弟橘媛命が海神の怒りを鎮めるため、入水したとして知られる伝説の地、走水にやってきました。走水神社の威風堂々とした境内に、他の神社とは違う風格を感じました。
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Google map 横須賀
①吉井 ②浦賀 ③鴨居 ④たたら浜 ⑤観音崎 ⑥走水 ⑦馬堀 |
走水
古東海道の相模国終着地点と云われる走水。三浦半島からは大体どこからでも房総半島を身近に眺めることができますが、ここ走水からヤマトタケルが上総国に向かったと言われると、房総半島がさらにすぐ近くにあるように思えてきます。でも実際にもすぐ近くに見えるので仕方ありません。朝比奈三郎義秀のような規格外の人類であれば、泳いで行けるんじゃないかと思えるぐらいすぐそこに房総半島があるように思えます。
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観音崎から見た景色 |
現在の住居表示における
走水は、京急ホテルから走水海水浴場までが範囲となるようなので、走水神社は走水のだいたい真ん中に位置しています。岬のように突き出た地形を
御所ヶ崎・
伊勢山崎と云います。
御所ヶ崎はヤマトタケルが御所を建てたことにその名が因むと云われています。そして走水神社と並ぶようにお寺が並んでいます。丘陵部は観音崎自然公園や防衛大学校として整備されており、
古東海道は、向こうにある小原台からこの丘陵を越えて走水に到着したと考えられています。厳密なルートは今となってはわかりません。
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Google map 走水 |
走水神社
鳥居をくぐり、階段を登った丘陵中腹に社殿があります。祭神はヤマトタケル。御神体は神秘として社殿の下の土中に開かずの石櫃としてあると云われています。気になるその御神体とは、
ヤマトタケルがこの地の村人に与えた冠なんだそうです。
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走水神社 |
社殿位置からちょっとした景色を望めます。鳥居から海岸まで道が伸びているのがわかると思います。そしてその先に見えるのが房総半島。
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走水社殿からの景色 |
見晴台
境内中腹で景色をゆっくり眺められるスペースが施されています。走水海岸と主に伊勢山崎方面が眺められます。
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右奥の丘陵が伊勢山崎 丘陵と同じ形をした雲が浮かんでるw |
古代稲荷社跡
社殿位置から丘陵をさらに登って行けます。地上部の伽藍より裏山にお宝がある鎌倉寺社に慣れてしまった私にはとても嬉しい造りとなっています。ヤマトタケルが蝦夷征伐の祈願をしたと伝えられる祠の跡地だとありました。そこに須賀神社・神明社・諏訪神社が祀られています。そして個人的に思ったのが、この石造りの祠、とてもイイ雰囲気です。
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古代稲荷社跡への道 |
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古代稲荷社跡 |
走水神社の創建はいつ頃?
ところでヤマトタケルっていつの時代の人なのでしょう。走水神社の古代稲荷社跡の説明版に「
西暦110年、10月、大和武尊命が蝦夷征伐の祈願をしたと伝えられる祠のあった跡地です。」とありました。ちなみにwikipediaの記述をまとめると、そもそもヤマトタケルの存在自体が架空であること、もしくは複数人物を統合した説などその実在を疑う見方もありますが、そうした複数人物説の場合、「
4世紀から7世紀にかけて東征が行われた」とあったので、その辺りがある程度の目安になるのかもしれません。
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弟橘媛命の碑 |
水神社
社殿の奥にある丘陵壁面に水神社が祀られています。水神としてカッパを崇めています。面白いことに”やぐら”のように壁面を掘り込んでいました。水源が豊富な走水で”水”を祀る必要なんてないんじゃないかと思いましたが、「カッパは大漁をもたらしたり人命救助をもする」と現地案内板にあったので、船乗りさんの安全などを祈願している神社のでようです。
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水神社 |
御所ヶ崎 橘神社跡
ヤマトタケルが御所を建てたことにその名が因むと云われる
御所ヶ崎は、
旗山崎・
皇島とも呼ばれています。海神の怒りを鎮めるために身を投げた弟橘媛命の櫛が七日後に海岸に流れ着いたので、それを拾った里人が御所ヶ崎の地に祀り、それが橘神社になったと云われています。
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御所ヶ崎からの景色 |
明治42年(1909)、御所ヶ崎は旧日本軍の軍用地となったため、橘神社は走水神社に合祀されました。御所ヶ崎跡地には旧日本軍の砲台跡が残されています。
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御所ヶ崎 |
よこすか海岸通り
走水を通る”よこすか海岸通り”を上っていくと、馬堀、そして横須賀方面にそのまま向かえます。走水神社を過ぎるといきなり坂道を登らされたので、道路からちょっとした見晴台のような風景が望めました。
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よこすか海岸通りからの景色 |
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記事作成 2016年7月24日
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