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灯台があることでも知られる剱崎(下地図画像⑤)は、松輪地区の中でも南に大きく突き出した半島状の地形に所在します。南下浦の大動脈ともいえる県道215号から外れ、農道のような心細い道を南下していきます。
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Google map 三浦 ①雨崎 ②遠津浜海岸 ③大浦海岸 ④間口港 ⑤剱崎 ⑥江名湾 ⑦毘沙門 ⑧盗人狩 ⑨宮川 |
剱崎
たどり着いた先はこれまた素敵な景観。さっそく海岸に下りていきます。途中に矢の根井戸なるモノがありました。源為朝が伊豆大島から射た矢がここまで届いたという鎌倉飯島にある井戸と同じような伝承があるようです。そういえば浦賀にも為朝神社なるものがありました。人気者みたいですね為朝さん。
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剱崎 |
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辺りはほぼ岩礁なので海水浴向けではありませんが、それなりに人がいます。毘沙門で見た”ひょこり島”がここにもありました。あの景観は毘沙門だけのものではなかったことがここに来てわかりました。凄いです、ひょっこり島の間からまたひょっこり島が見えます。三浦の海岸各地にあるこの”ひょっこり島”、一体どんな条件下でこのような地形になったのでしょう。
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剱崎のひょっこり島群 |
剱崎海蝕洞穴から出土したモノとは
『三浦こども風土記』に、大正時代まで剱崎神社が海蝕洞穴に祀られていたとありました。現在は灯台の下に龍神さまが祀られています。剱崎神社はいつ頃の創建なのかといった詳しい記述はありませんでしたが、洞穴に神社といえば、観音崎の権現洞穴を思い出します。意外と古い歴史があったらロマンがあります。
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龍神さま |
剱崎の海蝕洞穴からは、華や鳥の図柄が施された平安時代末期の鏡が出土したとありました。この鏡にいかほどの価値があるのかわかりませんが、何やら有力者の匂いがしてくるような気がします。しかも平安末期といえば、時代的にはもう三浦氏の時代ですよ。
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剱崎神社海蝕洞穴 |
龍神さまの祠の近くの若干標高の高い位置に横穴が見えます。剱崎神社が祀られていた海蝕洞穴だと思われます。毘沙門もそうでしたが、近づけさせたくないのか、これでもかとトゲトゲの植物が植えられています。出血覚悟で進んだところ、なんと、蜂に刺されるというアクシデント。近くに巣があるのかもしれません。見学は断念することに。ちなみに蜂に刺されたのは初体験でした。結構痛いんですね。
まっ平な洞穴
剱崎灯台下から江名方面へと岩礁を伝って移動します。さっそく洞穴を見つけました。弥生時代から住居や墓地として使われてきたという三浦市海岸各地にある海蝕洞穴ですが、ここは住居としてはイマイチでしょうか。洞穴内に段差があります。物件でいうところの二段ベット、もしくはロフト付きといった感じになります。
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高低差のある内部 |
面白いことに高い方の底面が恐ろしく平らです。こうしてフラッシュ画像で確かめると、自然の形状だとわかりますが、現地では洞穴内が暗かったこともあって、底面に線刻があるのかと思わされました。
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底面 |
洞穴を出て周辺を見渡すと、鎌倉の石切り場跡のように、人工的に削り取ったような鋭角な窪みがいたる所で確認できます。自然の力でこれだけ平坦な断面を作り出せるのかと、感心してしまいます。洞穴内のあの恐ろしく平らな底面もやっぱり自然の造作なのだと納得せざるを得ません。そういえば、沖縄の海底遺跡が一時騒がれましたよね。どう見ても人工建造物が海の中に沈んでいるとしか思えないアレです。あれも専門家に言わせれば、自然にできた造形物だとのことなので、この鋭利な断面も自然の造形物で間違いないのでしょう。
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自然の鋭利な窪み |
すんごい光景
そしてさらに進むと”すんごい”光景がありました。こちらはさらに回り込んで江名方面から眺めた図です。ちょうど人(赤丸内)が写っていたのでこの二つの洞穴の大きさが伝わると思います。
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すんごい光景 赤い丸に人 |
ところで、シーサイドハイキングコースの真ん中に道を塞ぐようにテントを張るという恐ろしく迷惑で常識のない人たちが近くにいましたが、この画像に映っている人はそのグループの一人だと思います。どんなクズでも何かの役に立つのだというこの世の摂理をこのとき悟った気がしました。だってこの人のおかげで皆さんにこの洞穴の大きさを伝えることができました。
すんごい洞穴A
それではその”すんごい”光景にあった一つ目の洞穴です。「”すんごい”洞穴A」と名付けます。導入部は2mちょっとですが、開口部の高さは10m近くあります。ですからこの画像だとなんだか小さく見えますけどそんなことないんですよ。
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すんごい洞穴A |
ただちょっとですね、この洞穴、カメラの顔センサーがやたらと反応します。こんなに反応したのは長谷寺の洞窟以来でしょうか。誤作動なのはわかっていますし、自分自身もお化けの類は信じないと言っておきながらなんですが、ちょっと怖いと思いましたw。高さはかがむことはありませんがそんなにありません。奥行きが結構あります。
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内部 |
海蝕洞穴では火葬の跡が見つかっています。ですから赤褐色の石が出土することもあるそうです。そうだとしても、それにしても、下画像に映っている壁面はやたら赤々としています。どう見ても焼かれた赤ではないように思えます。ちょっと調べてみたところ、岩石に鉄分が含まれている場合、風化した際に赤や緑に変色するとありました。あたかもペンキで塗ったかのようなこの赤い色に違和感を感じますが、そういった事例もあるそうです。またしかもこの赤がイイ感じに恐怖を助長して盛り上げてくれます。
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すんごい色した壁面 |
掘れば何か出てくるでしょうか。私も剱崎神社から出土したような平安時代の鏡が欲しいと思ってしまいました。まぁこの不気味な洞穴内に長時間いられればの話ですけど。下画像の洞穴内からの景色、こちら洞穴側が青く見えて素敵だと思いましたがいかがでしょう。
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洞穴内からの景色 さっきとは違うひょっこり島 |
底面に海藻類が落ちています。満潮時や波が荒いときには海水が入ってくるようなので、この洞穴はまだまだ現役の海蝕洞穴です。先入観からか、小さい微妙な形状の石が勾玉に見えてなりません。
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底面 |
”すんごい”洞穴B
そしてお隣のこれまた大きな海蝕洞穴、こちらは開口部7m、奥行きも7mありそうです。洞穴があまり深く感じないのはアングルのせいです。ここから弓状に奥部が広がっています。
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すんごい洞穴B |
ここが”使用された”(弥生時代から古墳時代にかけて住居や墓地として)洞穴なのかどうかわかりませんが、奥行きといい、空間といい広すぎます。もしこの洞穴が”使用された”ものであれば、ここは家族だけでなく、一つのコミュニティが全員入れるようなスペースが確保できます。住居・墓地・祭祀・集会と、弥生時代からどんなシチュエーションでも使えそうです。
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最奥部 |
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洞穴内からの景色 |
夕方の剱崎
その後剱崎から三崎に向かい、またその帰り道、江名から剱崎にかけて少しだけ歩いてみました。日が暮れる前の景色は、昼間に見た姿とはまた違う一面を見せてくれます。波が荒くなっていたし、日中より水位が上がっています。昼間普通に歩けていたところが水溜りになっていました。
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凄い!今度はひょっこり島の間から房総半島の山が見える! |
三浦まで来るとホントに自然を身近に感じることができます。自然の洞窟、雄大な景色、潮の満ち引き、そして蜂に刺されたりとか。
※参考資料
『三浦こども風土記』『たてやまフィールドミュージアム』
カテゴリー 探索記事(エリア別 三浦)
記事作成 2016年8月15日