2016年8月1日月曜日

諏訪大社と長峰城


横須賀と言えば、港や米軍施設などのイメージが先行し、中世の痕跡など何も残されていないように思えますよね。実際に訪れてみると、本当に何も残されていませんでした・・。但し、三浦横須賀氏に関連する諏訪大社という史跡が現在もその姿を伝えています。また、横須賀は夢窓疎石が4年もの歳月を過ごした場所なんです。興味深いですね。

Google map 横須賀中央
①横須賀中央駅 ②諏訪大社 ③汐入駅 ④逸見駅

横須賀氏


『相模三浦一族とその周辺史』によれば、「三浦横須賀氏の先祖は矢部禅尼の子の佐原時連」だとあります。彼は佐原十郎義連の孫にあたります。宝治合戦にて三浦宗家が滅びた後、矢部禅尼へ横須賀が恩地として宛がわれ、その後時連に継承されたと考えられています。また、「本城は諏訪神社裏の長峰城山(横須賀市緑が丘)と伝える」とあったので、これから向かう諏訪大社が三浦横須賀氏の城館跡でもあったようです。

佐原義連の菩提寺満願寺

横須賀の街


京急横須賀中央駅と汐入駅の間に諏訪神社は所在します。どちらかというと汐入駅の方が近いでしょうか。基本的に鎌倉遺構探索は旧態地形が残された場所に向かうので、この横須賀・汐入界隈の、都内と差ほど変わらない雰囲気に、期待するような史跡があるのかと不安を隠せません。鎌倉時代では、『吾妻鏡』建保三年(1215)3月5日条に、三浦義村の接待で将軍実朝や北条義時・大江広元らが花見をしに横須賀に訪れている様子が記されています。

汐入駅前の不安を隠せない景観

有名なドブ坂通り商店街を歩くと、お店とお店の間に紛れて延命地蔵尊なるものがありました。もとは汐入小学校付近にあったと現地案内板にあったので、これから向かう諏訪大社のさらに奥の山側にあったようです。

ドブ坂通り商店街
延命地蔵尊

”諏訪大神社”の看板が見えました。中華街のようなノリに”なんか想像と違う”と思いながら奥へ進みます。ちなみに横須賀と言えば海軍カリー。なかなか良さそうな雰囲気のお店がありました。

諏訪大神社入口

そういえば前回の史跡めぐりで出会ったTさんが、「三浦半島に来たから海軍カリーを食べた」と言っていたので、「三浦半島来たらマグロやろ」とツッコんだら、新鮮な魚など普段から食べ放題の徳島から来た人だったというオチがありました。東京で生まれ育ってウン十年、新鮮な食べ物もなければ、土地開発でロクな史跡もない東京に住み続けるメリットがわからなくなってきた今日この頃。

諏訪大社


入口からやや傾斜のある坂道を進むと諏訪大社境内です。とその前に、横須賀らしく英語の看板がありました。え~・・簡潔に訳すと「アメ公立入禁止」でいいんでしょうか。石原元都知事なみの歯切れの良さにしびれます。

諏訪神社のアメ公立入禁止看板

さて、肝心の諏訪大社ですが、無情な土地開発を続ける横須賀市にある史跡なので、片隅に追いやられているのかと思いきや、裏山を背負った立派な境内です。階段を登った丘陵中腹に社殿があります。


諏訪大社縁起


社伝によれば、康歴二年(1380)にこの地の領主であった三浦貞宗が信濃国諏訪から上下諏訪明神の霊を迎えて建てたとあります。祭神は建御名方命と事代主命の二柱。裏山を八幡山と云いますが、もとは古谷山と呼ばれていました。大津の佐倉藩陣屋内にあった八幡宮を横須賀製鉄所の鎮守として古谷山に祀ったことから、八幡山と呼ばれるようになったと云われています。

相殿

諏訪公園


諏訪大社の裏山は諏訪公園として整備されています。見晴らしはありませんが、想像以上にスペースがあったので驚きます。そして何と言っても、丘陵の造作が城跡を思わせます。が、実はこれ、現地案内板に、昔は動物園や召魂塔などがあったと記されていたので、この何とも言えぬ地形はそうした名残りのようです。

諏訪公園

長峰城はどっち?


『相模三浦一族とその周辺史』に「諏訪神社裏の長峰城山」とありましたが、『三浦半島城郭史』には「横須賀市楠ヶ浦の長嶺(長峰)に城山と伝えるものがある」とありました。また軍用地なので調査もできず全く不明であるともあります。『三浦半島城郭史』が言っている長嶺(長峰)城は、下地図画像①の米軍施設内、『相模三浦一族とその周辺史』ではここ諏訪神社裏②だと言っています。いったいどちらが正しいのでしょう。

Google map 横須賀
①楠ヶ浦長峰(米軍施設内) ②諏訪神社 ③汐入小学校 ④汐入駅

ここ諏訪大社裏には浦賀道が通っていたと云います。先ほどの延命地蔵尊が汐入小学校③にあったということですが、浦賀道はその辺りでしょうか。ですからここ諏訪大社周辺は、浦賀道に対する横須賀氏の館跡ともとらえられます。一方で海に囲まれた三浦半島にあって、三浦一族がそれぞれ各地で港を持っていたことが、史跡めぐりをしているとわかります。どちらかというと港に面した土地に城館を建てるのが定石だったでしょうか。そういった観点からは、現在の米軍施設内に往時では長峰城があったと考えるのが妥当なのかもしれません。

夢窓疎石と泊船庵


カリスマ夢窓疎石が横須賀の泊船庵に45歳のときから4年間ほど住んでいたと云われています。その旧跡は残念ながらこれまた楠ヶ浦の米軍施設内にあるので確認しようがありません。鎌倉時代末期、北条高時の母の円成尼が夢窓疎石を執拗なまでに請い招きます。これにみかねた三浦貞連が、横須賀の白仙山に泊船庵を建て、大檀那となって夢窓疎石を住まわせたと云います。

夢窓疎石開山の瑞泉寺庭園

諏訪大社から横須賀中央駅方面寄りに大勝利山というところがあります。横須賀には背の高い建物が多いのでほとんど海を見渡すこともできませんが、ここ大勝利山からようやく海をわずかながら眺めることができました。

大勝利山から見た横須賀港

夢窓疎石が泊船庵にて詠んだ歌が残されています。「山々は垣根、海は庭」「壺の中の風光、この別世界にひとり浸る、話相手はただの藤の枝一本」「庵のほとりの林の木々が私を覚えていて、花のあとの新緑は名残りの春の贈り物だ」などとあります。これらの歌からは、泊船庵が周辺に人の気配のない、大自然に囲まれた環境だったことが伝わってきます。今となっては信じられませんね。



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記事作成  2016年8月1日

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