跡


残念ながら髭剃塚の由来がいまいちわからなかったので、もう少しこの辺りを調べてみようと思いました。横須賀市のHPによれば、西徳寺のある丘陵頂部では「弥生時代中期(前100頃)から古墳時代後期まで(500頃)約600年間、 大きな集落が存在した」とありました。これを”上の台遺跡”と云います。しかし下地図画像をご覧のように、これまた残念なことに、丘陵頂部には中学校が建てられるなど大々的な土地開発が行われ旧状は失われてしまいました。

Google map 鴨居
①鴨居八幡神社 ②西徳寺 ③髭剃塚 ④上の台中学校(上の台遺跡) ⑤能満寺

あの”やぐら”が再び


「上の台中学校を建設する時、中世以前の城跡に見られる、地下に掘り込んだ穴が発見されています」横須賀市HPより

これはまさか『和田山遺跡』で見たあの”やぐら”を言っているのでしょうか。「中世以前の城跡に見られる」「地下に掘り込んだ」という説明からも、あの”やぐら”でほぼ間違いないと思われます。とするとここには少なくとも鴨居周辺に影響力のある有力者が拠を構えていた可能性も考えられます。

和田山で見た「地下に掘り込んだ穴」

上画像は追浜にあったものです。ここ上の台にあったという”地下に彫り込んだ穴”は開発で失われたものと思われます。

あの”字名”も再び


和田地蔵の由縁で記した「和田義盛が西徳寺前の川に地蔵を沈めた」というその川を”和田川”と云います。そういえば上記したあの”やぐら”がある追浜にも”和田山”という字名が残されていました。さらに面白いことに、同じく横浜市にある同地名の鴨居には”和田町”があります。微妙にそれぞれ共通項があります。何か関係があるのでしょうか、不思議ですね。たぶんですけど、和田義盛に関連するとかそんな簡単なことではないと思います。

義盛が地蔵を沈めたと云う和田川

西徳寺は中世以前の城跡か


城跡の可能性もあるというここ西徳寺ですが、そういう視点でわずからながらに残された地形を眺めると、人の手が加えられたような気もしないでもありません。但し「中世以前の城跡」とあったように、時代的にも明確な城郭は確認できないでしょう。竪堀などがあればもうそれは戦国期のものでしょうし。

西徳寺丘陵斜面 そう云われればそんな気もする地形
用途不明ながらも完全なる人工的な地形

西徳寺の縁起に「真言宗の源徳寺、浄土真宗の無量庵、浄土宗の東光寺及び寿経寺を併合し、東光山無量寿院西徳寺と改められました。」とありました。なんと4つものお寺が西徳寺の前身となっています。これらの中に和田義盛や多々良義春などが生存していた時代からあったお寺も含まれるのでしょうか、その辺りはよくわかりませんが、どちらにしろ4つものお寺が合わさった訳ですから、髭剃塚の詳しい伝承もそのとき失われたのかもしれません。



カテゴリー 探索記事(エリア別 横須賀
記事作成  2016年7月7日

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